最終話.決着
麗かな昼下がり。その太陽の下を、風俗店を目指して歩く俺。風景は綺麗だが、どこか古めかしい。どこか見知ったようで、しかし知らない街並み。そしてその裏道。
「ともすると、高級な風俗街を歩く心境に似ているかも知れない。そう、昔ながらの……」
そう思うと、不思議と期待が溢れて来るから不思議だ。
大通りから角を二つ曲がり、更に東へ。行く手にとうとう花乱れが見えて来た。店舗の各部に手が入り、確かに変わった感じはあるが、間違いなく花乱れだ。派手さはなく質素な面持ちで、もはや年季さえ感じさせる。
俺は高鳴る心臓を抑えながら、一歩一歩と距離を縮めていった。先ほど、大通りを歩いていても特に俺を気に掛けるものはいなかった。もともと、万次郎はそれほど顔が広い訳ではない。もはや完全にいなくなったものと考えられているだろう。
花乱れ。店頭に立つと、ぐっとこみ上げて来るものがある。
入口から行きたいような、しかし裏口から行くべきなような。悩ましい心境を抱えつつ、俺は暖簾を潜って店舗へ足を踏み入れた。
「いらっしゃい。どうぞ、こちらへ」
落ち着いた、しかし張りのある声が届く。顔はまだ見えない。だが、その声には聞き覚えがあった。
この時間、明かりは外の太陽光だけ。それが小窓や地面を反射して、店内を僅かな光を供給している。俺は履物を脱ぎ、薄暗い店内を受付まで歩いた。ひんやりとした、あの独特の空気が周囲を漂っている。
悪くない、俺は密かに心の中で、自らが残したものを誇らしく思った。
そして、どこか照れくささを感じつつ、下を向いたまま受付に立った。トシだ。まだ、その顔をはっきり見た訳ではないが特徴的な声の響きは間違いない。それには年齢を重ねた響きが混じっていたが、そう大きく変わるものではない。
俺は静かな口調で語り掛けた。
「……夜月という遊女はいるか?」
「夜月さん? あ、ああ、熟女好きかい。彼女なら、熟れ桜にいるよ。お客さん、まだ若いのに珍し……」
トシはだいたい二十年ほど加齢したのだろうか。元々から痩せており、今もその体型は変わっていない。顔には、いい形の皺が刻み込まれているが、まだ肌には張りがあるようだった。充実感のある人生を送った、そんな男の顔だ。
トシがパネルから視線を外し、俺の顔を見ようと顔を持ち上げる。
「……あ、あ、あ……」
声にならない嗚咽に似た声。この時代の人間は、今とは違い、多くの者がその日その日を懸命に生きていた。それだけに感情が豊かで、弥吉もそうだが、まっすぐな奴が多い。
「あ、兄貴! 兄貴……っ!?」
俺は静かに頷いた。
「……色々と悪かったな。だが、よくここまで店を盛り上げてくれた」
途端にトシは泣き崩れてしまった。俺はそれほど人情に厚い訳ではないが、その涙を見ているとこちらもつい涙ぐんでしまう。
「トシ、積もる話はあるが、まずは中の上くらいの遊女を一人、お任せという名目で宛ってはくれないか」
トシは涙を噛み殺しながら、それでも俺にしっかり対応する。
「そ、それは大丈夫ですが、兄貴が遊ばれるんで?」
「いや、恐らく違う。それから、系列店も作ってくれたんだったな、いいぞ、俺の身込んだ通りだ。その後、そちらの方で、選りすぐりの遊女の予約を押さえられるか?」
「分かりました。兄貴の先見の明には、もはや疑いの余地はありません。言う通りにしましょう」
トシが慌ただしく部下に指示を飛ばす。その一連の動作が終わった所で、一人の男が店内に入って来た。
「よう、邪魔するぜ」
「あ、あんたは、あの時の!?」
グラサンの出で立ちは一目見たら忘れられるものではない。そしてトシの喜怒哀楽が一通り終わった所で、それからゲイドリヒが入って来た。俺はゲイドリヒに視線を送ると軽く一礼した。そしてトシに言う。
