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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

貧乏令嬢のあたし、戦争に巻き込まれたからメイドに化けて対決よ!

 季節は晩春にさしかかったというのに。


 薄暗い自分の部屋で黙って縫い物。これが唯一の娯楽で小遣い稼ぎ。


 爵位さえない貧乏貴族、即ちあたし達ムーブ家の一男二女の真ん中の二十代。それがあたし、レクシア・ムーブ。職業は親から頼まれた縫い物。


 テーブルの傍らに広げた巻物では、モデルさんが輝かしい笑顔で最新流行のドレスを披露している。お手本だ。


 今縫っているのは、お母様が数日後の夜会で身につけるドレス。


 兄は自立して、数年前にきた縁談も妹にとられてからはなんの話もない。人生の終焉まで予想できそう。


 この前の外出も散々だった。


 その日は、裁縫道具を買い足しに商店街に行った。久しぶりの外出にウキウキし過ぎた。


 ショーウインドウに展示してあるドレスに見とれながら歩いたのがまずかった。音がしそうなほど激しく誰かとぶつかり、跳ね飛ばされて尻餅をついた。


「いったーい!」

「よそ見をするなよ、お嬢さん」


 急に目の前が真っ暗になった。見上げると、大柄な若い男が影を投げかけている。ゴツゴツした身体つきで暑苦しい。


 いや、もっと面倒臭くなりかねない。男が被っている黒いフェルト帽を見て心の中で顔をしかめた。


 それには白い横縞が一本入っていた。爵位持ちだ。準男爵。ムーブ家よりほんの少しだけまし。


「失礼しました、準男爵様」


 男が手を貸そうとするのに気づかないふりをして、一人で立ち上がった。

 

「ウェディングドレスにずいぶんご執心だったようだが、婚活中か?」


 な、何をズケズケと!


「あ、あなた様こそ、あちらの建物にご用がおありなのでは?」


 あたしは咄嗟に『ダイエットサロン・ガンマー』なる看板を指差した。


「失礼な!」

「あらごめん遊ばせ『準』男爵様。ヲホホホホホ」

「俺にはダイエットなど必要ない! 見よ!」


 いきなり彼は帽子を脱ぎ捨て、上着とシャツを脱いだ。ああ、盛り上がったたくましい筋肉……なんて思うか露出狂!


