第4話:婚約者
婚約者のリュカ登場です。
コポコポコポ……
小さな泡を立てながら薬が煮詰まっていく。
淡い紫色をした液体は80度を保たせなければいけないのが難しいところだ。木ベラでかき混ぜながら温度計をじっと見つめる。
火を弱めると窓際の乾燥棚からマリージュの葉を5枚取りだす。1週間前に摘んで乾燥させていた葉は、葉緑の部分だけを丁寧に取り分けてすり鉢に入れる。粉状になったマリージュに、ウルマラの実を潰して濾したものに魔力を注ぎながら、一滴ずつ垂らして粘り気が出るまでよく混ぜる。
鍋の火を止めてガラス瓶に移し、出来上がったペーストをさらに濾して勢いよく混ぜ合わせると、黄緑色の綺麗な液体が出来上がった。
「よしっ」
私は緊張を解放させるようにふぅ、と息をつくと用意していたティーポットにお湯を注いだ。
今日は春摘みのダージリンが手に入ったのだ。はやる気持ちを抑えながらティーカップを二つ用意すると、片方のカップに出来たばかりの黄緑の液体を3滴垂らした。
ちょうど蒸らし終わったポットを手に取って紅茶を勢いよく注ぐと、ファーストフラッシュの瑞々しい香りが胸いっぱいに広がった。
うん、今年もいい出来だわ。
湯気を立てるカップを持ち上げると、隣に座る彼にそっと手渡した。
「さあ召し上がれ」
「ちょっと待て!」
鋭い声で静止されてしまい、私はビクリの肩を揺らした。
「リュカ、いきなり大声出さないでよ」
「ちょっと待ってくれ。可笑しいだろう、何故そんなにナチュラルに薬を盛るんだ」
「美味しくできたんだよ?」
「グレース、美味しいかどうかが問題なんじゃない。いつも言っているが薬を勝手に盛るのはいけないことだ」
「でも目の前で入れたじゃない」
「そういう事じゃない! というかこれは何の薬なんだ?! また新種の自白剤じゃないだろうな」
「自白剤は先週飲んだでしょう。これは“右手と左手がくっついてどうにもこうにも離れなくなる薬”よ」
「……それはもはや呪いだ」
素直に効能を伝えると、隣の男は額を押さえてうなだれてしまった。
彼はリュカ・アヴァロット。2歳年上の私の婚約者だ。
艶やかな黒髪にダークブルーの瞳はクールな雰囲気を醸し出していて、婚約者の贔屓目なしにしても整った顔立ちをしていると思う。
アヴァロット家は代々優秀な魔術師を多く排出している家系で、彼自身も王立魔術師団に所属している。その実力は相当なもので、若干20歳にして第5団長を任されるほどの腕前だ。
しかもアヴァロット家は侯爵位なので、リュカは次期侯爵になることが決まっている……つまりは若手出世株というやつね。
魔術師団や社交界のご令嬢たちからはクールで寡黙、冷静沈着で隙のない人だと思われているらしいけれど、おかしなことに私はクールで寡黙で冷静なリュカを見た記憶がない。やたらと怒られている気さえするわ。
10歳の時に初めて出席したお茶会で互いに一目惚れして、紆余曲折を経て婚約を結んだ私たち。そんな話をするとロマンチックだと羨ましがられるけれど、私には一つ大きな不満があった。
リュカはとっても優しいし、忙しくても必ず会いに来てくれる。大切にされていることは十分過ぎるほどわかっているのだけど、この世の照れという照れをかき集めたような、とてつもない照れ屋なのだ。
自分からは手も握れないし、貴族なら誰でも卒なくこなすダンスでさえ真っ赤な顔でぎこちない。好きだ愛してるなんて愛の言葉は、この8年間一度も自主的には言ってくれたことがない有様だ。
婚約を結んでから数年は幼いからこんなものかしら? と気にしていなかったが、2〜3年も経つと周りの友人たちにも婚約者ができて、私たちとの圧倒的な違いを見ることが増えてしまった。
ずっと仲良く過ごしてはいるけれど、もっとこう……甘い感じ? 婚約者ならではのあの雰囲気に憧れるのよね。せめて好きだと言わせたい! そしてラブラブな雰囲気になりたい!!
