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1.円卓会議【前】

最後までお付き合い頂けると幸いです。



 

「君との婚約を解消するつもりはない」


 ハッキリと言い切った男に、ハリエットは目を細めた。


 ハリエット・ルーディン。イディーランド王国マクパート公爵に叙されたルーディン家の娘である。


 星を宿す亜麻色の髪に、瑞々しい若葉のような緑色の瞳。手入れの行き届いた白い肌は潤い澄んで、頬は淡く桜色に、唇は撫子の花の色を写したように鮮やかに色づく。


 息を呑むような美女ではない。しかし、ひと目で貴き身の上と分かる洗練された美と誇りに裏打ちされた心の強さが纏う空気に現れていて自然と傅きたくなる雰囲気があった。


 彼女と対峙するのは、グレン・ロイド。ハリエットの婚約者である彼は、イディーランド王国の第三王子である。


 意志の強そうなキリリとした眉と丸い瞳。肉付きの良い唇の口角が自然と上がる形をした大きな口は、瞳の強さを緩和させ彼に愛嬌をもたらしている。


 深く渋い橙色の髪は、朝露に濡れたような輝きを宿す大地を連想させ。青空を写し取ったような青い瞳は、清々しい風を感じさせた。大人になりきれぬ体躯はまだ線は細いが、いずれは父王のように逞しく見るものを安心させる威厳と風格を手に入れるだろう。


 理想の王子と熱の籠もった視線を送るご令嬢も少なくはない。


 しかし。


 こちらも理想の貴族令嬢と社交界で名を知らぬものはいないとまで言われてるルーディン家のハリエットが婚約者である。

 一時の甘い片恋に酔うだけで、行動を起こすような痴れ者は居なかった。


 ほんの三月(みつき)ほど前までは。


「シンシアは、ただの友人だ」


 ――そう、押し通すおつもりですか。


 それは、本人以外この場に居合わせた人間の総意である。


「グレン様」


 グレンの名を呼び、悲愴感漂う潤んだ瞳で彼の顔を覗き込むのはシンシア・シャループ。

 グレンとの関係が、友人ではなく恋人ではないかと疑われている人物である。


 プレシトン子爵の次女であるシンシアは、長子でもなく女性であるため身分は平民である。


 この国は、特別継承者として定められた女子を除き、爵位継承は初代直系嫡出の男系男子が常に一人だけ継承する長子相続制を頑なに守ってきた。


 そのような背景から次女であるシンシアは、シャループ家の人間ではあるが身分は平民となるのである。

 これはシンシアに限らず、貴族の次男以下は継承権をもつ兄たちが権利を一代限りで放棄するか死亡しない限り順番が回ってくることはない。


 彼らは一般の紳士と変わらず、事業に従事することで生計を立てた為、少しでも上流階級に居残れるよう勉学に励み、社会的地位のある職に収まるよう努力した。


 それにより、イディーランド王国は繁栄の一途を辿っているのだが生活が豊かになるということは、それに付随して娯楽も過激になっていく。


 より刺激的にセンセーショナルな醜聞を求め、中傷めいた感情を煽る話題に傾倒していく。


 男女の仲などその主たるもので、更に身分があるとなると人々の興味を一気に攫った。


 王族と子爵令嬢の恋など、大衆は喜び勇んで飛びつくだろう。


 人の口に戸は立てられない。グレンとシンシアの親睦の深まりが波紋を呼び、このような事態を招いていた。


 グレンたちが利用する茶館内での二人の噂が、いつ俗世間に漏れ出るかと案じたハリエットがグレンと二人、話し合いの場を設えようとしたのだが。

 なぜだか八人掛けのテーブルは、七脚が埋まっている状態だ。


 事情を知らない者たちから見れば、クリームティーを楽しむ若者達に見えるだろうが、実際はそんな楽しく朗らかなものではない。


 円卓はハリエットの正面に座るグレンから時計回りに一つ席を空け、初代公が領地で鉱山開発に励んだことで非常に裕福な貴族として知られるパーシー公爵の長男、オラシオ・キューザック。その隣に式部卿であるレズリー侯爵の嫡男、ゲイリー・ジュリアが座り、ハリエット。