 そんな下らない出来事を思い出していると、ドアがノックされた。


「はい。今開けます」


 縫いかけの裁縫道具を手放してドアを開けた。両親が戸口にそろっている。


「レクシア」


 両親が同時に口を開き、気まずそうに黙り込んだ。


「お客様がお見えです。来なさい」


 お母様が格式張った口調で伝えた。


「お客様……?」


 お母様は何も答えず背を向けた。お父様も同じようにした。


 客間で、『お客様』が椅子から立ち上がった。両手で自分の帽子を自分の身体の前にして持っている。白い横縞の入った帽子を。


 その殿方は、何日か前のいきさつを思い出していたに違いない。あたしもそうだったから。


「イベル・スローン準男爵様よ。ご挨拶なさい」


 お母様が命じた。


「ご、ご機嫌麗しく、準男爵様」


 あたしはスカートの両端を軽く指でつまんでお辞儀した。


「ご挨拶痛み入ります、ご令嬢」

「まずはお座り頂けますか、スローン卿?」


 お父様に応じ、スローンは軽く会釈してそうした。それから、あたしを含む全員が席に着いた。


「あー、それでは婚儀の条件について述べる」


 出だしからお父様が聞き捨てならない台詞を口にした。


「コンギ!?」

「これっ!」


 お母様にたしなめられた。だからといって落ち着いてなどいられない。


「晴れ着も持参しました。今夜、晴れてご令嬢を我が妻に迎えます」


 白く眩しい歯をキラッと輝かせ、スローンは右親指を立てんばかりに教えてくれた。


「あた、ハレ、晴れ……」

「私の夜会服を貸して差し上げます」


 さも寛大な人間であるかのように、お母様が答えた。


 素で気絶した。


 気がつくと、満天のお星様が空から降ってきそうな夜だ。そうよ、あれは夢……。


「俺の筋肉で目覚めるとは贅沢者だな!」


 頭上から思い出したくない声が轟いた。お星様が暑苦しい顔で遮られる。


「きゃあああぁぁぁ!」


 手足をバタバタさせようとして、やっとスローンの両腕に抱えられているのが分かった。いわゆるお姫様抱っこだ。


「おおっ、我が愛しの君はイキがいい!」

「あたし魚じゃありません!」


 さっさと降りようとして虚しくもがいた。腰がコルセットでぎゅうぎゅう。スカートには形が崩れない為の針金が入っている。襟もぴったり。


 どうせお母様が着せ替えしたに違いない。


「さあ、新居の戸口をくぐろう!」

「ここ最初からあたしの家です!」

「そして今から俺の家にもなる!」


 右腕であたしの姿勢を同じように保ちつつ、スローンは左腕でドアを開けた。


「あらまあ、素晴らしい新郎新婦だこと」


 玄関口でお母様が取ってつけたように言った。脇にはお父様もいた。


 突然、なにかが甲高く宙をよぎる音がした。それは玄関の脇で、ガツッと硬い物同士が当たる音になって終わった。思わず身体を起こした。壁に矢が突き刺さっている。


「もうきたか!」


 スローンが叫んだ。


「無事に生き延びるのですよ……」


 玄関を閉めながら、お母様がぽつりと洩らした。


 スローンは、居間にあるレンガの暖炉を正面にした。暖炉の真上にはなにかをかけておく為のフックが二つ突き出ている。それからあたしを降ろし、まるで最初から知っていたようにフックを押した。


 重々しい音がして暖炉が真後ろに引き込まれ、地下に続く階段が現れた。


「早く!」


 スローンは声をかけながらあたしを降ろした。


 つまずきかけながら階段に踏み込むと、スローンもあとを追ってきた。そして二歩と進まない内に壁際のスイッチかなにかを押した。


 暖炉が元通りの位置になり、勝手に天井の灯りがつく。


「これは何かの悪ふざけですか!?」

「細かい話はあとでもいいだろう?」

「今すぐ聞きたいです!」


 スローンは軽く口を曲げ、右手で髪をなでつけ直した。それで初めて気づいた。


「手の甲をケガしてるじゃないですか!」

「さっき、壁ですった」

「待ってなさい」


 ハンカチを引っ張り出し、血をふいてから包帯代わりに傷口にくるくると巻きつける。


「器用だな。ありがとう」


 軽く右手を揺すってスローンは具合を確かめ、満足そうに笑った。


「どーも」


 つい、勢いで手当てした。だからって状況に変わりはないのに。


「ではっ!」


 スローンは一歩踏み込み、正面からあたしを抱きしめるような形になった。ひょいっと腰が浮き、スローンの右腕を椅子のような塩梅にして座らされた。


「な、なにをっ……」

「うむっ、筋肉的に晴れ晴れしたスタイルだ。じゃあ進もう。いうまでもなく、俺の首にしがみついていいぞ」

「誰が……きゃあっ!」


 そのままスローンは階段を降り始めた。ぐらぐらして酔いそう。で、でも絶対にしがみついてやるもんか!


