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3.運のない男とミスルトゥの小枝


 グレンとハリエットの結婚は、あくまで親王家・王権強化政策の一環である。

 愛があれば尚良し、無ければ無いでどうとでもなる夫婦となる予定であったがグレンに心を寄せる相手が出来た。


 最初は、軽い浮気心であったかもしれない。


 決められたレール、決められた結婚。


 不意に現れた少女に心奪われたことは事実だ。


 ハリエット・ルーディンは、良くも悪くも貴族らしい女性であった。


 そう見えていた。

 きっとグレンは、彼女の対外的な側面しか知らず勝手に思い込み侮ったのだ。


 全くもって、してやられたと彼は独り砂を噛む。


 第一王子とグレンは、二〇才歳が離れている。第二王子とは十七だ。甘やかされた末っ子は、愚かで傲っていたのだろう。ハリエットとの婚約は、彼女が十七になって直ぐに結ばれたものでニ年になるが、その間グレンが彼女に歩み寄ろうとすることはなかった。


 その二年でハリエットは、彼の元に嫁ぐ価値なしと判断したのだろう。


 グレンはシンシアのことをただの親密な友人の一人としか考えていなかった為、その血筋までも調べなかったがハリエットは彼女の存在が知れた翌日には調査依頼を出している。


 そこで判ったのは、ハリエットとシンシアは立場を入れ替えることが可能という事実であった。


 イディーランドは元々近隣諸国と違い王族と貴族、臣下との間の結婚は許されている。グレンがその気になれば、シンシアとの婚姻は可能であった。


 しかし、同じ貴族でも親王家や王権強化といった政略面でシンシアではハリエットには敵わないと判断したグレンは、恋人としてシンシアを囲いハリエットと婚姻するつもりでいたのだ。


 しかし、ハリエットが手にした調査報告書には、問題とされていた出自条件が満たされる内容が書かれていた。


 シンシアの父親であるエルンスト・シャループの祖父は、イディーランドと隣国アシュー王国が同君連合体制だった頃のイディーランド国王の従弟であるサクス公爵フレデリック王子だったのだ。


 エルンストは『王子』の称号や『殿下』の敬称は有していないが、前王朝の男系子孫であることは違いないため、古き血に連なるシンシアも親王家・王権強化の条件は満たしている。


 調査報告書を読んだハリエットの決断は早かった。


 彼女に誤算があったとしたら、それはグレンと二人だけで話し合うはずの場が、なぜだか円卓会議のような仰々しいものになってしまったことだろう。

 とはいえ、その誤算によりシンシアを磨き上げる取り決めがスムーズに行えたのだから、それはそれで僥倖だったのかも知れない。


 茶館での一幕から半年ほど経て、王室から正式にグレンとハリエットの婚約解消が発表された。


 二人の関係解消について、様々な憶測が飛び交ったものの一番有力とされたのが『身分を隠して出会った二人の運命の恋』というものだった。


 実際、茶館での逢瀬やハリエットではない女性をエスコートする姿が目撃されていたこともあり、噂は真実であろうと人々は受け入れた。


 そして翌年、グレンとシンシアの婚約が発表される。


 ハリエットが讃えたように、シンシアの陽だまりの妖精のような可憐で愛らしい容姿は人々に歓迎された。

 またその血筋も申し分ないと、概ね良好だ。


 国民は、彼らの結婚を待ち望んでいる。


 グレンとシンシアの婚約が発表されるひと月前、ゲイリー・ジュリアとハリエット・ルーディンの挙式がリザベ大聖堂にて行われた。


 過去に、ハーレフ公アンドルー殿下が挙式したことで知られる国民憧れの寺院である。

 式当日、寺院の前には二人を祝うために二千人近くの人々が集まった。


 人々は手にルーディン家の紋章に描かれたセントーレアの花を持ち、髪や帽子にジュリア家の紋章に描かれたミスルトゥの小枝を飾って二人の結婚を祝福した。


 これほどの人々が集まるとは思っていなかった両家は対応に追われたのだが、人々が集まった原因は、二人と竹馬の友であるネイサンが国民の四割が購読していると言われる日刊冗舌新聞(デイリーハーパー)からハリエットがグレンとの婚約解消後、一転してゲイリーと結婚に踏み切った事についてインタビューを受け、ついうっかりゲイリーの捻れ拗らせた初恋が紆余曲折を経て実ったのだと口を滑らせたからだった。


 式部卿の家に軍務伯の娘が輿入れする慶事は、政治的な意味合いが強いと思われていた為、この暴露は大いに話題を呼んだ。


 幼き頃はネイサンを意識してハリエットに気持ちを告げることが出来ず、漸く腹を決めハリエットの初めての宮廷出(デビュタント)廷のエスコートを申し出たまでは良かったが、今度は婚約を申し込む前に彼女とグレンの婚約が決まってしまい言い出せず。


