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週休三日の公爵令嬢  作者: やまのみ
3/5

第3話:Side ケビン・ダグラス

雑貨屋に来た男性目線の話です。1.2話よりちょっと長めです。






 半年前、最愛の妻が死んだ。

 事故だった。


 貴族の馬車に轢かれそうな子供を助けて、自分が轢かれちまうようなお人好しなやつだった。


 妻のニコルとは18で出会い、その優しい人柄に惹かれて猛アプローチの末に結婚にこぎつけた。一人娘のエミリーも妻に似て可愛らしく成長して、小さいけれど確かな幸せがずっと続くのだと思っていた。


 馬車に轢かれたニコルを放置して逃げ出した貴族は、目撃証言が集まり出すと慌てたように大金を寄越してきた。

 大金と言ってもお貴族様からしたらはした金だろう。謝罪もなく札束を目の前に置かれた時、ニコルにはその程度の価値しかないと言われた気がして、気が付けば金を持ってきた執事ごと追い返していた。



 憔悴しきって生活もままならない状態が続いていたが、それでもやってくる日常に順応することでどうにかやり過ごしていた。

 13歳の娘はしっかりした性格で家事の一切を引き受けてくれたので、俺は振り切るように仕事に没頭した。そうでもしなければ妻を失った喪失感で足元から崩れ落ちてしまいそうだった。


 我が家は間違いなくニコルを中心に回っていて、その歯車を失ったことで俺とエミリーもどこかギクシャクしたものを抱えてしまっていた。思えば妻がいたときから家のことも娘のことも任せきりで、エミリーがいなければ茶葉の場所も分からない有様だった。






 そんなぎこちない生活の中で今朝は珍しくエミリーの機嫌が悪く些細なことで言い争いになってしまった。朝食のパンがいつものじゃないだの丸いパンが良かっただの。次は丸いパンを買ってくるからと言っても、もういい! と家から出て行ってしまう始末だ。

 その日は全く仕事に集中できずにミスを連発して、普段ではあり得ないほど早い時間に職場を帰された。罪滅ぼしのように娘が食べたいと言った丸いパンを2つ買うと自宅の扉の前で立ち止まる。


 エミリーはもう帰ってきているだろうか、どんな顔で謝ろうか、こんな時ニコルがいたら……。


 取っ手を握りしめながらうんうん唸ること10分。ようやく決意して扉を開けると、そこには見たこともないような木造の部屋が広がっていた。






 え?



 家を間違えたかと思って周囲を見回すが外壁は間違いなく慣れ親しんだ我が家だ。驚きに混乱していると中から軽やかな声が聞こえた。


「いらっしゃいませ、魔法の雑貨屋へようこそ」


 え……?


 何が起きたのかまるで理解できず、取っ手を握りしめたまま固まってしまう。家の中に我が家以外のものが収まっている衝撃がわかるだろうか。

 声のした方に目をやると、すり鉢や鍋が置かれたカウンターの奥にひとりの人間が佇んでいた。


 頭は混乱しながらもどこか冷静に状況を把握する。これは高度な空間転移魔術が使われた状態で、目の前の人間は恐ろしいほど高レベルの魔術師なのだろう。

 大きなケープで顔から上半身まですっぽりと覆っていて口元しか見えないが、声は若い女性のように聞こえた。


 いつまでも扉の前から動かない俺を見かねたように、声の主は中に入るようにと促してきた。危害を加えるつもりはないのか両手を振りながらニコリと微笑まれる。

 言うことを聞かなければ殺される、そう自然に覚悟した俺は意を決して扉をくぐった。




「ここは一体、俺はなんでこんなところに来ちまったんだ……」

「こんにちは、お客さま。よかったら椅子に座ってください。美味しいお茶をお入れしますわ」


 ようやく口に出せた疑問は見事なほど無視された。


「突然のことで驚いたと思います。私は予言の魔女と申します」

「予言の、魔女」

「ええ、この魔法の雑貨屋の店主をしております。あなたは悩みを解決したいと強く願ったことで、この場所に導かれました」



 このとき俺の頭には1つのお伽話が思い浮かんだ。幼い頃お袋が聞かせてきた寝物語で、この国で育った子供は必ず耳にする有名な話だ。


 メイソニア王国にはそれはそれは美しい予言の魔女がいる。魔女は長生きで、とても気まぐれ。いつもは森の奥深くで静かに暮らしているが、気まぐれに人間を呼び出しては暇つぶしに話を聞きたがる。魔女のお眼鏡に叶う話をした者は、予言の力でその人間を幸せにしてくれるという。


 魔女は自身の魔法で若い姿をしているだの、予言の力で結婚できただの、色々な噂がぶらさがっているが共通する話はこんなところだ。

 初めて聞いたときは何を予言をしてもらおうかワクワクしながら考えたものだが、まさかお伽話が現実で自分が呼ばれることになるとは思ってもみなかったが……。





 ひとまず命の危機は無いだろうと思い一息つくと、落ち着いたことを確認したのか一瞥して予言の魔女は続けた。


「何かお困りのことがあるでしょう? 私にご相談ください。解決できるようにお手伝いいたします」


 悩み。

 真っ先に思い浮かんだのはニコルのことだった。悩み事は間違いなくニコルが死んだことだ。ただ俺は職業柄死んだ人間を生き返らせる術がないことを嫌という程知ってしまっている。だからこれは悩みとは言えない。

