1 ――帝国『ズブレイド』――
2、3町を経由し、馬車を乗換え食料を調達し、少しばかりの休憩を挟んで4日。
決して短くなど感じなかったその時間を、無理矢理「長くも短くも感じたなぁ」と呟く事によって自分を慰めるハイドはその巨大な門を見上げて首を痛くしていた。
道なりに馬車を走らせる先にその大きな門扉が目立つ。そこはズブレイド帝国であった。
門兵は4人。左右に2人ずつ分かれ、だが緊張感が無に等しいようでだべっていた。だが馬車に気づくと、あたかも最初からそうであったと言わんばかりに背筋を伸ばして馬車を警戒する。
門から少し離れた位置に止まると、真新しい車の中からジェルマンは偉そうな足取りで地面を踏み、門兵へと歩み寄る。それから何かを、馬車からは聞き取れない大きさの声で話し始めた。
「ったく、経費はちゃんと寄越してくれるのか……?」
貰った前金は旅の最中に寄る町で全て落としてきてしまった。一番大きい買い物は馬車であったが、それでも一番安い品を選んだつもりである。
それでも食料や、安いせいで粗悪な椅子に掛ける毛布などの微々たる品は積み重なり、30万ゴールドは底を尽きた。
30万という金額はコレほどまで無力なモノなのだろうか。少なくとも、カクメイの翼と角よりは高かったが、小さな買い物で尽きたために納得が出来なかった。
「でも、これでようやく休めますね。わたし、自分がこれほどまで頑張れるとは思っても居ませんでした」
「ああ、俺も正直限界を突破した気分だ」夜通しで馬を走らせたシャロンなどはその極みであろうか。
そんな事を話していると、扉が2度、軽い音を立てる。外からのノックであることに気づいたハイドは、ゆっくりとそこを開けた。
「宿屋で良いと言ったのだが、どうやら城まで招いてくれるらしいです」
「いや、ビッツ公爵が勝手に決めんで下さいよ。何さらっと安いので済まそうとしてるんですか」
「ジェルマンで結構。ああ、申し訳ない。いやなに、その方が巻き込まれる危険が少ないだろうからと思ってのことです」
「あぁ、なるほど。わかりました」
――――そう返事をしたのは、つい30分前のことであったのだが。
「なるほど。貴様があのハイド=ジャンか。この平和な時代――――と言うのも、この国でははばかるが、なるほど、強いというのは血がそうさせるのかな?」
初老というには未だ若すぎる。そんな男が、端整な顔立ちで、王冠を頭に、玉座に腰を掛けていた。
何処と無く豪華絢爛なオーケストラが聞こえてきそうな神聖さを持つ王座の間。開けた空間、途中途中段差があって、扉と王座までの間は赤い絨毯で真っ直ぐ結ばれていた。
王座の両隣に2名の近衛兵。腕が立ちそうだと、雰囲気で察することが出来る強者である。
ジェルマンを含める以下4名がその前で跪き、頭を垂れている。絶対権力には逆らえない良い例であった。
「はい。やはり才能でしょうかね。私の場合」自分の『出来損ない』としての運命を皮肉るような言い方であるが、知らぬ者には逆に、力の無い兵や騎士にとっての嫌味に聞こえた。
自信満々に答えるハイドに、遠慮の無い舌打ちがこそこそと聞こえる。皇帝の地位に就く男はその主を一睨みしてから、変わらぬ引き締まった表情でハイドに視線を戻した。
「貴様のような驕る者は死に易い気もするが、生きているのは、悪運が強いからだろうか?」
疑問系ばっかだな。ハイドは心の中で悪態をつきながら、またその台詞に嫌悪感を抱きながら、
「いやですね。ツイてるだけですよ」
「喰えぬ男だ」
10ほどしか歳の変わらぬような男にそう言われたハイドは嫌悪を吐き出すように細々と息をついた。
「しかし、ビッツ・ジェルマンを護衛した事には感謝しよう。彼の代わりに褒美を寄越す。……おい」
皇帝は近衛兵に声を掛けると、兵はハイド達の奥に視線を泳がせた。兜の奥から見える視線を受け、控えていた数名の兵が箱をハイドたちの前に配置する。