「こちらの方のご案内を。後は先の通りで頼む」
「へい!」
トシは昔を思い出したのだろう、嬉しそうな表情を抱えて、ゲイドリヒを静まり返った上階へと案内した。
トシにその後の流れを任せ、俺とグラサンは外に出ると、静かな小川の流れに向き合った。幾ばくか翳りを見せた天を映し、水面は穏やかに波打っている。
「今後、この世界で人間たちが何をしていくか、それが天空にとって利となりうるか。それがゲイドリヒ殿にとって、貴様の審判材料となるようだ。まあ、保留という形だが、先行きはまだ不透明さがある。今はこの世界を少し見てみたいとのことだ」
俺はまずは小さく安堵の溜息をついた。
「後は天に運を任せるしかないということか。そう、神様たちにな」
「ふん、バカめ、そうなると結局自分たちに返って来るだけじゃないか。さて、今後の貴様の話だ。ドルンドルンの魂は、貴様同様、現在は他者に転移しており、そこでのんきにやっている。貴様はどうする? 勝手を言ってすまないが、前の世界に戻すことは出来ないが、この世界の何者かになら、その魂を固定させることは出来そうだ。そこで一人の人間としてやっていくのもいい」
「そうか、それなら、最悪、空となったドルンドルンの肉体を審判に掛けて、俺とドルンドルン自体は別地域で宜しくやっていくという事も出来るんだな……」
ドルンドルンとしての生に対し、名残惜しくないと言えば嘘になる。だが、審判の見通しが分からない以上、ドルンドルンに拘泥せず、パンドラに転生して宜しくやっていくのが楽かも知れない。
「……とまあ、一応はそういう名目だがな、ゲイドリヒ殿はそういう方じゃない。完全に納得している訳ではないが、貴様との対決に敗れたことは認めており、そのけじめはつけるさ。この風俗行脚は口実だ。神々の世界にもこんなサービスはない、彼だって興味はある。この世界がすぐにでも潰されることはないだろう」
「ふふ、あなたもだろう、グラサン?」
「まあな、男三人、連れ立って遊ぶのも悪くない。貴様も、自分が遊びたくてこんな世界を作ったのだろう?」
「し、失礼な。まあ、最初はそうだったが……」
「冗談だ、半分はな。いずれにせよ、貴様は上手く神をやったものだ」
それから俺たちは声を上げて笑い合った。
今の今まで、俺は風俗店に行く際はいつも一人で開拓していた。今、初めて戦友を得た気持ちになった。
俺は存外真面目な顔をして伝えた。
「さっきの答えだが、ドルンドルン本人が良いと言うのなら、俺はドルンドルンとして生きてみたいと思う。俺にはまだパンドラを見守りたい気持ちがあるんだ」
「そう言うと思っていたよ。貴様がそれでいいなら、それでいいだろう」
その後、微笑ましく寛いでいる俺たちに向かって、慌ただしい足音が迫って来た。
「ド、ドルンドルン、どうやら次の店も、既に予約してくれていると店員氏に言われたが、本当か!?」
軽い焦りと期待が混じった、ゲイドリヒの良い声が響き渡った。俺とグラサンはまたも吹き出し、新鮮な感情を味わった。
「はい、手配済みです。お任せになりますが、良いですか。きっと良い経験になるものかと」
「もちろんだ。誰が出るか分からないというのは全く面白い。ふむ、これが人間たちの享楽というものか、実に驚かされるばかりだ」
ゲイドリヒは照れ臭そうに少し空を見上げた後で、改めて俺たちに向き直った。
「ドルンドルン、及び、ここはパンドラと言ったか。宜しい、もし今後、審判で君に敵対する者がいれば、私がその者らを説得すると約束しよう。そ、それで良いか、早く次の店に案内しろ!」
「ありがとうございます! では、参りましょうか」
それから俺たちは三つの影となって、やや傾いた陽が照らす、暖かな路地裏へ笑いながら消えて行った。




