9.地上へ
「おう、ドルンドルン」
宮殿内部に戻って来た所で、俺は運よくレヴォンに会うことが出来た。
「レヴォン、昨日はすまなかった、突然気分が悪くなって……」
「気にするなよ、しかし、そういうものでもないように感じたぞ? 何かあるのなら素直に言えよな」
俺はレヴォンになら、俺の置かれている状況を、打ち明けてもいいかなと思えて来た。しかし、この世界の危険性の一端について、ついさきほど垣間見たばかりだ。本当に身動きが出来なくなるような時まで、俺は俺に関する事柄を、自分の中に秘めておかなければならない。
「最近、ちょっと全体的に調子が悪いんだ。そろそろ仕事もしなければならないのに」
「まあ、管理者の仕事っていうのは俺たちとは違うからな。気が乗った時にでもすればいいんじゃないか。何か悩みがあるのならルナータあたりに相談してみろよ」
「ルナータ、か? あ、ああ、そうだな」
ドルンドルンの記憶の消失が早過ぎたこともあって、俺は何もかもを手探りで進めていかなければらない必要性に迫られている。信頼できる相手も分からず、こればかりは社会人として培ってきた勘で対処するしかない。
今まで、俺は外回りも含めて、外部の人間とやりとりすることが多かった。その中で、信頼できる人間や集団に辿り着く大変さも知っている。組織とは、誰が何に繋がっているかも分からず、それを軽視した結果、ふとした契機に疑心暗鬼に陥りかねない。
現在、俺にとって最も信頼できる相手はリプリエぐらいだろう。ルナータとマニラはまだちょっと分からない。レヴォンだが、まあ問題ないようにも感じるが、俺は過去、この手のタイプに裏切られたことがある。レヴォンに対して申し訳ない気はあるが、それが尾を引いているようで、今一つ信頼出来ないのだ。
とはいえ、レヴォンの今の情報は最高にクールだ。会話の流れ的に、ルナータが管理者である可能性も高い。関係修復、マニラの髪留め、管理者としての仕事の仔細。それらが一気に進展する可能性もある。
俺はレヴォンからルナータの居そうな場所を聞いて、それらを一つずつ歩いて回ることにした。
その中でいくつか気が付いたことがある。まず、この辺はいわゆる下級神のエリアのようなもので、場所によって、研修やら講義やら、何やら難しいことをしている部屋もある。
プログラムには、元素制御、奇跡創造、祈りと瞑想など、他、様々なものがあった。それらの講習の多くは任意のようだが、やはり神々も階級社会、どこもそれなりに賑わっている。
「やれやれ、神々も大変だな」
すると、俺のぼやきに冷たく応えるものがある。
「あんたみたいにならないように、皆、頑張っているのよ」
振り返るとルナータがいた。腕を組み、睨み付けるような鋭い眼差しを向けている。
探していたとはいえ、そう唐突に現れられるのも困りものだ。俺はマニラの髪飾りや、彼女への謝罪を考える前に、俺の身に起きた異変について思い起こしていた。
男とは奇妙なもので、これが好きだ、という絶対に近いものがありながら、理由なく他に目が移ってしまうことがある。
俺は普段、それなりにバランスがいい身体つきが好みだが、しかし時にそれが大きくなったり、スレンダーになったりもする。というより、実際にはそれほど拘りはない。大が小を兼ねる訳でもあるまいし、その時々の気持ちに従うのが、最も利口な生き方だ。
つまり、ルナータに対し、俺がいつ強い気持ちで発情を開始しても、おかしくないということだった。そしてそれはルナータの不調に繋がってしまう。マニラに加え、ルナータまでもそうなってしまえば、彼女らの疑惑は確信に変わるだろう。
「そうは言われても、俺は思うんだ。どうして、人間たちの神というだけで、こんなにバカにされなければならないのか」
ルナータは俺をじっと見た。呆れているように見えるが、その中に、何か興味深いものを見付けたような、そんな感情が見え隠れしているようだった。
「……まあいいわ、私もちょうど地上に降りるから、一緒に行きましょうか。答えは自分で探しなさい」
俺はルナータに同意を示し、少し距離を置いてその背中を追った。
マニラの件で、未だ俺は軽い賢者モードにある。最高潮まで昇り詰めようとしたものが、一転して最下位に転落したのだ。しばらくは、下手な劣情が顔を擡げる心配はないだろう。
そして大事な事がある。先の情欲を鎮めることが出来たのは、決して偶然ではない。俺自身の意志でそれを行えたという事実が、強力に俺を支えていた。神たる者として、一つレベルアップが出来たのではないだろうか。
「階段でいい?」
「ああ、構わない」
それらしく答えたが、そもそも俺の返事は限られている。他に知識がないのだから仕方ない。全て彼女に従おう。
俺たちは宮殿の深部に向かった。一本の巨大な通路が中央を走り、左右には大小様々な部屋が並んでいる。部屋は手前のものほど大きいが、扉が閉まっていて内部の様子は窺い知れない。
俺たちは次々に現れる部屋を横目に通り過ぎ、通路の最奥部へ向かった。歩くごとに照明が減光され、奥の方ほど薄暗い。
最奥にたどり着くと、いくつもの鳥居のような構造物が建っていた。その一つ一つの先には、鈍い光が満ちている。光の向こうは輪郭がぼんやけており、はっきりとした何かが見える訳ではなかった。
それはちょうど、ドルンドルン邸にあった異世界への扉に似ている。昨日、ドルンドルンの意思に導かれ、その中に身を投じていなければ、この光景を前に、俺は幾ばくかの恐怖を抱いたことだろう。
「ねえ」
ルナータが小さく呟いた。声色からはその心理は読み取れない。ルナータは歩みを止めず、一定の速度で鳥居のようなものへ歩を進めていく。
「何だ?」
改めて思ったのだが、ドルンドルンは一体どういう人物だったのだろう。俺はルナータやレヴォンに対し、何となく立場が近いような気がして、打ち解けた口調で接している。これに関して、そこに大きな差異があるのなら、既に彼らから変な疑いを持たれていても仕方がない。
しかし、もはや気にしていても仕方がない。様子が変わっただとか、変だとか言われても、これ以降は俺が作り上げるドルンドルンを見て貰わなければならない。
ルナータは不意に立ち止まると、息を吸って、小さな声で尋ねた。
「……サービス地雷、ってどういう意味?」
ここでそれか、と俺は思わず身構えた。
さて、サービス地雷という言葉は、一見すると専門用語のようで、意外と幅広く使用されている。俺は緊張を隠しながら、言葉を継いだ。
「気が強そう、っていう意味だ。気を悪くしたのなら謝る、すまない」
一般に、女性に向かって気が強そう、というのは誉め言葉には当たらないだろう。また、俺がそこに深い意味はないと考えていても、そうでない者もいる。ルナータがどの程度の意味合いで、その言葉を受け取っていたかは分からない。
俺は、言葉を紡ぐルナータの表情を、それとなく注意して見ていた。
「あら、そんなこと? いや、聞いたことない言葉だったから……」
ルナータがいじらしく見えた。前髪が瞳に掛かり、その奥に澄んだアメジストの輝きがあった。少なくとも怒気は見当たらない。俺はほっと胸を撫で下ろした。
ルナータはそれ以上は語らず、再び歩を進めた。そしてそのまま、俺と彼女は、鳥居のようなものの中に見える空間の門を潜った。