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2.円卓会議【後】


「王妃教育はどうするつもりだ」

「王妃、教育?」


 シンシアを含めた全員の頭の上に疑問符が浮かぶ。


「君が婚約者となってから今まで、君には王家から王妃教育が施された筈だ。それをシンシアに短期間で修めよというのは無体な話ではないか」


 どうだと言わんばかりに胸を張り、椅子に反り返るグレンを見て、ハリエットは気持ちを落ち着けるため小さく息を吐いた。


「殿下、我が国には王妃教育などございません」

「なんだと?!」


 哀れな子と嘆くのは簡単だが、これでも一国の王子である。

 見捨てることは出来ないため、彼が覚え違いや思い違いをしていた場合は、その都度訂正してきたのだがこのような場ですらそれを行うことになろうとは、とハリエットは少し悲しくなった。


 最近、上級市民(ジェントリ)の間で広まりつつある花嫁教育(プリンセスレッスン)は、貴族の間では当たり前に各家庭で幼少期から施される基本教育である。


 それを貴族間で、より高水準の家庭教師を紹介するならいざ知らず、やり直させるなど家門を馬鹿にされたも同然。


 元の身の上が平民であり、礼儀作法、語学、歴史、芸術、交際術などの教養が及第点に届くかどうかな者を迎え入れる場合にのみ、迎え入れる側から家庭教師を派遣し家格にあった水準まで叩き上げることはよくある話だが、学ぶ環境が整っていたにもかかわらずプロトコール・マナーが身に付いていない、身に付けさせようとしなかった一家家門から配偶者を選ぶなど愚の骨頂と思われる行為である。


「どこかの国とお間違いか、民草の読み物の影響でしょうか」

「う、うるさい」


 そこはかとなくハリエットが自分に落胆していると伝わり、グレンは慌てて食い気味に上体を前に傾けた。


「そう言えば、陸を渡り海を越えた先にある東方の国、オリエンス皇国は皇家にのみ伝わる儀礼があるのだとか?」


 一瞬、グレンへの助け舟にも思える言葉をネイサンが挟んだ。

 ハリエットの目がスッっと細まり、ネイサンに向けられるがすぐに元の大きさに戻りグレンを映す。


「オリエンス皇国は、我が国と宗教が異なりますゆえ教会が執り行います祭祀も、神の血筋たる皇家が為さるとか。其のため、皇家に嫁がれる方は多くを学ばれるそうですが、我が国には教会がございますので」


 そういった特別はないのだと言葉に含める。


 そもそも、ハリエットのルーディン家が叙されているマクパート公爵位は当主が世襲で軍務伯を務める古い貴族だ。軍事上の争いを管轄した法の番人であった軍務伯は、今は王室関連の典礼を司る儀礼面が主任務となっている。

 その娘であるハリエット・ルーディンに国際儀礼を含むアレコレを王家がやり直してるとグレンは言ったのだ。着火剤要らずの人体発火である。


「あの、グレン様」


 シンシアがグレンの袖を引く。


「どうした」

「グレン様は、第三王子ですよ」

「んんんー?」


 誰しもが気付いていながら黙っていた事をシンシアは真っ直ぐに斬り込んだ。


「王位継承順位第一位は、第一王子であるハーレフ公アンドルー殿下。第二位は、アンドルー殿下の第一子ディヴィッド王子。第三位は、同じくアンドルー殿下の第二子アーサー王子。第四位に第二王子、スプリングフィールド公爵ルーカス殿下。第五位に、ルーカス殿下の第一子マーティン王子。第六位が第三王子のグレン様です」