 ハリエットの左隣にイディーランドの人口増加に併せて巧みに土地開発を行い、王国屈指の資産家となったルボン伯の三男、ネイサン・ミラー。その隣に陸軍軍人であり、リィーヌ党の政治家でもあるマニルカーラ伯爵の孫、カラル・シャイマンが座り、不自然な空間があいてシンシアがグレンの隣に座って円卓を埋めている。


 八人掛けの円卓は十分な広さと大きさで、互いの肘が触れ合うようなことはない。

 で、あるのにシンシアの指先はグレンの腕に掛かっていた。


 わざわざ互いの身体が触れるか触れないかの距離に椅子を寄せ、シンシアはグレンの傍らでハリエットの話を聞いていたのである。


「君が心配することではないよ」


 シンシアに大事ないと返事をしたグレンは淡い笑みを浮かべていたが、正面に座るハリエットに向き直る頃には表情は固く冷たいものへと変化していた。


 あからさまな変貌に、ハリエットはゆるゆると息を吐くことで呆れ投げ出したくなる気持ちを外へと押し出す。


 ここで諦めてしまったら取り返しのつかない国の恥となるからだ。


「殿下、どうかご再考を」

「しつこい」


 ハリエットの提案をグレンは受け付けない。


「しかし、殿下。このままではシンシア嬢の立場が不明瞭なままです」

「ゲイリー?」


 自分を補佐する役目を負い、また気のおけない友人として自分に寄り添ってくれていた人間の思わぬ反応にグレンは驚きの表情を見せた。


「殿下は先日、ジュディス・ゴーク夫人主催の午餐会にシンシア嬢を伴われ出席されたとか」


 卓の上で指を組み、静かに話し出すゲイリーの普段なら優しく温和な印象を与える垂れた目尻が、硬く冷めて温度を感じさせない。


「シンシアが出てみたいと言ったからだ。ゴーク夫人が催す会はどれも好評と聞く。同伴者に指定はないのだから、シンシアを伴っても問題はないだろう?」


 今までそのような眼差しを向けられたことがなかったグレンは、言い訳がましく反論する。


「問題は大有りですよ、殿下」


 今度は別の方向から声が上がった。


「カラル?」


 椅子に浅く腰掛け、背筋を真っ直ぐに正したカラル・シャイマンは、父親が国王親衛隊隊長を務めている。

 自身も将来は庶民院の議員か軍人を目指しているのだろう。所作が既にそう整っていた。


「ゴーク夫人の夫は外交官からリィーヌ党の政治家に転身したエルマー・ゴーク卿です」

「それがなんだ」

「如何にささやかで非公式であっても、ゴーク夫人主催の会にはイディーランドに派遣された各国の外交官関係者が参加しています」


 祖父が外交官であったことから、その辺の事情には詳しいのだろう。カラルの言葉にグレンの頬がヒクリと動いた。


「今回は午餐会とのこと。確実に数名、外交官夫人が参加されていたことでしょう」

「紹介はされなかった」


 努めて冷静に、声を荒げる事なくグレンは返す。


「非公式なものです。身分を察することはあっても、明らかにしてしまえば非公式の意味がございません」


 カラルを援護するようにゲイリーが言葉を重ねる。


「招待客の身分は、主催者側だけが把握しそれとなく参加者に判らせれば済むことです」


 ゲイリーの言葉を肯定するようにオラシオもネイサンも深く頷いた。


「仮面舞踏会と変わりませんよ」

「いかがわしい秘め事を伴わない為の午餐会です」


 身分故、全てが決められ、それに従うことが是としてきた世間知らずの王子が、不意に身勝手な行動を起こした。

 思春期の癇癪かと大人達は対応に苦慮し、今度はその身分が故に王子の行動を正せる者が居らず全てが後手に回ってしまっている。


「皆様、グレン様はわたしに沢山の経験をさせて下さろうとしただけです」


 多勢に無勢。


 グレン一人を論う流れに、シンシアが翡翠色の瞳を潤ませながらオラシオ達に訴えかけた。


「シンシア」


 自分を守るように身を乗り出し、抗議しようとするさまに心打たれたのか、頬を緩ませたグレンは案ずることはないとシンシアの肩を抱いて椅子に座り直させる。


「グレン様?」


