13 ――緑黄色魔族の焼失――
名乗るタイミングを失った魔族はこれより全力を出す。心の中でそう決意していた。
殊に、彼は全力を出す機会は多くは無い。相対する人間の実力が力を出そうと考えさせられるほどに無いこともそうであるが、何よりも、全力で戦ってみたいと思わせるような相手が居ない。
故に、全てを出し切ったのは既に100年以上も昔のことであった。寿命の底が知れない魔族にとってはついこの間にも感じるが、特に趣味も無い彼にとっては暇なことこの上ない苦痛になっていた。
強くなるであろう人間も見当たらず、たまに強い人間を見かけても相手にしないで過ぎていく。戦うことが好きなわけではない彼は、追いかけようともしなかった。
ただ適当な森を、自分の縄張りにしているだけである。人間の真似をして、侵入してくる者を排除したりもする。ただそれだけであったのだが――――。
「あああぁぁぁ――――ッ! 本ッ当に! 楽しいぞッ、お前ェッ!」
嬉しさが、今までに感じたことの無い感情が全身を震わせる。歓喜な叫びでハイドがビクリと跳ねるところがまたいとおしく感じた。
ただの人間でも、ハイドは魔族を殺す事は出来たであろう。頭は適度に回るが、ダメ元でやることが成功に繋がる厄介な挑戦者魂を秘める男であるので。
そんな、歳よりもいくらか子供っぽく見える少年が、確実に成功する事を、そうだとも知らずにダメ元だと、本来ならば考え付いても決して実行に移さないようなことをやってのけたら――――どれほど圧倒的な結果となるだろうか。
魔族は人間であらばあるであろう口の部分を手で押さえてほくそ笑んだ。
「何が嬉しいんだよ。コイツも戦闘狂か? なんで殊に俺だけ、こんな野郎ばっか集まるんだ」
何かが嬉しそうな、魔族を前にしてハイドは肩を落とす。ハイドを殺す自信があるというより、殺す殺されるの過程が楽しみなようにも見えた。彼が放出する魔力は身体に突き刺さる矢の棒の部分を邪魔な部分だけ切り裂いて行く。器用なものであった。
彼にとってはゲーム感覚なのだろう。それも、勝ち負けを重視するよりその中身を大切にするらしい。
厄介だ。ハイドは嘆いて首を振った。
今ならば、倒せる。この魔族の力ならば一方的に殺せる。ただ1つばかり心配なモノがあった。
「おぉい! ノラぁ」
緑の魔族が背にする森の方向へとハイドは声を上げる。すると間も無く、どこかの茂みが蠢くような音が耳に届いた。
「多分、これからはお前が手出しする余地はなくなると思うから! 先に行っててくれ!」
「はっは! 先に行ってくれ? 俺は一体どこに行けば良いと言うのだ」
返答の無い会話に割り込む1つの台詞があった。ハイドは鬱陶しかったので剣を投げると、瞬く間にその腹に穴が開き、剣は情けなく背後へと、魔族の背中の景色へと消えていった。
「……、わたしの魔法は倭皇国のものです。故に特別、魔族に対しては十分な戦力になり得ますっ!」
森の茂みから出てきた彼女の手には弓は無く、その代わりとばかりに短い槍が握られていた。おざなりに見えるが、それはどこぞの名匠の作であるが、その事を知り、または認識できるものはこの場には居なかった。
「これからは魔法じゃなくて魔砲が主となるんだが……だせるか?」
「いい加減、始めたいんだが――――」
「ま、魔砲、ですか……、ごめんなさい。油断している背中を突き刺すことしか出来ません」
未だ森の手前から移動しないノラにハイドは溜息をつく。それから仕方ないと口にしてから、
「作戦続行。俺の戦いぶりをドップリと――――」
ハイドの腹に派手な衝撃が衝撃波を生んだ。内臓が大いに影響を受けて空っぽの胃を強く揺るがし、嘔吐を促す。目の前の魔族の腕は、強くハイドの腹にめり込んでいた。
「いい加減、始めたいんだが、良いかな? 賛成かな? 肯定かな?」
喉元にまで迫上がる苦い液体を、その緑の顔に吐き出してから、ハイドは苦しい表情のまま弱々しく頷いた。
「お、おう。いいぜ」
酷く酸っぱい匂いが鼻に付く。臭いから離れろよと口にすると、思い切り頬を殴られた。
体が宙を舞う。捻りながら体が横回転をして、やがて地面に触れる。ハイドはそこに手を伸ばして爪を立て、地面を抉りながらブレーキを掛け体勢を整えると、
「そらっ」
四つんばいになるその背中に踵が鋭く降り注ぐ。ハイドは地面を強く弾いて、紙一重のところでソレを避けた――――が、ハイドの代わりに踵落としを受けた地面は激しく震え、能力を使用せずヒビを入れて見せた。
「絶対零度ッ!」
魔法を紡ぐと一瞬にして大気は凍りつく。ハイドの凄まじい魔力量を持ってすれば冷気の進行速度を速めることなど赤子の手を捻る次に簡単なことであった。
「地雷設置ッ!」
一息に続けると、ハイドを中心に魔方陣が円を作る。次の瞬間には早くも、目の前のソレは巨大な爆炎を上げていた。
そしてそれは連鎖的に爆発する。凍らされた大気は急激な爆発による気温上昇により――――。
「お、まっ――――」
ハイドは凄まじい爆風に巻き込まれ、空へと巻き上げられた。煙の中、炎の熱さが全身を嬲る中、彼の落下を待てない存在が、予測どおりに高く飛びあがりハイドへと迫る。
