1-
願い事、それをかなえるためにはどうすればいいんだろうか。
星に願うか。努力をするか、短冊を作るか。
「ねぇ、なにしてるの?」
教室の中。
窓から西日が入り込み別世界のようにすら感じられる時間帯。
「君は、なんでこんなところにいるの?」
そう聞いてきた彼女は僕の目の前、机の上に背を向けて座り込む。
首だけをこちらに向けてこう続けた。
「ここは君がいる場所じゃないよ。さぁ、起きようか」
その言葉を皮切りに、視界に黒の斑点が浮かびちかちかと白い光が回り始める。
『ここは心の中。夢の世界。さぁ起きようか』
彼女はどこか物悲し気に。
ともすればやっと重要な仕事が終わったとばかりの達成感にあふれた顔をしていた。
『きっとすぐにまたこっちに来るかもね。だから…』
あぁどうしてこんなに物悲しいんだろうか。
彼女のその瞳を見ているだけで。
彼女のその言葉を耳にするだけで。
こんなにも心が震えるというのに。
どうして、ここで別れなければならないのだろうか。
『さぁ、もう朝の時間だよ。朝が来れば夢から覚めないと』
暗転する視界の中で僕が最後に見えたのは彼女のその瞳からこぼれる一粒の涙だった。
▽△▽
「---、---ぁ」
目が覚めた。どうやら僕は今まで眠っていたらしい。
夢を、見ていたんだろうか。
とても悲しいような、いや喜ばしいような夢だったような気もする。
でも、なんでだろう。
こんなにも心は騒いでいるのにどんな夢だったのか、まったく思い出すことができない。
「ここは、どこ?」
そして、視界が開けて初めて気が付いた。
ここはどこだろうか。
天井はシミ一つない真っ白なタイルが引き詰められて。
周囲に視点を動かすもこれまた真っ白なカーテンで覆われていて外を見ることができない。
「なんで、こんなところに?」
この場所のおおよその予想はついた。
どこにあるかわからないけど、おそらく病院の一室。
腕に刺された点滴の針もそれを物語っている。
さて、どうしよう。
僕はなんで病院にいるんだろうか。
事故にあったんだろうか。
それとも病気?
ー僕は、だれだ?
そして、頭の中に浮かんだのはそんな言葉だった。
名前を思い出そうにも、僕が男だったか女だったのかすら思い出せない。
股に手をやり、初めて自分が男だったことを知る。
ここはどこだ
なんでぼくはこんなところに
ぼくは、だれだ
病室のベットから体を起こす。
その際に胸に張られていたシールが剥げて地面に落ち音を立てる。
点滴の針は抜かなかった。
こういったのものは素人があまり触らないほうがいいと思ったからだ。
だから管の先にある溶液の入った袋ごとを抜くことにした。
ベットの横に足を下ろす。
あぁなんて細い足だろうか。
長く眠っていたんだろうか、僕の足はまるで枯れ木のように今にも折れてしまいそうな細さだった。
とにかく、外に出てみたい。
もしかしたら何かしら思い出せることがあるかもしれない。
カーテンを開け、初めて外の景色が見えた。
開けた方向がたまたま窓のあるほうだったようだ。
窓に向かい、外の景色を眺める。
「…なにも、思い出せない」
なにも思い出せなかった。
その景色に見覚えはなかった。
何かを思い出そうとしても、頭には靄がかかったようで何も反応してくれない。
「先生、こちらです!」
そのままボーっとしていると、突然廊下のほうから声がかかった。
「まさか、本当なのか!?」
見知らぬおじさんと、若い女性が先ほどまで僕が入っていたカーテンの中に飛び込んでいった。
「い、いない…まさか本当に目が覚めたのか…しかし、いったいどこへ」
「わ、私探してきます!」
すぐさま女の人が外に飛び出し、そして僕と目が合った。
「…」
「…」
数秒、女性と目があった。
その女の人はというとすぐにはっと気が付いた様子ですぐさま男性に声をかけた。
「い、いました!」
「よかった、すぐそこにいたのか」
カーテンから顔を出したのは初老の男性だった。
改めてじっくりとその人の顔を見るとところどころにシミとしわが浮かぶ、いかにも好々爺といった感じの人だった。
「よかったよかった、どこか慣れない場所に行ってけがをしたら大変だからね」