「……元々、やんごとなきドラ息子どもの馬鹿げた娯楽だったのさ」

「はあっ!?」

「世界のどこでも、大きな戦争はなくなった。貴族はそもそも戦争で手柄を立てて今の地位に着いたんだが、平和過ぎて困ってらっしゃる。ことに上級貴族のお歴々はな」


 『上級』かどうかは、爵位もさることながら、血筋も重視される。少しくらい爵位が低くとも大貴族の血縁ならそれなりに尊敬される。尊敬。ケッ。あら、ごめんあそばせ。


「それが……」

「まあ聞けよ。最初は金をばらまいて集めた連中に模造品の武器を持たせて戦争ごっこをしていた」

「まさか……」


 しばらくは足音だけが響いた。


「そのまさかだ」

「ウチみたいな下級貴族に難癖をつけて無理矢理戦争を? それがまともな勝負になるのですか?」

「場合によっては上級貴族側から支度金を出す。出した支度金に応じてオッズが変わる」

「オッズ?」

「賭け金の倍率だ。どっちが勝つかで賭けるんだよ、連中同士」

「……」

「さ、着いたぞ」


 スローンは足を止めた。確かに階段は終点だ。ドアがある。


「そもそもこんな階段をどうやって知ったんですか?」

「ムーブ卿から聞いた」

「じゃあ、最初からお父様は……」

「やっと気づいたか。夜会で上級貴族に絡まれたんだ。味方を申し出たのは俺だけだった。とにかく出よう」

「じゃあ、降ります」


 床に足をつけると、必然的にドアに近いのはあたしになった。ちょい開けして隙間から外の様子を伺う。


 干からびた地下水道が横たわっていた。水路の両脇には狭い歩道が設けてある。魔法の灯り石だけがぽつりぽつりと壁に埋め込まれていた。


 あたしがドアから出て、スローンが続いた直後。


 ブツッと音がして、二本の短い矢がスローンの左腕に突き刺さった。抜き身を持った鎧兜姿の兵士が数十人、こっちに走ってくる。


 スローンはあたしを置いて兵士達に突っ込んだ。と思ったら三歩と進まずに倒れた。手足が痙攣している。しびれ薬かなにかが矢に塗ってあったに違いない。


 そして、兵士達があたしとスローンを別々に囲んだ。


「お怪我はありませんか? 私はルバン子爵閣下に雇われた傭兵隊長で、ロイスと申します」


 ロイス隊長はあたし達よりは少し老けていて、ゾッとする冷ややかさを漂わせていた。礼儀正しさがそれに拍車をかけている。


「はい……」

「こちらはお知り合いですか?」


 スローンをちらっと目にしてからロイスは尋ねた。


「客人……です」

「そうですか。あなたのお名前は?」

「レクシア・ムーブです」

「ほう、知らなかった事とはいえ失礼しました」

「いえ、こちらこそ」

「それで、客人とやらは?」

「スローン準男爵です」

「なるほど。では、こちらへご同行願いましょう」


 スローンは一足先に兵士達の手でどこかへ運ばれていった。


 それからは、前後左右を兵士達に固められて地上に出て荷馬車に乗せられた。行き着いた先は街から離れた立派なお屋敷。


 街であくせく働くのは平民かあたし達のような名ばかり貴族で、多少とも裕福な貴族はこんな風に森や丘の近くにお屋敷を建てる。実務は全て使用人にやらせる。ロイス隊長だって広い意味ではその一人に過ぎない。


 ロイスに連れられて荷馬車を降りると、館内で執事の案内を受けた。ホールから階段を昇り、廊下を暫く歩いた末にたどりついたドアが締めくくり。ノックと用件の説明を済ませてから、執事がドアを開けた。