 ハリエットとグレンの婚約が白紙に戻った後は、ハリエットに求婚するために彫り上げた木のスプーンをサロンでネイサン達に披露していたら、酔っぱらいによる不幸な事故で真っ二つに折られてしまったりと、運に見放された男と彼の恋心に気が付かないご令嬢の幼馴染だからこそ知る噛み合わないエピソードをネイサンは赤裸々に記者に話し、記者はそれをほぼそのまま記事にして新聞に載せ、記事を読んだ市民達は、恋する男の余りの不幸ぶりに笑いと時に涙を誘われて二人を祝福するに至ったのである。


「ハリー!」

「ハリー!!」

「ガーズ!」

「ガズー!」


 集まった民衆の前に、式を終えたハリエットとゲイリーが姿を現すと人々の熱は一気に高まり、二人を祝福する歓声はツーブロック先のリザベ宮殿にまで響いたという。


「これほど多くの人々に、祝福されるとは思いませんでしたわ」

「ああ、私もだよ」


 大聖堂から外に出て、寺院の門の向こうに集う人々を見たハリエットが感嘆すれば、ゲイリーもまた自身の腕の輪に通されたハリエットの細い指に優しく触れながら微笑む。


「君と結婚できるとも、思っていなかった」

「あら」


 心底驚いたというように目を丸めるハリエットに、ゲイリーは彼女にしかわからない程度におどけて見せる。


「君も日刊冗舌新聞を読んだだろう?」

「ええ。とても興味深く拝見させていただきましたわ」

「私は、運のない男だからね」

「まぁ……」


 クスクスと笑ったハリエットはブーケで顔を隠しながらゲイリーの耳元へと唇を寄せる。


「ミスルトゥの花言葉は、『困難を克服する』ですわ」


 今度は、ゲイリーが目を丸める番だった。


「セントーレアの花言葉は、『幸運』ですのよ」


 驚いた顔で間近にあるハリエットの瞳を覗き込むゲイリーに、ハリエットは優美な微笑みを返す。


 そのまま鼻先だけが触れ合うキスを交わした。


 遠目からでも分かる仲睦まじいノーズキスに、その日一番の歓声が響いたと二人の結婚を報じる新聞記事は締め括っている。


 ネイサンは読んでいた新聞をテーブルに置くと記事の内容と目の前の二人の乖離に呆れた笑いを零す。


「君たち新婚なんだよねぇ?」

「そうですわ」

「ああ、そうだよ」


 何を当たり前な。とでも言うような視線を二人から向けられ、ネイサンは解せぬと首を傾げる。


「その新婚が、なんで僕のオフィスに来て仲良くお茶を飲んでいるのかな?」


 本来なら新婚旅行にでも出掛ける準備で忙しい筈なのに、なぜだか他人の職場で茶と茶菓子を所望し、優雅に寛いでいる夫婦に困惑が隠せない。


「新しい乳香が入ったとキャプテン・ヒューゴからお知らせ頂きましたの」


 ネイサンの頬がひくついた。


 新たに買い付けてきた乳香は、今までのスモーキーかつスパイシーな香りの中に、ほのかに果物様の甘い香りと酸味が混ざったものに比べ、渋味が少なく、よりフルーティーで奥深い芳醇な香りでありながら甘い軽さとのバランスに優れた極上の逸品だった。


 どのようにヒューゴが手紙に綴ったかは知らないが、わざわざハリエットが直接足を運んできたのだ。彼女の興味をひくには十分過ぎる熱量が手紙に込められていたに違いない。


「あのクソジジィ」


 陸に上がると言っていた老キャプテンは、陽だまりの妖精に知識と知恵を授けると同時に昔、子供(ネイサン)達が目を輝かせて聞きたがった冒険譚を語り聞かせているうちに、再び海に出たくなったそうだ。