悩みに悩んだ私は、一つの結論を叩き出した。
「そうだ、薬を盛ろう」
決断は早かった。この時の私は若干13歳。若かったわね。
先代の予言の魔女であるお祖母様は、薬草の知識が豊富で雑貨屋にいる間に様々な薬を煎じていた。私が予言の魔女を引き継いだ際に、魔女としての知識や振る舞いを教えながら、ついでとばかりに薬の知識も詰め込んでいったのだ。
薬となる植物の効能と採取場所から始まり、調薬のやり方、調薬する鍋の材質や煎じる温度と湿度まで管理しなければ完璧な薬は作れないことなど、様々なことを教わった。
ただお祖母様の作る薬は一般薬というか、体調不良によく効く系の薬だったので、リュカに愛を囁かせるには大幅な改良と研究、そして魔法との融和が必須だった。
もともと気になるとのめり込むタイプだった私は日夜雑貨屋に籠り、勘の力をフル活用して薬作りに没頭した。
どうやら調薬は性に合ったのか、次々とアイディアが湧いてあらゆる効能の薬を作ることに成功した。
初めて薬を作ったときは、自白剤を作るつもりが“聴いた者全員が聴き惚れてプロポーズしたくなるほどの美声になる薬”が出来上がっていた。
もちろん最初から上手くいくことなんてないわ。トライ&エラーの精神で私は薬を作り続け、長い月日をかけて自白剤の生成に成功した。
出来た薬はお祖母様に見てもらい、自分でも試した上でリュカのおやつに振りかけてみた。
正直なところ、ガムシャラに自白剤なんてものを作ってしまったが食べたこともない変な味がするので、一口食べたら吐き出すだろうと思っていた。そうしたら素直に、好きだと言って欲しい、手を繋いで歩きたいと伝えよう。それなのに予想外の事態が起こってしまった。
リュカは、超ド級の味音痴だったのだ。
幼いリュカは何も気付かずにお菓子を平らげると、私の質問に淀みなくベラベラと答え出した。
「リュカ、私リュカが大好きよ。リュカも私のこと好き?」
「うん。大好きだよ」
「!! じゃあ、どこが好き……?」
「可愛いし優しいし一緒にいて飽きないくらいおもしろいところ。でも一番は大変なお役目を背負っても、前向きに頑張っているところ。すごく尊敬してる」
「あ……ありがとう……」
とても照れ臭かったが私は喜びに溢れた。リュカが初めて私への想いを言葉にしてくれたと。でも同時に、自白剤を使って強制的に言わせた言葉にどれほどの意味があるのか、私には分からなくなってしまった。
ちなみに意図せず私の好きなところを言わされたリュカは、涙目で唇をプルプル震わせながら顔を真っ赤にしていた。
罪悪感を感じながらもあの喜びが忘れられず、2回3回と薬を盛る日々。せめてもの気持ちでリュカの目の前で薬をいれていたのだが、嫌々ながらも自発的に飲んでくれるので「あれ、もしかして満更でもない? 素直になるきっかけと思ってくれているのかしら?」と私も調子に乗ってしまい、今に至るというわけだ。
自白剤を使った甘い言葉が欲しいわけではないけれど、私たち二人のコミュニケーションとして成り立っているから、これはこれで良いのだろう。
決して本心を暴かれて耳まで真っ赤にするリュカがとっても可愛くてキュンときたからやめ時を見失ったとかそういう不純な動機ではない。
***
「それで? 俺の右手と左手をくっつけて一体何がしたかったんだ?」
深いため息をつきながら問いかけるリュカに、ムッとして頬を膨らませた。
「そうじゃなくて……もう、いいからさっさと飲んで!」
薬入りのカップを勢いよくリュカの口に押し当てて無理やり紅茶を流し込む。喉から変な音がしているが半分ほど飲ませることに成功した。
「ぐっ、ゴホッゴホ……何をするんだ!」
「左手出して」
怒るリュカに構わず左腕を掴んで持ち上げると、私は右手でそっとリュカの左手を包んだ。
「これでしばらく離れられないからね」
薬の効果を証明するようにぴたりと繋がった手を見せつけながら微笑む。こんなことでもしなければ手も握ってくれないんだから、本当に困った婚約者だわ。
思い通りの効果を発揮したことに満足した私は、薬が入っていない方の紅茶に口を付けて優雅にいただく。普段にない指先から伝わる温もりが嬉しくて少し力を込めると、ゆっくりと握り返してくるのを感じた。
「こんな回り諄い事をしなくても手ぐらい……」
「手ぐらい繋げるって? 嘘ね、絶対私の手を見つめたまま固まって動かなくなるわよ」
「…………」
核心を突いてしまったためリュカはぐうの音も出せないようだ。
「これも悪くなかったでしょう? また今度来るときは新しい薬を用意しておくから、楽しみにしていてね」
「楽しいのは君だけじゃないか……」
「嘘つき。リュカは素直じゃないんだから」
抗議の意味を込めて手をギュッと握るとそれ以上の力で握り返された。
不意に逸らされた顔を覗き込むと、顔も耳も可哀想なくらい真っ赤に染まっていて、やっぱり私はどうしようもないくらいにキュンとときめくのだった。
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