箱は全体的に紅く塗られ、その周りを無駄なほどに金で装飾されていた。
軽い音がして、箱は床に落ち着いた。ハイドはその異常な音を耳に捕らえながら、皇帝の言葉を聴いていた。
「開けてみよ」
得意気に指を鳴らす。俺はお前の愛玩動物か何かといいたかったが、ハイドは堪えて、恐る恐る蓋を開いた。
暗い中を天井からの照明と、窓から差し込む陽光が照らした。そこには――――紛う事なき金貨が1枚。偉そうに鎮座していた。
ハイドは何かの間違いかと、褒美より箱の方が圧倒的に価値があるのは手違いじゃないのかと、それを皇帝に見せて口を開いた。
「これは……一体?」
「よもや金の価値が分からぬというわけではあるまいに。それは騎士ビッツ・ジェルマンの護衛の成功報酬よ」
これを受け取れば、どんな形であれこれきりとなる。報酬はこの金貨1枚で済ませられてしまうのだ。報酬の決まった金額は提示されていないので文句もつけられず、後からジェルマンにこっそり貰うのは契約違反となり、最悪前科1犯である。
「もしそれが不満なら、わが国で成果を上げてみろ。さすれば、その100倍でも1千倍でも用意しよう」
この国はシャロンが居なくなって以来、戦力を大幅に下げていた。故に、どれほど微々たるものでも、多くの力を蓄えたいのだろう。
最も、ハイドの実力はシャロンに継ぐ大きなものと為り得るのだが。
「もし、断るといったら――――」
冗談っぽく口にした瞬間、その頬スレスレの位置を何かが通過した。微風が頬を撫ぜ、背後で床に何かが突き刺さる音を聞いたのは同時に思えた。
皇帝の投げたナイフはハイドに当たることなく床に刺さったのだが、それはハイドに少しばかりの動揺を与えるには十分であった。
「ハイかイエスで答える権利を与えよう。私の下で働け。さすれば無条件で『帝国騎士』の称号をくれてやろう。どうだ、悪い話では無いだろう?」
この国では、職業騎士と称号騎士では意味合いが全く異なる。職業としてでは、選び抜かれた尖兵・精鋭兵であるが、それは対魔物として優秀なだけである。
騎士の称号を得るものは少なくとも魔族を1体倒したものであり、『帝国騎士』は5体以上を、『皇帝騎士』は10体以上を倒すことで得られる。
魔族を倒せるものはそう少なくは無いが、多くも無い。『騎士』は多いが、『帝国騎士』は数えるほどしか居らず、『皇帝騎士』に到っては指を折るほどしか居ない。
どんな運命を背負っていて、それが辺りに知られていようとも居らずとも、勇者が居ると言う事は少なからずとも士気が上がる。それは戦力の向上に繋がる。
皇帝は何が何でも、ハイドを逃しはしないと、鋭い眼差しで語っていた。
「君の好きなようにするといい。私は別に戦うのが嫌になったわけじゃない。退屈だったから逃げたのよ――――だから、君となら、私は別に構わないよ」
皇帝に睨み返していると、小声でシャロンの台詞が届いた。視界の端で、ノラが頷く仕草も見え、ハイドは視線を外して大きく息を吐くと、身体にきつい、跪く姿勢から立ち上がった。
「ったく、わかりましたよ。でも――――俺は安くはないですよ」
逃げられない中で、どうに逃げれば可能性があるか。そう考えるより、立ち向かって状況を打破して進むほうが楽である。ハイドはそう考えて段差の上に座る皇帝と同じ高さで視線を交差させると、ようやく、その顔がほころんだ。
「喰えぬ男だ」嬉しそうに首を振ると、「私はレイド。レイド・アローンだ」
「ハイド=ジャンです」
ズブレイド帝国はその時点で、優秀な人材を2人、そして最強を謳う傭兵を1人取り戻したことにまだ気がついては居なかった。
ハイドもまた、その選択が自身の運命を揺るがすものだとは気づいていなかった。
窓から差し込む陽光は、長くたなびく雲によって鈍くなり、肌に感じる気温は急激に下がっていった。