 今ではシンシアの子供に新しい冒険の物語を聞かせるのだと張り切って航海に出ている。


「私は、麦の買付の話をしにきた。ポーレの大洪水の話は聞いているか?」

「ああ。十日経っても水が引かないらしい」


 未来の大侍従卿は、王宮の食物庫の世話まで始めたらしいとネイサンは目を細めた。


「ポーレから我が国は麦を輸入している。だが、このままではあの国は飢饉輸出をしかねない」

「だろうねぇ」


 国の一割が水に浸かったあの国の農作物の被害は甚大だ。いち早く外貨を手に入れ、国を立て直したいところだろう。


「そこで、ポーレからの麦の輸入は一時見合わせアラヤの蕎麦を多めに買い付けるよう議会で話が出た」

「ほう」


 ここに話を持ってきたということは、本決まりなのだろう。近々政府から通達が来るから構えて待てと言うことであろうか。

 チラリとハリエットを横目に見たネイサンだったが、行儀よく茶菓子を口に運ぶ彼女から汲み取れるものは何もなかった。


「そして、国の食糧貯蔵庫から麦の備蓄分を放出する」


 そちらが本題か。


 ネイサンは、息を詰めた。


「政府備蓄は約九十八万ロングトン、需要量の二・三カ月分だ」

「なるほど。で?」

「民間在庫を知りたい」


 なかなかに無理難題を持ち込んできたとネイサンは呆れにため息を吐き、背凭れに背を預ける形で天井を仰いだ。


 とはいえ、この巫山戯た垂れ目男のしつこさはハリエットへの恋慕で散々実証され尽くしている。

 早々に諦めたネイサンは不満気な表情を隠そうともせず口を開いた。


「うちの寄託倉庫で、一〇万ロングトン辺りだろう。他の業者から全て出させたところで民間在庫は二百七十八万ロングトンに届くかどうかだ」

「十分だ。合わせれば需要量の六・二カ月分に相当する」


 半年もたせれば、今植え付けている麦が収穫期を迎える。更にアラヤからの蕎麦を流通させれば、さらなる延命も可能だろう。


 但し、商人たちは目の前の商機を国に根こそぎ浚われる事となる。


「お前、いつか刺されるぞ」


 満足気に笑うゲイリーにネイサンは悪態をつき、二人のやり取りを聞いていたハリエットは楽しそうに目を細めた。


「お話が終わったのなら私、乳香を見てみたいですわ」


 さぁ、私を案内なさいまし。とでも言いたげな視線を向けられネイサンは、ゲイリーが持ち込んできた話題以上に渋い顔をして席を立つ。


「一部商談用に店舗の倉庫に持ち込んでいるから、そちらを見せてあげるよ。案内するから付いておいで」


 ネイサンに連れられるまま、一度店舗の外へと出た。

 店舗用倉庫は、店舗とは別の棟になっている。

 一階が従業員の食堂兼倉庫で二階が住み込み従業員の住居だ。


 倉庫に近い従業員出入り口からではなく、表玄関から出入りする。


 ゲイリーにエスコートされながら、ふとハリエットはボーグラン商会の看板を見上げた。


 ハリエットが足を止めたことでゲイリーも止まり、二人が立ち止まる気配にネイサンが振り返る。


「ゲイリー。あなたは忘れてしまっているみたいだけれど」

「ん?」

「私たち、初めてあった日にキッシング・ベルの下でキスをしたのよ」


 ボーグラン商会の玄関扉には、赤いリボンで括られたミスルトゥの枝と呼ばれる束が飾られ、看板にも赤いリボンと鈴で飾られたミスルトゥのリ(キッシング・ベル)ースが吊り下げられている。

 これらは、客人の身の安全は保証するという意志表示だ。昔、旅をするのが困難な時代だった頃に始まった旅人を歓迎するという目印である。


 旅人=訪問者を歓迎するとして、商いを生業にしている家では扉や軒先に年間通して吊るしている所が多い。


 幼き日、ネイサンと共にボーグラン商会に訪れたハリエットは、ミスルトゥの枝の下で彼と抱き合った。


 ミスルトゥの枝は、キスの枝とも呼ばれ、その下でキスをした者同士は幸福な結婚が出来るという言い伝えもある。親族同士での抱擁は、健康と幸福を祈るという意味だ。


 ネイサンの祖母とハリエットの祖父はいとこ同士の為、ネイサンとハリエットは遠縁の親戚にあたる。

 二人は商会を訪れるたび、この花束の下で互いの家族の幸福を祈って抱き合うのが当時の習慣と化していた。


 その日は、ゲイリーもレズリー侯爵に連れられ商会に訪れていた。

 ハリエットに淡い恋心を抱いたゲイリーは、ネイサンと抱き合う彼女の腕を強引に引き寄せ、白桃のような柔らかな頬にぶつけるようなキスをしたのである。


 子供の戯れであるが、頬を打たれたような衝撃を受けたハリエットは大泣きし、その泣き声に建物の中から出てきた大人達は大慌てでハリエットを抱き上げると必死にあやした。


 事情を聴こうにもハリエットが泣き出したことでショックを受けたゲイリーも泣き出すという共鳴現象に為すすべがなく。

 子供達の傍に控えていた護衛達も一瞬の出来事で何があったのかはわからないと首を振った。


 唯一、冷静に成り行きを見ていたネイサンは「前途多難だねぇ」と、とても四歳児とは思え無い物言いをしたあと黙ってしまい何があったのかは有耶無耶に、とうとう最後まで大人達が知ることはなかった。


「嘘だ……」


 懐かしそうに思い出話をするハリエットとは対照的にゲイリーの顔は青い。


「まぁ、君としては忘れたい過去だろうねぇ」


 大好きだったハリエットを泣かしたのだから。とまではネイサンも口にすることはなかった。


「でも、本当に忘れてしまわれるとは思いませんでしたわ」

「何ということだ。ハリエット……!」


 珍しく唇を尖らせ、拗ねた顔を作る新妻にゲイリーは、この世の終わりのような顔をする。


 その余りに悲壮感漂う表情に、堪えきれずハリエットは破顔した。


「愛しておりますわ、旦那様」




 困難を克服し、幸運を手に入れた男の話と運命の恋に導かれた二人の話は、民衆の心を掴み語り継がれていく。



 噂の背景に、暗躍する栗毛の天使がいたとか、いなかったとか……。



お付き合い頂き有難うございました。


今回、相手役は予定通りだったのですが

着地点が当初の予定と異なる結果となりました。

お話って難しいですね。

毎回、色々と勉強になります。



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