 国民であれば。市民学校に通う年齢の子供にでもなれば、誰しもが知っている序列である。


「ですから、王妃というのはちょっと……」


 人当たりの良さと華やかなれど控え目な可憐な見た目から誤解されやすいが、彼女は浮ついたところは少なく芯のしっかりとした女性であった。

 勿論、将来はジェントリとなる身の上である為、貴族としての社交術より上級階級として身を立てる学習に余念がなく、そこが貴族として足りてないと誤解される要因でもある。


「……何を言っているか、分かりませんね」


 見た目の愛らしい小型犬に手を伸ばしたら、実は窖に入り込み獲物を追い立てるように改良された狩猟犬で見事に手を咬まれた。

 そんな状態であろうか。


「殿下。殿下は、婚姻後ヴェーゼル公爵への叙爵が決まっておりました」

「な……」


 固まるグレンに、やれやれと溜息を吐きたくなるのを堪えハリエットはオラシオを見た。


「ねぇ、オラシオ。二つ上のミネルヴァ様は、刺繍の名手とお聞きしましたわ」


 オラシオのすぐ上の姉であるミネルヴァは、趣味は狩猟と乗馬という能動的な女性である。

 腕前も中々で、少々荒気ないやり方も厭わない性格となれば、男性陣からは敬遠され縁談が纏まらないと有名な令嬢でもあった。


 そんな彼女が別の方面で名を轟かしたのは、つい二年前。


「そうだね。なかなか纏まらない縁談の苛立ちを紛らわせるために打ち込んだ刺繍が、まさかの才能開花でキューザック家に衝撃が走ったよ。本人は、嫁に行かずとも刺繍で食べていけると今ではすっかり芸術家気取りだ」