 何故止めたと言わんばかりの瞳で自分を見上げるシンシアに、グレンはそんな顔をするなと囁き両手で頬を包み込むように触れ微笑む。

 見つめ合い二人だけの世界に入りかけたグレン達をオラシオ達の追撃が引き戻した。


「責めているのではなく、認識の確認です」

「殿下の行動全てに、責任が伴います」

「グラユ商会の式典にもシンシア嬢を伴われたとか」

「今はまだ宮廷内でも半信半疑といったところですが時間の問題です」

「お前たち……」


 将来、自分を支えてくれる友人だと思っていた者たちから冷たく切り込まれている。その現実をグレンは認められない。


 彼らとて、ともにシンシアの魅力に心酔した者同士では無かったのか。


 ひんやりと肝が冷える。


 いや、違う。彼らはシンシアの気持ちが自分に向かないから、あのようなことを言って自分を責め、ハリエットの味方に付いたのだ。


 動転するグレンは、決して自分とシンシアの交際を反対されているわけではないという出発点を見失っていた。


「殿下、今ならまだ間に合います」


 オラシオたち四人の顔を交互に見て、視線を彷徨わせるグレンに再びハリエットが声を掛けた。


「何をだ」

「わたくしとの婚約を解消し、新しくシンシア様と婚約を結び直しください」

「ならぬ」

「?!」


 グレンの胸に抱き込まれていたシンシアが、弾かれたようにグレンを見上げる。


「っ……」

「わたしでは、グレン様の妻には足りませんか?」

「い、いや……そういうわけでは」


 思わず、目を逸らした。


「グレン様」


 褒められたことを考えているわけではない自覚があるグレンは、シンシアの真っ直ぐな瞳と目を合わすことが出来ず視線を彷徨わせる。


 すると、不運にもハリエットと目が合ってしまった。



「殿下。シンシア様の殿下への愛は本物でございます。唯一無二のお相手と愛し愛される。これ以上の幸福がございましょうか」


 ここぞとばかりに、ハリエットから追撃が入る。


「真実の愛。いい響きだね」


 テーブルに肘をつき、組んだ指の上に顎を乗せて成り行きを見守っていたネイサンが、のんびりと感想を述べた。


「真に想い合う相手との結婚は、理想そのものだ」


 カラルからは、グレンの英断を望むような視線が送られる。


「シンシア嬢に日陰を歩かせるような生活を強いるより、真実愛し合う相手と結ばれる日向の道を歩かれた方が良いでしょう」


 柔らかな物言いをするゲイリーであったが、その言葉の裏には、あなたの考えなどお見通しだというような他者が逆らえない圧があった。


「殿下は、シンシア嬢に心奪われたからこそ先にお声を掛けられたのではないのですか?」


 悠然と微笑むオラシオにグレンは寒気を覚える。


 確かにシンシアと茶館の庭で出逢った時、傍らにオラシオを伴っていた。


 木の枝に引っ掛かったスカーフを掴もうと跳ね回っている姿が可笑しくて思わず声を掛けてしまったのだ。

 それがすべての始まりだった。


 最初は風変わりなご令嬢、それから何事にも懸命な気立ての良いご令嬢へと印象は変わった。


 礼儀作法、言葉遣い、会話と至らない部分は数あれど、足らなすぎるわけではない。そのバランスが心地好くて側においていた。それが、このような問題に発展するとは。


 シンシアは、確かに愛らしい。しかし、可愛いというだけでは駄目なのだ。

 ハリエットのルーディン家は、九つある国務卿の一つを務めている。歴史は厚く政治的にも後ろ盾としては最高だ。天秤にかけるまでもなくハリエットに軍配が上がる。

 シンシアは、自由恋愛の恋人として囲い。ハリエットとは、互いに干渉しあわない仮面夫婦として役割を熟す。そうハリエットも心得ているとばかり思っていたのに何を血迷ったのか。


 役割……。


 グレンは、焦る思考の中で浮かんだ言葉に引っ掛かりを覚えた。


 そう、上流貴族としての役割。


 ニヤリと口角を上げ、グレンは決めの一手とばかりに攻めに出た。


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