173話 シデンの執務
タシュバーン皇国の皇太子であるシデンは、自らの執務室で机に向かって座っていた。
金色の髪は太陽のように燦然と輝き、碧眼は深く透き通った海のように美しい。
事務作業にも関わらず背筋をピンとのばして隙を見せず、執務中というよりは、いつでも戦場で剣をふるう戦士の雰囲気が漂っている。
甲冑を身に着けていなくても肩から背中にかけてのしなやかな筋肉は、強者としての堂々たる風格がにじみ出ていた。
するどい顔立ちは彫刻家が作ったように整っていて、少し日焼けした肌が野性味をあたえていた。
シデンの机の上には書類が山積みになっている。
軍事報告書、外交文書、内政に関わる政策案。
冒険者としての依頼の合間に国に戻ると、それぞれの書類に目を通して指示を出したり、皇王である父へ提案を投げかけることになっていた。
シデンはペンを走らせながら、時々ふと視線を窓の外へ移す。
眼下には青空と建物が立ち並ぶ首都が広がっていて、平穏な日々の景色を確認する。そしてまた、書類の作業へと戻っていくのだ。
その時、執務室の扉が軽くノックされた。
「……シデン様、皇王様がお呼びです」
向こうから聞こえてくる声には、独特の甘さと厳しさが混ざり合っている。
扉が静かに開かれると、現れたのは大きな黒い翼を持つ魔導士――リオラだった。
褐色の肌が艶めかしく輝き、背中から飛び出た巨大な黒翼が彼女を神秘的な存在に見せている。豊満な胸元から引き締まった腰や脚へのラインは、男性でなくても思わず見とれてしまうほどだ。
凛として立つ威厳のある立ち姿は、リオラがただの召使いではなく一流の魔導士であることを示していた。
「分かった、すぐに行く」
襟を正したシデンは、毅然とした表情で皇王の元へと向かうのだった。
*
「――以上が、ハルベルトとの戦いの詳細です」
シデンは王座に腰掛ける父――皇王に向かって報告を終える。
軽く礼をすると、一歩下がって背筋を正した。
エルトベルク・タシュバーン・レンダーシアの連合国によるハルベルト帝国との戦いは、連合軍の勝利に終わった。
カズヤとともにグラハム皇帝の最後を見届けたシデンは、剣聖であったフォンが引き続きハルベルト帝国を治める予定であることを報告した。
詳しい事情は分からなくても、フォンがカズヤの指示に従う経緯をシデンは理解していた。
「なるほどな。明言はせずとも、ハルベルト帝国は我らの味方だということか……」
「それと、例のサルヴィア教会の件ですが」
シデンはもう一つの懸念事項を口にする。
アビスネビュラとサルヴィア教会の関係性について、シデンと皇王は疑い始めていた。
イグドラが黒耀の翼の活動以外のさいに、頻繁にサルヴィア教会に出入りしていたという情報を手に入れたからだ。
「その話は聞いた。奴らがこうもタシュバーンに食い込んでいるとはな。サルヴィア教会が信用ならないということが確信に変わった」
シデンの報告に皇王は険しい表情で深くうなずくと、重々しく口を開いた。
そもそもイグドラの裏切りが発覚する前から、サルヴィア教会には皇王も薄々不信感を抱いていたのだ。
「父上。アビスネビュラのスパイが、すでに皇国中枢にまで浸透している可能性があります。すぐに手を打つべきかと」
シデンの提言に、皇王の目が険しく細められる。
アビスネビュラは強大だ。
タシュバーン皇国にとっては外交の駆け引きや商業的な利得においても、アビスネビュラの後ろ盾は何かと都合がよかった。
そのためシデンはもとより皇王自身もアビスネビュラの一員となり、一定の距離を保ちながら協力関係を続けてきたのだ。
だが、アビスネビュラが皇国を直接支配しようと計画していると分かれば話は別だ。
すでにシデンや皇王の目の届かないところまで、アビスネビュラの勢力が広がっている。
その計画では、魔導人形による強制的で非人間的な暮らしが国民に押し付けられようとしている。
国を治める立場にいるシデンも皇王も、そんな計画に加担するつもりはなかった。
「皇国の民を人形のように管理するなど決して許されん。だがサルヴィア教会を追放するには、イグドラの件だけでは不十分だ。もっと明確な証拠と揺るぎない事実を示さねば、国民にも動揺が広がる」
皇王は冷静に言葉を紡ぐ。
シデンは父の言葉をかみしめながら、静かな決意を固めていた。
「シデン、お前の力でサルヴィア教会の毒牙を暴け。中核となる教会の真実を暴き、皇国の誇りを守るのだ」
「仰せのままに。必ずや成し遂げましょう」
命令を受けたシデンは、片膝をついて深々と頭を垂れた。
皇王は重々しい視線でシデンを見つめる。
それは単なる命令ではなく、父から息子へ、皇王から皇太子へ、国の未来を託した証しだった。
シデンは堂々とした足取りで玉座の間を後にする。
その背中には、皇国の未来を守るという揺るぎない気持ちが宿っていた。皇都の空にすえられた旗が、風に揺られてひるがえる。
シデンの視線は、遠方にそびえるサルヴィア教会の尖塔を見すえていた。
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