 背もたれに虎の毛皮を張った分厚い椅子に部屋の主が座っている。お屋敷の主でもあるのだろう。


 さらっとした砂色の髪に滑らかで少し面長の輪郭。くすんだ藍色の瞳に長いまつげ。これぞ美青年。鼻と唇はスローンに少し似ている。


「ロイス、褒美は追って沙汰をする。下がって良し」

「ありがとうございます」


 ロイスと執事、退場。


「さて、ご令嬢。私はゴスティーノ・ルバン子爵だ。見知りおきたまえ。ちなみにご家族は全員捕虜にしたので念のため」

「じゃあ、子爵様。さっさと私共を打ち首にして祝杯でも上げられてはいかがですか?」

「フッフッフ……アッハッハッ! 今までそのように啖呵を切る敗者はいなかったぞ! ましてご令嬢で!」


 ルバンは机の上にある柄つきの鐘を摘まんで軽く振った。この場に似つかない爽やかな音が振りまかれた。それから大して時間をかけず、ドアがノックされた。


「入れ」

「失礼致します」


 さっきの執事だ。


「そのご令嬢を学習室にお連れしろ」

「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」


 否応なしだ。


 連れていかれると、学習室なるお部屋は最上階にあった。どうせ軟禁するつもりだろう。


「どうぞ、中へ」


 室内に足を踏み入れると、案の定、ドアが背後でしまり鍵をかける音がした。


 その途端に真っ暗闇になった。足元だけがしっかりしている。


 しばらくして、いくつかの品々が淡く黄色い燐光に縁どられてぼうっと浮かんだ。簡素なベッド、鎧兜、机に椅子に書物。


『ようこそ、ルバン家教育プログラムへ……』


 いきなり、本がひとりでに表紙を開けて喋り始めた。もう限界だ。


「うーるーさーいー!」


 すると、本から聞き苦しいブザーのような音が何度か鳴った。


『反抗的態度! 反抗的態度! 指導プログラム発動!』


 宣言し終えた本はぶつっと静かになった。そして、鎧兜がガチャガチャ音を立ててあたしに近づいてきた。


「いいっ加減にしろーっ!」


 叫びながら大急ぎでスカートを脱いだ。下着だけの下半身。誰もいない部屋だからこそ出来た決断だ。


 スカートは針金で形を固定するようになっていて、かなり重い。ためらいなく端を掴み、鎧兜の後頭部を叩きのめしてやった。今までのストレスをまとめてボコボコだ!


 鎧兜がバラバラになってやっと気が収まり、荒く息をついていたらドアの鍵を回す音がした。あれだけ暴れ回ったら当然確かめに来る。


 ドアが開き、ぱっと室内に明かりがついて執事が現れた。ごめんあそばせ。


 ボゴォッ!


 棍棒代わりのスカートを頭に叩きつけた。うまく気絶したみたい。


 スカートをはき直そうとして、次の問題に出くわした。衣服とは呼べないくらいズタズタ。


 執事の背格好は、普通の殿方より少し小柄なくらい。迷っている場合じゃない。


 まず、執事を完全に室内へと引きずった。ドアを閉めて、生まれて初めて殿方のズボンを脱がせた。この際靴も。少しブカブカするけど、ないよりはまし。コルセットなんてもう要らない。襟元も緩めた方が動き易い。


 部屋から出ようとするとズボンの左ポケットに違和感があった。足を止めて手を入れると鍵束が出てきた。


 学習室を出たあたしは、鍵束の鍵をいくつか試した。何個目かでとうとう鍵が回った。これで当分、執事は出てこられない。


 ただ、家族を救出するのにこんな頓珍漢な格好でうろつくのはまずい。


 廊下を歩き回る内に、お手洗いを見つけた。女子用の個室に入り、鍵を閉めて便器に座った。もちろん、用を足すのが目的じゃない。


 まず、トイレットペーパーで顔だけミイラ人間みたいになった。そして待つ。ひたすら待つ。


 どのくらいたったか分からない。足音がして誰かがきた。しめた! 一人だ!


 近づいたのを見計らっていきなりドアを開けた。相手はあたしと同じくらいの歳のメイドさんだった。体格も変わらない。


 メイドさんは硬直して悲鳴一つ上げられない。


「服を脱げ。乱暴はしない。こっちのと取り替えたいだけだ」


 目に涙を浮かべ、顔をそむけながら彼女は下着姿になった。あたしはメイドになった。鍵束も忘れずに移した。


 メイドさんはあたしが脱いだ服を身につけようともせずに個室の隅に背をつけている。色々ごめんなさい。


「このお屋敷に何人か捕虜がいるはずだな? どこにいる」

「し、知りません。でも、お屋敷に地下室がありますから、そこかも……」

「良し。百数えるまで個室から出るな」


 最後にそう言い渡して、あたしはドアを開けた。トイレットペーパーを顔からむしり取って床に捨て、女子トイレを出る。


 それからは、何人かの使用人とすれ違った。軽い挨拶で素通りできた。最後に一階ホールの奥にある階段を降りきると、ドアに出くわした。鍵がかかっていたものの、鍵束を試すとすぐに解決した。