恐怖の権化とも為り得る彼が、地上からおよそ想像し得ない速度でせまるものだから、ハイドは思わず胃を上ずらせ、煙を胸いっぱいに吸って、そのせいでむせ返る。その掌に、全身から魔力を集めながら。
「お前アホな事を――――」
「アホはお前だ! 火炎竜の息吹ッ!」
向ける掌に魔族が突撃してくる。空中故に避ける手段も無く、ハイドはそこを狙って魔法を紡ぎだした。
唱えると、掌から巨大な魔方陣が一瞬にして展開され、魔族はハイドに触れることなく魔方陣に突撃する。ある種の、魔法障壁の役割もするらしいと、そこで初めて理解するのも束の間――――そこから、凄まじい炎が砲撃の如く噴出された。
空気を喰らい大気が唸る。魔族の姿は気配と共に炎の中に飲み込まれていった。地面に向けて撃たれる炎の柱はハイドほどの直径を持ち、だがその熱気を感じさせないのは、魔法陣が守ってくれるからである。
灼熱はオレンジから色を変えず、煙に囲まれた上空だと言うのに勢いを殺さず、また逆にその勢いで煙を晴らして行った。
長く感じていたが、そこでようやく、何かが地面に落ちて大きな音が立った。炎が地面に降り注いだのだ。
火炎竜の息吹はそこで途絶え、あとは炎の尻が遠くなって行くのを見守るだけなのであるが――――ハイドは地面が見えると、途端に瞬間移動で視線の先へと移動した。
――――馬車やらが残骸と化していた場所から大きな円を描くように、そこは焦土へと変貌を遂げた。頭の中で、割合綺麗に整備されていたビフォーが過ぎる。
だが、その焦土の中心に倒れる魔族の姿にハイドは胸を下ろすばかりであった。それに安心する頃には既に、環境破壊に勤しんだ自分を反省する心などは忘れ去られている。
「炎は、どうやっても分断できねぇよなぁ?」
事実、彼は燃やされて倒れている。仮に出来たとしても、実行に移せなかった分彼は間抜けに変わりはない。
傷は火傷。故に彼の能力で治すことは不可能である。これで完全に――――終わった。まさか、倒せるなどとは思っていなかったのだが、なにはともあれ、終わったのだ。
安心すると、紅い視界は鮮明な色を取り戻していく。それと同時に、軽減されていたダメージが倍になって帰ってくる。ハイドは思わず跪いた。
「うわ、魔力殆ど無ぇし……」
魔族からは魔力を感じない。意識的に隠しているのだとしたら、とんでもない奴だ。ハイドは確認のために、近くにあった石を投げてみた。
直線で当てる自信は無いために、アーチを描かせる。それは綺麗に魔族へと向かって――――その石に向かって、素早く黒く焦げた腕が動いた。
石が指先に触れると、それは両断され、遂に彼の身体に当たることは無いまま、地面に音を立てて叩きつけられる。小さな音を立てて、綺麗な切断面を見せて、それは空を仰いでいた。
「これで……終わった、と? 終焉を、ムカえた、と。弔鐘がナラセる、と……?」
ビキビキと、錆びた機械のように細かく震えながら起き上がる。途切れ途切れに、発音が不安定に、彼は喋りながら、やがてハイドと同じ目線に起き上がった。
緑から黒へと変色した魔族は腰までの髪を肩にまで減らし、緑に輝く角はススまみれに。彼はそうした姿をそのままに、腕をハイドへと向けた。
「全力、全開――――ッ!」
彼は空気を分断する。はじき出された一筋の真空刃は、ハイドの短縮の障壁によって簡単に防がれてしまった。そこでハイドの魔力も遂に底を尽きてしまう。
だがそれが、今の彼の全力であった。ハイドはどこか悲しげに思いながらも、
「ああ、もうお前は終わりだ」
「く、クク……、正解、ご名答……ご明察」
能力を使用した右手は、自然に崩れていった。ボロボロと、やがてソレが始まりであったように、崩壊の侵食は瞬く間に進んでいく。
「お前は、こっちにくるなよ……完全に、1人になるのは――――知的生命体の死を意味する。ソイツは一番、悲しいぜ? あぁ、孤独なのさ」
腿にヒビが入るや否や、音を立てることも無く崩れ、支えを失った身体は地面に叩きつけられて、やがて炭となった。燻ることの無いソレは、酷く潔く見えた。
「……孤独か。ありがとよ、参考にする」
ハイドはなんとなく、その炭の上を隠したくなる。手ごろな布は無いので、仕方なく自身がまとうブレザーを脱いで上に掛けてやった。穴だらけで、右腕部分が無いのは自業自得なので良い様だろう。
結局、彼の全力とやらはハイドの魔族化のお陰で脅威を見出せなかった。共に実力が近かったせいか、然程困ったことは無かった。だがなんとなく、その心が充実感で満たされている感じがした。
「ハイドさん、大丈夫ですか?」
ノラが歩み寄ってくる。ハイドはそれを一瞥し、森へと足を向けた。
彼女の心配そうな顔は、彼の身体を気遣うものであるが、なによりも、魔族化したことを気に掛けているのだろう。
「安心しろ、人間をやめる気はねぇよ」
多分。無論それを口に出来るはずも無く、ハイドは飲み込むしかなかった。背後では煙を上げる焦土、前方では溜息製造を目論むような鬱蒼とする森。なんの恨みがあるのか――――空からは雨まで降り出した。
「あの魔族の涙雨でしょうか」
「……どうだろうな」
これからのことを考えるとこっちが泣きたい。涙は出ないが泣き言だけはそう吐き捨てて、ハイドたちは生ぬるい雨滴を逃れるように暗い森の中へと姿を消していった。