 次に思い浮かんだのはエミリーのことだ。今朝の喧嘩を上手く解決したい、これは悩みと言える。


 しかし突然呼び出されて初対面の素性もしれない魔女相手に、いきなり妻のことを話すのは躊躇われた。魔女の話し方がどこか貴族を思い出させる上品な言葉遣いだったことも原因だろう。

 かと言って悩みを話さないと帰してはもらえないらしく、仕方なく今朝の出来事を魔女に相談することにした。


「…………俺には一人娘がいるんですが、朝くだらないことで喧嘩しちまいまして。朝食はアレがいいコレはやだとそんな調子で、俺も俺で変に言い返しちまって。娘が帰ってきたときどんな顔してりゃいいか何て言ったらいいかって考えてたんです。……こんなくだらないことで魔女様の元に呼ばれるなんて恐れ多くて申し訳ないです」

「何をいうの! くだらない事なんて何もないわ。大切な娘さんなのね」


 魔女は話を聞き終わるや嬉しそうに頬を緩ませ腕まくりをしてやる気満々の様子だ。長いこと生きている割に仕草が子供っぽいが、これは幼児返りというやつか……?


「きっと娘さんと仲直りできるから安心してください! 今の話をまとめると、娘さんと仲直りしたい。ご機嫌をとりたいと……要はそういうことよね?」

「まあ、簡単に言えばそうなりますかね」


 魔女の気分を害さないように気を遣うが、随分ざっくりまとめてくれるなと内心苦笑する。


「娘さんはおいくつですか?」

「13歳です」

「まあ! 甘いものはお好き?」

「え、はい。好きだと思いますけど……」


 言うや否や彼女はカウンターの奥から一つのカゴを取り出した。


「決めました。こちらを授けます」

「これは……」

「アップルパイです」

「え?」

「アップルパイです。今日のおやつに持ってきていたものですが、あなたと娘さんのために譲ります。美味しく召し上がってくださいね」



 正直な話、耳を疑うとはこういう事を言うのだと感心してしまった。

 パイ? 雑貨屋とか言ってた割にアップルパイ? いや待てよ、もしかしたら魔女秘伝の特別製なのかもしれない。


「アップルパイって、あの……リンゴのパイのことですか?」

「リンゴのパイ以外の意味があるの?」

「いえそういうことではなくて、ただのパイ……ですか?」

「そんな訳ないじゃない! 私がただのアップルパイをお客さまにお渡しすると思うの? これはね、我が家で作ったシナモンたっぷりのサクサクアップルパイなんだから。そこらのパイと同じだと思ったら大間違いよ」

「そうじゃなくて! あなたはここを魔法の雑貨屋と言ったのに、悩みを解決するアイテムがこのパイなんですか?」

「……まあアレよ。ひろーい意味でアップルパイも雑貨と呼べるじゃない? そういうことよ」



 何言ってんだこいつ。

 と、口に出さなかっただけ褒めて欲しい。



 あまりの言い草に本当に予言の魔女なのか? と訝しげな目を隠さず向けると、魔女は少しだけムッとした表情で店の奥から液体入りの小瓶を持ってきた。


「そんなに予言を信じられないなら仕方ありません。これも持って行きなさい」

「これは?」

「わたしが趣味で調合した“やたらめったら浮かれた気持ちになる薬”よ。1滴紅茶にでも入れればたちまち機嫌が良くなるから、その間に仲直りでもすれば良いじゃない」

「浮かれた気持ち……って感情を操作する術は失われた魔術じゃないですか! そんな高価な薬受け取れませんよ」

「魔術じゃなくて魔法。いいの、これは新種の自白剤を作ろうとして間違えて出来たものだから。使い道ないし、これならアップルパイより安心できるんでしょ?」

「…………自白剤?」


 理解できない単語が次々出てきたが、この薬があれば娘と仲直りできるような気がしてきた。薬の名前はどうかと思うが、さっきまで怪しんでいたことを申し訳なく思いながらも小さくお礼を述べた。


「来た時よりいい顔になったわね。さあ早く帰りなさい。わかってると思うけどこの店のことは秘密だからね」

「わかってますよ。本当にありがとうございました」


 薬だけでなくアップルパイもちゃんと食べるように念押しされながら、俺は店を後にした。


 魔女という存在に初めて出会ったが、変わった人だったなと笑いがこみ上げる。ニコルが死んで以来初めて心から笑えたときだった。





***





 扉を閉めると辺りはすっかり暗くなっていた。振り返ると家の明かりがついているので、エミリーは帰ってきているようだ。

 今度こそ自宅に繋がっていることを祈りながら扉を開けると、夕食の支度のためテーブルを拭く娘がいた。


「ただいま」

「……おかえり。今日は早いんだね」

「あぁ、まあな」


 まだ怒りが収まらないのかツンとした話し方だった。こういう時に長引かせるのは愚策だ。

 正面突破、いざ行かん!