 少しずつ戸口の隙間を広げた。中身は思っていたよりずっと狭い。


 出入口はここ一つだけの上に窓もなく、壁際には本がびっしり詰まった本棚がぎっしり詰まっていた。


 中央には大きめのテーブルと椅子が一つずつ構えてある。テーブルの上には、ガラスかなにかでこしらえたミニチュアのドームがいくつかあった。一つ一つは大人の握り拳くらいで、中が透けて見える。そして、ミニチュア一つにつき一人、人形かなにかが入っていた。さっぱり訳が分からない。


 ドアを後ろ手に閉め、ミニチュアドームに近づいて良く眺めた。


 お父様!? お母様も! ロイス隊長まで……そして、スローン! 人形どころか、本物の人間をドームに合わせてそのまま縮めたとしか思えない状態で横たわっている。


 直に触りたくはないので本棚から本を一冊出し、軽くスローンの入っているドームをつつくと平らな部分と丸い部分が少しずれた。


 もう一冊本を出して、それぞれ両手で持ってからドームの丸天井を挟み、ゆっくりと時間をかけて外した。


 ごくりと唾を飲み込み、丸天井を脇に置いてから本越しにミニチュアをドームの平らな面から追い出した。


 がしゃあんっ! 派手な音がして、唐突にスローンの巨体がテーブルの上に横たえられた。


「ぶはあっ! 息が詰まるかと思ったぜ!」


 荒く肩で息をつきながら、スローンは首を大きく左右に振った。


「少しはあたしに感謝しなさい。あとテーブルから早く降りて」

「その格好! さては子爵に……」

「さっさと降りんかーい!」


 本を一冊スローンの頭に投げつけた。うまい具合にこめかみに命中した。角が。


「ぐおわっ! 降りる、降りるよ」


 スローンがテーブルから降りた。


「で、どうやって俺を助けたんだ?」


 かいつまんで成り行きを説明すると、スローンは腕組みしながら深々とうなずいた。


「さすがは俺の妻」


 聞かなかったふりをして、お父様とお母様をスローンと同じ要領で解放した。


「最後に残ったのは見知らぬ男性だが、誰だね?」


 お父様が最後のドームを覗き込みながら聞いた。


「ロイスという傭兵隊長です。子爵に雇われています」

「私も一応名前を聞いたことはあります。敵だし放っておきましょう」


 スローンが結論づけた。


「じゃあ、子爵と対決しないと」


 きっぱりと断言したあたしに、お父様とスローンは目を丸くした。


「き、気は確かなのか?」


 お父様がこんなに慌てるのを目にするのは初めてだった。


「名代を指名します。スローン卿は私の婚約者ですから立派に資格があります」

「その通り、対決すべきです」

「お母様!」


 まさか、お母様が賛成するとは思わなかった。


「お前まで!」

「スローン卿、あなたは娘の婚約者として決闘に責任を負う覚悟が持てますか?」

「はい。当然の義務です」


 うーっ……ちょっとカッコいいかも。


「惚れ直しただろう」


 平然と、スローンはあたしに聞いてきた。


「ハァッ!? な、何よ、すぐその気になって! い、言っとくけど……」

「結論は出たかね、スローン・ムーブ家のお歴々。おとなしく私の研究材料になっておけば良いものを」


 ドアを開けて子爵本人が現れた。供もなく、一人で。


「ああ。やっと貴様をぶちのめせそうだ、ドラ息子。いや、ドラ兄貴か」


 スローンが感情をむき出しにして子爵を見据えた。


「えええっ!?」


 あたしを始め、ムーブ家一同は仰天した。


