2 ――魔族《デビルマン》――
「その女を殺せ」
その夕日に黒光りする腕を上げ、ハイドの背にいるノラを指差すカクメイに、ハイドは首をかしげた。
「ちょっと何言ってるかわかりません」
肩をすくませて言うと、
「その女の命を代わりに、お前を生かしてやるというのだ」
簡単に答えるカクメイを見て、ハイドは緊張の糸を切らしたように息を吐いた。
「俺を生かすのに意味はあるのか?」
「女を殺す様を見て、我が喜ぶのだ」
それを聞いてようやく何かを確信したらしいハイドは、腰に下げる剣を抜きながら、背にいるノラへと言った。
「魔物は実際に戦って見なけりゃ強さがわからん。だが魔族は会話するだけでその強さが容易に分かる。何故だかわかるか? 魔族ってのは、人型で高度な知的機能を持つ――――つまり、物事を考えたりすることが出来る事を言うんだ」
「え、えっと……、頭の良さと、比例するから……でしょうか」
前を警戒しながらも顔を回し、ハイドを視界に収めながら答えると、ハイドの首が小さく縦に動いたことが確認できた。
「そう、頭がいいヤツはその知能を駆使して厄介だし、さらに力もある。だから強い。阿呆は力はあっても使い方が悪かったり、そもそも力が魔物より強いだけの、魔族の中では雑魚認定されてるやつとかもいる『らしい』からな」
らしい、というのはハイドが実際に魔族と相対したことは無いため。全ては知識からの引用なので、確信は無いが、自信満々にいう事によって、当たってれば敵に歴戦の勇士だと誤認させ、間違ってれば自分が強いと勘違いしているただの雑魚だと、これまた誤認させることが出来る。
相手に恐怖か、驕りを抱かせれば、相対する者は有利な環境へと導かれるのだ。
ハイドが言い終えると、カクメイはキッ睨み、
「何が言いたい?」
「前言撤回、お前に背を向けても殺されることは無いってことだ。だってお前、雑魚じゃん」
「なっ――――」
怒り、突撃してくる為に腰を僅かに沈める予備動作を見せたその瞬間――――ハイドは高らかに叫んだ。
「今だぞ! ノラ!」
「にぃっ!?」
次いで漏れた言葉に、カクメイは後ろに下げた足に掛けた重心を無理矢理地面に垂直に持っていき、動作を止める。
声を掛けられたノラは、「ふぇっ?」と驚き、間抜けな声を出すばかりであるのに。
そうしてカクメイには致命的な隙が出来た。本来ならば魔族というだけで恐れられ、そんな隙さえも僅かすぎて逃げるために使用されるはずなのだが――――ハイドは頭上に、『先ほどと同じ大きさの火球』を、瞬間的に作り出した。
「燃え尽きろ……『ナパームデス』ッ!」
炎の球は僅かに後退した直後、助走をつけるように大気をすべり、空気を貪る音を鳴らしながら凄まじい速度でカクメイへと迫っていく。
その間で、ハイドは新たなる魔法を紡いでいた。
「耐熱性外套」
ハイドを中心として、足元に魔方陣が展開される。そうして頭上数センチから半透明の白い壁が構築されていき――――それはハイドとノラを包んで、半球を作り出した。
そうして間も無く炎がカクメイを包み込んでいく。そこから広がる烈しい炎は辺りの逃げ惑う魔物を飲み込みんでいった。
勿論、その近くにいたハイドは一番に巻き添えを喰らったのだが、先に展開した炎系統の魔法による効果を受けない防護障壁によって被害は皆無であった。
「や、やったか……!?」
そんな敵に大袈裟な攻撃を当てた際に限り口にしてはいけないであろう言葉を簡単に、意図として言う。
すると――――四方八方、頭上さえも炎に包まれ、何も見えない景色の中。前方の炎がうねり、何かがこちらへと来るのを感じると、
「ォォォォオオオッ!」
唸る獣の声が次第に大きく、膨れ上がり、近づくのを確かだと感じると、直後、人の形をしたソレは、炎を纏いながら障壁の内側へと侵入してきた。
腕が入り、続いて足、と順々にその障壁を通り抜けていく。炎を纏っていたその身体は、障壁の本来の効果によってかき消されていた。
狭い半球の中。侵入したカクメイは翼を折り、疲弊した様子を隠せずに、1メートルに満たない距離を開けてハイドを前にしている。
「中々……面白い事をするな」
焼け爛れた皮膚が悪臭を振りまく。見るに堪えない火傷の数々を見てノラは顔を背ける一方で、ハイドは抜いたままの剣を、カクメイの首筋に突きつけた。
「あの魔法はキャンセルしたんじゃなく、スタンバイしたんでな」
魔法のキャンセルとは、そのままの意味で、使用した魔力を消費したままで、唱えた魔法を拒否し、実行しないこと。
スタンバイとは魔法を実行はしないが、消しもしない。唱えた魔法は一旦姿を消すが、使用した魔力は空気中に留まるのだ。結果的には魔力を消費したままだが、改めて魔法を唱える際に、重ねて魔力を消費することは無く、さらに準備段階の状態で留まっているので、即座に元の姿を取り戻せるのだ。
普通、魔法を扱うものは1度につき1つの魔法しか実行することは出来ない。故に、スタンバイ状態は、必ず使う魔法で無い限り、自身にとって邪魔に為り得る場合が多いのだ。
魔法をスタンバイ状態にした時に、うっかり致命傷を負った場合。炎の魔法をスタンバイしたのに、相手の弱点属性が氷だった場合など。
わざわざスタンバイを解かなければ為らないか、魔法を素早く実行して次に取り掛かるか。
どちらにしろ、手間が掛かる。
それ故に、あまり使用されないテクニックなのであった。
「改めて聞こう……貴様、名は?」
「二度は言わん」
「……良いから言え」
「二度は言わん」
「ハイドさん、二度は言わんって二度目ですよ」
なんてベタで王道的ギャグをかますと、カクメイは出来た大人のように嘆息した。
「ハイド……なんだと聞いているんだ。それか、なんとかハイドか?」
「ハイド=タンヤオだ」
「タンヤオか……ならば覚えておこう。我が名はカクメイ、次ぎ合った時は命が無いと思え」
それだけ言い終えると満足したように笑顔を作って――――ハイドが何かを言い返そうと口を開いた瞬間、カクメイは瞬く間にその姿を消した。
――――それが透明になったのか、瞬間移動したのかは分からないが、兎も角、ハイド達はようやく魔族を退け、束の間か、あるいは半永久的な平和を手に入れたのだ。
ハイドは指を鳴らす。すると――――辺りに広がっていた炎を、半球状の防護障壁も全てが消え、残ったのは、炎が及ぼした二次災害の火災だけであった。
ハイドが放った『ナパームデス』は消えたが、その『ナパームデス』が草原に火をつけたら、その火は魔法とは関係ないものとなり、魔法を解除しても消えない。
ハイドは改めて水属性の魔法を唱えて消火活動に勤しむと、空は既に薄紫に染まり始めていた。