 元々捌けた性格の彼女は、逞しく生きる道を見つけたのだろう。


「ミネルヴァ様に、シンシア様への刺繍の手ほどきをお願い出来るかしら?」

「勿論さ。次の展示会までの作品作りに入った所だからね。丁度いい息抜きになるだろう」


 オラシオの返事に微笑み、隣に座るカラルへと視線を移す。


「カラル」

「なんだろう」

「シャイマン先生はお元気かしら」


 シャイマン夫人を敢えて先生と呼んだ意味を察したのだろう。カラルの表情が僅かに緩む。


「ああ、最近めっきり生徒が減ってしまってね。母さんは暇を持て余しているようだ」


 シャイマン夫人のプロトコールレッスンは厳格で、彼女の手解きを受けた令嬢は必ず成功するとまで言われている教育界の重鎮である。


「シンシア様をお願いしても?」

「三日後からカラレンツのタウンハウスに来てもらって構わない」

「子爵家では語学に力を入れていたみたいだから、教養と社会的なスキルに重点を置いてもらいたいわ」

「伝えておこう」


 頷き合い、最小限の動きで相互理解を確認する。


「ネイサン」

「何かな?」


 今度は僕の番かい。と微笑む天使の巻毛が魅力的な栗毛の優男ほど気が置けないとハリエットは知っている。


「ボーグラン商会の商船はお戻りになって?」


 資産家のミラー家は、商会をいくつか所有していた。


「ああ。無事、ダフニ島から大量のガムマスティック・ガムを積んで戻ってきたよ。キャプテン・ヒューゴの最後の航海だったからね、暫くは陸を満喫するそうだ」

「でしたら暇ね」


 海と酒をこよなく愛する顎髭が特徴的な老キャプテンは、幼い頃からネイサンと交流のあったハリエットも数回会った事がある男だ。


「暇かどうかはわからないが、若い女性とのお喋りはあの老体をもう一度海へ戻すくらいの元気を与えるかもね」


 いつも彼の肩にはお喋り好きのパパガイが乗っていて、小さな頃はネイサンと二人密かに憧れたりもした。

 そんな彼の鸚鵡が、彼の肩ではなく船長室で物言わず佇んでいるのを見た時、近く彼は船を降りるのだろうと意気消沈したのも記憶に新しい。


「シンシア様に、国際情勢をご教授頂けるかしら」

「否とは言わせないさ」

「最新のものよ」

「船乗り達の情報は、海燕が如くだよ」


 海を航る彼らの噂話は、貴族のそれよりずっと疾い。


「愚問だったわね。各国の輸出入、海外労働者の外国送金(レミッタンス)の比率も分かるようなら教えて欲しいわ」

「なかなか攻めるねぇ。いいよ、来週には整えよう」


 聞く人によっては、幼馴染の軽口と言うには物騒な内容だが短期間で仕上げるのだから致し方無い。


「ゲイリー」


 最後に隣に座るゲイリーにハリエットが顔を向ければ、彼は厄介事に巻き込むなといった表情を浮かべながら、瞳は悪戯な光を帯びて輝いていた。


「私は何もできないよ。式部卿が協力できることなど王族に毒を飲ませるくらいだ」


 感情の起伏のない平坦な声は、冗談も冗談に聞こえない。


「ゲイリー?!」


 それまで流れるように話が決まっていくのを見ているだけだったグレンが初めて声を上げた。


 大侍従卿とも呼ばれる式部卿の仕事は、使用人やその他の人員も含む王宮内のすべての管理だ。

 式部卿がそっぽを向けば、暗殺など庭の花を摘むくらいに簡単な事になる。


「それはやめて」

「おや、残念」


 目が据わるハリエットに、ゲイリーは肩を竦めてみせるがやはりここでも声は平坦で彼の本気と冗談の境目がわからない。


「式部卿の名前で、シンシア様の名前の入ったロイヤルワラントのメゾンへ紹介状を用意して下さる?」


 どうやら身支度一式を揃える気らしいと察したゲイリーの口がへの字に曲がった。


「妃殿下御用達のメゾンは、君も利用しているんじゃないか?」

「式部卿からの紹介状を持って、私がシンシア様をアトリエに連れていきます」


 箔は幾つ付いても邪魔にならない。と言いたげな色が目元に浮かんだハリエットに、降参だと言うようにゲイリーは首を横に振った。


「随分な念の入れようだね」

「相手を批判したくも中身を知らない者は、ひと目でわかる見た目を貶しにかかるもの」

「ふむ」

「幸い、シンシア様は陽だまりに踊る妖精のような容姿。あとは、身を飾るものに少しの細工を」


 今までと此れからでは、シンシアが身に付けているものが変わる。

 それに気付かず、メジャードレスと貶そうものなら血の雨を降らせるつもりなのだろう。


「怖い話だ」


 女同士の争いというのは、とても繊細だ。優しいばかりの気質では押し負ける。

 ゲイリーは、ハリエットからグレンへと視線を移し、隣のシンシアにも目を向けた。シンシアが貴族令嬢として劣っているかといえば、及第点は取れる出来だ。

 だが、ハリエットのような良く出来たご令嬢と比べると見劣りは否めない。そんなゲイリーの視線をどう解釈したのかシンシアが口を開いた。


「あ、あの、ハリエット様。私、そのような裕福なお衣裳を纏えるような資本は」


 財政状況をよく理解しているが故の断りだったのだろうが、ハリエットには通じないだろう。


「友情の出世払いで結構よ。私が持ちます。あなたは何も心配なさらず着飾りなさい」


 思った通りの切り返しに、ゲイリーは冷たく装う表情を崩し、小さく声を漏らして笑ってしまった。


「え、あ、ええっ」


 ゲイリーとハリエットの足並みに、戸惑ったシンシアがグレンに助けを求め彼を見る。

 しかし、グレンも友人達の協力のもとハリエットによって外堀が埋められていく状況に、ついて行けてなかった。


「そうだね。この後の予定を変更したとしても……」


 ゲイリーは、最速でレズリー侯爵に紹介状を書かせる予定を立てているのだろう。目を閉じ、顎に手を当てて考え込む彼の横顔をハリエットは黙って見つめる。


「明日の午前中に、必ず届けよう」


 欲しかった答えに、ハリエットは瞳を輝かせてシンシアを見る。


「シンシア様、明日の午後二時にサンモールハウスに迎えに行きますわ」

「は、はいぃ……」


 ハリエットの輝く笑顔に気圧されたシンシアは、承諾以外の返事を紡ぐ口は持たず。素直に長い物に巻かれてしまった。


「おい、待て。シンシア」

「此後に及んで往生際が悪いですわ、殿下」

「ハリエット!」


 声を荒げるグレンに向けるハリエットの笑顔は、まさに魔女とも小悪魔とも見える婀娜やかさだった。


「もし、わたくしと婚姻後シンシア様と交際を続けられ、秘密の関係が公然と知られるようなことになれば国民が許しません」

「こ、婚約を白紙に戻せば己にも瑕が付こう」

「結婚前です。ロマンスの相手が変わることなど造作もない事。寧ろ、不実を押し通す事の方が問題でしょう」


 グレンの都合など受け入れるつもりはないと、はっきり鼻先に突き付ける。


「どうか、ご決断を」




 この日、一つの婚約が白紙に戻される決断がされた。




誤字報告有難うございます。



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