写真の中の振り子時計
とあるデパートの一角に戦前前からの大きな祭りの写真が展示してあった。明治、大正、昭和、平成、そして令和。写真は集合写真が多かった。ふと通り過ぎただけだったが、なんとなく印象に残る写真があった。大きな振り子時計が写真の片隅に映っていたのだ。
たしか、自分の家にも、昔、30分ごとになる大きな振り子時計があったな。私は、そんなことをふと思い出していたが、それは一瞬で、日常の忙しさで忘れてしまっていた。
ある夜、夢を見た。夢の中は戦時中だった。私は戦後生まれなので、戦争の体験はない。学校の教科書や修学旅行で原爆資料館へ行ったくらいだった。夢の中では家の中にいても爆撃がふりそそぎ、追跡ミサイルから走って逃げていた。戦争関連の映画や漫画など、一度見たらその映像がいつまでも頭の中に焼き付いて、たまに夢にまでみることもあるので、それが今回は昔の祭りの写真を見たからだと今ならわかる。
夢だとわかっていても、夢から覚めないから、この状況から逃げなければならない。家の中にいても、爆弾がふってくるかもしれない。気が休まることはなかった。夜が明けて役場に行って、この土地にミサイルが落ちないように連絡してみたが、とりあってくれない。どこに連絡すればよいのか言い争いをしていた時、ふと目が覚めた。目が覚めても夢の中の出来事が鮮明に残っていた。一体この夢はだれの記憶なんだ。不思議な夢をみたものだ。
再びデパートの展示写真を見に行った。戦時中や震災中は祭りはできなかったものの、今回の新型コロナウィルスで緊急事態宣言になるまでは、祭りは毎年行われていたようだった。来年は祭りはできるだろうか。
写真の中の振り子時計はもう動いてはいないが、戦争体験をしたことがないからこそ、生き残った祖父母たちの重みを感じずにはいられなかった。