「今朝は悪かった! これすごく美味しいアップルパイなんだ、一緒に食べよう」


 カゴを差し出しながら勢いよく言い切った。薄眼を開けて娘の顔をチラリとみると、底冷えするような冷たい目を向けられていた。



「私アップルパイ嫌いなんだけど」








…………おいおいおいおいっ!!!


 予言の魔女さんよぉ、全然ダメじゃないか! 機嫌が直るどころか嫌いな食べ物を渡すって……俺を騙したのか?!



 慌ててもう一つの貰い物である薬瓶に手を伸ばしたとき、顔に何かが当たった。


 それは、エミリーが投げた台布巾だった。


「エミリー……?」

「やっぱりパパは何もわかってない! 私のことには無関心で、何も知ろうともしてくれない。私の好きな物も嫌いな物も家のことも、茶葉の場所だってなんにも知らないじゃない! ママがいなくなって辛いのはパパだけじゃないんだよ? 私たち二人しかいないのに、なんでこんなにバラバラなの」



 エミリーは堰を切ったように泣き叫んだ。

 ガツンと頭を殴られたような衝撃だった。


 これほど感情的になっている娘を初めて見た。本当に馬鹿なことに、俺は自分がどれほど愚かだったのかを今の今まで気付くことすらなかった。仕事に逃げて現実からも娘からも目を背けていた。


 ダメなのは予言の魔女ではない、俺だ。



 魔女にもらった薬瓶を握りしめながら、なんと無意味なことをしようとしていたのかと恥ずかしくなる。


「ごめん……ごめんなエミリー、俺はダメなパパだ」


 気付けば目から大粒の涙が溢れて、娘を抱きしめていた。ごめん、ごめんと繰り返すと、エミリーが服の袖を掴んで泣きすがってきた。


 ごめんエミリー。大好きな母親を失って、父親も関心が薄くどれほど心細かっただろう。たった13歳の娘にここまで言われないと気付けない馬鹿な父親で本当にごめん。







 涙が落ち着くと顔を見合わせて、腫れた目でお互い少し笑った。


「ごめん……これからはたくさん話をしよう。エミリーのこと、それからママのことも」

「……うん。まずわたしアップルパイっていうかリンゴが嫌い。食感がちょっと苦手なんだよね」


鼻をすすりながらさっそく語り出す娘に笑いがこみ上げる。


「そうか……今度は違う果物のパイを買ってくるな」

「そうしてくれると嬉しいな。でもママはアップルパイ大好きだったよね」

「そうだっけか?」

「そうだよ! パパさいてい、パパとの初めてのデートで食べたから大好きなんだって言ってたのに」





 言われた瞬間弾けたように思い出した。


 あれは18歳の時、舌を噛みまくりながらどうにか初めてのデートに誘ったあの日。いいところを見せたくて隣町のちょっといいレストランに彼女を誘った。

 広場で待ち合わせて、途切れ途切れに会話しながら到着したレストランは、想像以上に高級感があり焦りながらも店内に入った。メニュー表を見ると目玉が飛び出すほど高い料理に手がプルプルと震えてくる。


「ケビン大丈夫?」

「な、なにが?」

「手ふるえてるけど……」

「そんそんなことないよ。好きなもの頼んで」

「うん…………」


 焦りながらもここまで来てカッコつけない訳にもいかない。これは男の意地だ。

 財布の中身を思い出しながらもう一度メニュー表を見て、自分の分は一番安いものを頼もうと決意する。


「決めた?」

「うん、このキノコのパスタにしようかな」

「わかった、すみません!」


 手を挙げて店員を呼ぶとかっちりしたスーツの男性が注文を取りに来た。


「キノコのパスタ一つと、このアップルパイを一つ……」

「キノコのパスタとアップルパイ、ですね。こちらは同時にお持ちしてよろしいですか?」

「…………はい」


 店員は俺を一瞥すると事情を察して眉を顰めたが、承知しましたと言ってメニューを下げようとした。

 そのとき彼女が店員を呼び止めた。


「あの……やっぱりパスタをやめて、アップルパイを2つお願いします」

「え……?」


 店員が奥に下がるとニコルは俺の目を見て悪戯っぽく笑った。


「実は甘いものに目がなくて。美味しいスイーツが食べたかったの」


 そう優しく微笑む彼女に、俺は心臓を撃ち抜かれた。彼女とずっと一緒に生きていきたいと思った。

 その後出てきたアップルパイの味はほとんど覚えていないが、きっと人生で一番甘く美味しかったことだろう。








 ふと下を見るとニコルと同じ顔で微笑む娘の姿があった。頭を優しく撫でると、エミリーは嬉しそうに目を細める。



 ニコル、不安にさせてごめんな。こっちはどうにか二人でやっていくからさ、次君に会うとき「良くやった」って言ってもらえるようにもうちょっと頑張って生きてみるよ。






読んでいただきありがとうございます。

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