「特別に私から教えてやろう。スローンは、私の腹違いの弟だ。父上がちゃんとした立場を用意して下さったのに、それを蹴った愚か者め」

「誰がダイエットサロン・ガンマーなんかの雇われ店長に成り下がるか」

「父上の出資は先見の明があった。お前はそんな不細工な筋肉で何かを悟った気になっているだけだ」

「じゃあお前はどうなんだよ」


 スローンの挑発に、子爵はフッと片頬で笑った。


「そこまで言うなら披露してやろう」


 子爵は上下の服を脱ぎ、パンツだけになった。あのう、目のやり場に困るんですけど。でも見るんですけど。


「産まれ落ちた最初の肉体アルファ!」


 右腕を真っ直ぐ真横に伸ばして視線を指先に固定した。


「未研磨の肉体ベータ!」


 今度は左腕を真っ直ぐ伸ばして視線を固定し直した。


「そして、研磨された肉体ガンマー! ガンマーに到達せよ!」


 最後に胸の前で固めた両拳を突き合わせ、膝をそろえて軽く折った。


「……で、俺達の挑戦を受けるんだな?」

「無論だ。私が勝てば?」


 ポーズを崩さないまま子爵は聞いた。スローンはあたしを見た。


「あたし達を煮るなり焼くなり好きにして下さい」

「良かろう。受けてやる」

「それじゃあ決闘の方法を決めるぜ。伯爵式はどうだ?」

「問題ない」


 子爵は自信たっぷりにうなずいた。


 伯爵式……? フェンシングかしら。それともレスリング?


「棒は?」

「当然ある。お前こそ、そんな格好で持ってきているのか?」


 半ば嘲るように口にした子爵に対し、スローンはズボンの後ろのポケットから手の平サイズの短い棒を出した。


「フン」


 いかにも見下したように言って、子爵は上着の内ポケットから同じような品を出した。


 スローンと子爵は、それぞれ自分の出した棒を右手で握って軽く振った。釣竿かなにかのように伸びて、あたしの背より少し短いくらいの長さになった。両方とも細い割にはかなり頑丈そう。


 ま、まさかその棒で殴り合い……?


 スローンと子爵は互いにうなずき合った。


 二人は同時に、それぞれ長くなった自分の棒の端を床につけた。


「うおおおぉぉぉっ!」


 異口同音に気合いを入れながら、もう一方の端に自分の額をつけて、床につけた部分を中心にぐるぐる回り始めた。律儀にも一周する度に口に出して数えている。


 十回目が済んで、二人は棒を真っ直ぐに立てた。自分の立てた棒の上に右人差し指一本で逆立ちになった。


「所詮お前の筋肉はバカ力だけが取り柄。バランスを追求した私には叶うまい」

「無駄口を叩く筋肉があるとは驚きだな」


 貴方達、自分の姿や見映えを客観的に検証出来ないのかしら……。


 何分かして、子爵の身体がぐらぐらし始めてきた。


「ロイス!」


 子爵が叫んだ。テーブルの上にロイスが突然現れた。


 ロイスはむくっと起き上がり、テーブルから降りてスローンを支える棒を蹴り飛ばした。そればかりかスローンの顎をも蹴った。彼は壁まで吹き飛ばされて叩きつけられ、そのまま気絶した。


「スローン!」


 私は両手で自分の顔を挟んだ。


「フハハハハハ! 私の勝ちだ!」


 勝ち誇った子爵は自分の棒から降りた。


「ふざけないで下さい! 反則でしょう!」

「うん? 私はロイスと叫んだだけだが?」

「そのロイスが決闘を邪魔しました!」


 返事をしないまま、子爵がくいっと右人差し指を曲げて見せた。ロイスはうなずき、倒れたままのスローンに近寄った。と思った直後、ロイスは回れ右して子爵の膝を後ろから蹴った。