彼がそう言って、にこやかに近づいてくる。
「さぁ立つのもつらいだろう、とにかくこちらのベッドにでも座り給え」
その人に、以下先生と呼ぶことにするが、先生に言われて改めて気が付いた。
もう、足が限界だ。
ただ立っていただけのはずなのに、もう今にも崩れてしまいそうにぷるぷると震えている。
「ほら、私の肩につかまるといい」
「あ、ありがとうございます」
「いやいや、気にすることはない。さぁこっちだ」
▽△▽
「それで、いくつか質問だが、大丈夫かね?」
ベッドにたどり着き、先生に正面に座られ面談のような形になった。
大丈夫かね、っていう言葉は僕の体調を慮ってのことだろう。
あの後先生にベッドに連れて行ってもらう際、思いっきり体重をかけてしまったから。
「はい、今は大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」
「気にすることはない。なんたって君は病人なのだから。頼ってくれて構わないんだよ」
どうやら先生によると、僕は病人らしい。
「先生、それよりも早く…」
「あ、あぁそうだったね。気分もよいようだし、質問を始めるね」
横道にそれようとしていた話題を看護婦さんがいさめる。
先生もそれに気が付いて慌てて修正。
「とりあえずは私が効く質問にはい、か、いいえ、またはわからないで答えてくれればいい。できるだけ手短に終わらせるから、頑張ってくれたまえ」
そういって、先生は僕に質問を始めた。
その質問はごく簡単なものから。
ー気分は悪くないか。
ーどこか体に痛みはないか。
ー視界は問題ないか
ー耳は聞こえているか。
ーこの指が何本に見える?
ー痛覚はあるかい?
そして、言葉通りすぐにそれだけの質問を終えた先生はカルテらしきものを看護婦さんに渡し、今度は聴診器を取り出した。
「じゃ、心音図るから服を上げるね」
そういって先生が僕の服に手をかけ、上に捲し上げた。
ーあぁ、本当になんてもろそうな体なんだろうか。
初めて自分の体を見て思ったのはそんなことだった。
肋骨が浮かび上がり、今にも餓死してしまいそうなほど細い体。
まさに骨に皮が引っ付いているようにしか見えない。
「ふむ、少々瘦せているが、まあこれからすぐに肉もつくだろう。心配することはないよ」
先生が僕の視線に気が付いたのか、そんなことを言ってきた。
「はい、ありがとうございます」
なんて言っていいのかわからなかったので、とりあえずありがとうございますとだけ言っておいた。
「じゃ、聴診器あてるからね。少しヒヤッとするかもだけど大丈夫だからね」
「はい」
先生が聴診器を僕の胸に当て、その心音を聞いている間。
ほんの少しの短い時間だったけど何をすればいいのかわからなくていろいろと周りを見ていたら看護婦さんと目が合った。
「(にっこり)」
無言のままにっこりと笑顔を返されていしまった。
それに対しどう返事すればいいんだろうか…
「ん、もういいよ。おや、どうしたね」
「いえ、なんでもないです」
「?そうかい」
何かおかしなものでも見たんだろうか、といったような感じで先生が聴診器を僕の胸から外す。
その間看護婦さんはといえばお仕事モードに入りますと言わんばかりにカルテをじっと見ていた。
「うん、体には見た目どこにも以上はなさそうだ。これからの生活を心がければすぐに元気になるだろう」
「あ、ありがとうございます」
先生のお墨付きをもらった。
でも、なんだかもう今日は疲れてしまった。
「おや、もう疲れたかね?そうだった、さっき目が覚めたばかりなんだからね。これはすまなかった。横になるといい。きっとぐっすりと眠れるよ。家族への連絡はしておくから心配しなくてもいいからね」
僕の瞼が落ちかけているのに気が付いたんだろうか。
僕の体を横にしながら先生がそう言った。
家族…
ぼくにも家族がいるのか。
どんな家族だろうか。
両親はどんな人だろうか。
兄弟は?
弟か妹か。もしくは姉か兄か。
何人兄弟だろうか。
「さぁ、ぐっすりとおやすみなさい」
「おやす、なさい」
だんだんと薄れていく意識の中でただ、それでもやっぱりなにも思い出せない自分が煩わしく感じられた。