「うぐっ!」


 それこそ全く予想していなかった。一番信じられなかったのは子爵自身だろう。


 バランスを崩した子爵の頭を、ロイスは慣れた手つきで殴りつけた。ゴキッと音がして、子爵は顔を歪めながら意識を失った。


「わけのわからん呪いだか研究だかで人をミニチュアドームに縛りつけやがって。こうなったら契約もクソもあるか」


 地金を出して毒づきながら、ロイスは右足の爪先で子爵を蹴飛ばした。それから、子爵がベルトに吊るしていたナイフに目を止め、かがんで拾い上げた。


「ロイス、我々は無意味な戦争をふっかけられただけだ!」

「お前から刺してやろうか?」


 ロイスに凄まれて、お父様は床にへたりこんだ。お父様を軽蔑する気にはなれない。むしろ、子爵の次にロイスを軽蔑するべきだろう。


 ナイフを右手に下げ、ロイスはゆっくりあたしに近づいた。まだ立っているのはあたしだけだ。


「えいっ!」


 やけっぱちになってポケットの鍵束を投げつけた。あっさりかわされ、ロイスがナイフを……。


「ロイスーっ!」


 ロイスの背後から、鍵束を頭にぶつけられて意識を取り戻したスローンが飛びかかった。反射的にロイスは振り向いた。


 ロイスのナイフがスローンの脇腹に深々と刺さり、スローンの拳骨がロイスのこめかみにめりこんだ。ロイスは白目をむいて失神した。


「最後の……大逆転だな……」


 スローンは立っていられなくなり、テーブルの脚にもたれるようにして座った。


「スローン! あなた、筋肉が取り柄なんでしょう! しっかりしなさい!」


 いつの間にかあたしは泣いていた。スローンの血が床にまで広がっている。


「痛いっ!」


 焦ってメイド服のポケットを探る内に、指になにかが刺さった。裁縫針を刺した平たい糸巻きが出てきた。


「レクシア! スローン卿の傷口を縫うんだ!」


 お父様が、膝に手をついて立ち上がりながら言った。


「で、でも、どこをどう縫えば……」

「私が指示する! 母さんは子爵とロイスを拘束しろ! 早くしないか!」

「は、はいっ!」


 動き出した母さんを横目に、裁縫針を出して糸巻きの糸を伸ばした。いつもやっていることなのに、指がひっきりなしに痙攣した。血が滲むほど唇を噛み締めて、ようやく針の穴に糸を通した。


 間髪入れずスローンの上半身を裸にして、傷口に指を突っ込んだ。直に血の流れている感触を探って、お父様の指示通りに切り裂かれた血管を一つ一つ縫った。スローンは歯を食い縛って我慢し続けた。


 最後に傷口そのものを縫合した時には、身体中にスローンの血をまぶした姿になっていた。


「よし。これで我々の勝利だ。屋敷の召し使い達を呼んでくる」


 お父様は書物をテーブルに置いた。


 それから数日があっという間に過ぎた。子爵の召し使い達は呆気ないほど易々とあたし達の家来になった。


 戦争は、勝者が全てを得る。


 子爵は因果応報で敗北した。ロイスも雇い主に逆らった。その二人は追放され、他の貴族達もあたし達の実力を認め受け入れた。


 それで、スローンは……。


「まだ動いちゃ駄目じゃないの!」


 お屋敷の食料庫で待ち構えていたあたしに見つかり、スローンは首をすくめた。養生中に食べ過ぎは良くない。


「分かったよ。じゃあお前を食べる」

「ちょっと、なにするんですか!」

「ほらっ、かぷっ」

「ああ~ん、首筋に噛みついちゃいや~ん」


 スローンに抱き締められ、あたしは彼の胸に顔を埋めた。気の毒だから少しの間はこうして上げる。愛しい夫。


                 終わり

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