第2話:アップルパイです
店に入ってきた男性は周りを伺うように顔を動かして、店内を観察していた。
窓から入る西日が男性の顔を照らしだす。40代くらいの中肉中背の彼は少し疲れた様子で大きな肩掛けを下げていて、衣服をみるに平民なのだろう。
仕事帰りのパパってところかな。
「ここは一体、俺はなんでこんなところに来ちまったんだ……」
「こんにちは、お客さま。よかったら椅子に座ってください。美味しいお茶をお入れしますわ」
カウンターの前にある椅子を勧めながら、私はお気に入りのハーブティーを準備する。
恐る恐る椅子に腰掛けた男性は私を見つめたまま動かなくなってしまった。
突然こんなところに連れてこられたらびっくりするよね。しかも私の格好ときたら顔を隠すケープをすっぽり被っていて、顔も見えない年齢も分からないで怪しいったらないわ。
彼への同情をのせながら私は説明を始めた。
「突然のことで驚いたと思います。私は予言の魔女と申します」
「予言の、魔女」
「ええ、この魔法の雑貨屋の店主をしております。あなたは悩みを解決したいと強く願ったことでこの場所に導かれました」
名乗った途端、男性は何かに気づいたように目を見開いて少しだけ落ち着いたような、納得したような顔になった。
「悩み……ですか」
「何かお困りのことがあるでしょう? 私にご相談ください。解決できるようにお手伝いいたします」
淹れたてのハーブティーをカウンターに置くとつとめてゆっくり話す。気分は400歳の魔女だ。生きてきた長さが違うのよ坊ちゃん、みたいな。そんな感じ。
戸惑いながらもお茶を受け取った彼は、私の説明に思い当たることがあったのか顎に指を当てて考え込んだ。
「まさか、あのおとぎ話が本当だったことも驚きなんだが……予言の魔女様はこんな俺の悩みを解決してくださると、そう仰るんですか」
不安顔の男性にむかって私は抑揚に頷いてみせた。
400年も続けるうちにこの雑貨屋……もといお悩み相談室はおとぎ話のように語り継がれてしまっていた。お客さまには口止めをして帰すけれど、人の口に戸は立てられないのだから仕方がないことね。
先人たちの話とはいえ少し恥ずかしいので、否定も肯定もせずに話を続けた。
「私はそのためにここに居て、あなたを呼んだのです。お分かりいただけましたか?」
頷いたようなそうでないような、曖昧に顔を揺らしたまま男性はまたもや考え込んでしまった。
いけない、このままではいつまでたっても相談に行き着かないわ。焦れったくなった私は押しの一手を言い放つ。
「皆さん最初は戸惑うけれど大丈夫よ。時間はたっぷりあるからお茶でも飲んでゆっくりしていってね。あぁそうだ、その扉なんだけどとっても寂しがりやでね。こうしてやってきたお客さまのことが大好きで、悩みを解決しないとうんともすんとも開いてくれないのです」
男性が入ってきた扉を指差しながら困ったわ、とため息をついた。
ここに来るお客さまは大体が驚いてばかりで相談に行き着くまで時間がかかる。最近の私はちょっぴり脅すことを覚えたのだ。ふはは。
効果は的面のようで彼の顔色が真っ青になってしまったが、状況を正しく理解した賢い男性は戸惑いつつもポツポツと語り出した。
「…………俺には一人娘がいるんですが、朝くだらないことで喧嘩しちまいまして。朝食はアレがいいコレはやだとそんな調子で、俺も俺で変に言い返しちまって。娘が帰ってきたときどんな顔してりゃいいか何て言ったらいいかって考えてたんです。……こんなくだらないことで魔女様の元に呼ばれるなんて恐れ多くて申し訳ないです」
「何をいうの! くだらない事なんて何もないわ。大切な娘さんなのね」
やっぱりパパさんだったわ。予想が当たったことに少し嬉しくなる。
「きっと娘さんと仲直りできるから安心してください! 今の話をまとめると、娘さんと仲直りしたい。ご機嫌をとりたいと……要はそういうことよね?」
「まあ、簡単に言えばそうなりますかね」
「娘さんはおいくつですか?」
「13歳です」
「まあ! 甘いものはお好き?」
「え、はい。好きだと思いますけど……」
甘いものが好きな13歳の女の子。
間違いない、アレの出番よ。
「決めました。こちらを授けます」
私は魔女の名に恥じないように背筋を伸ばして、確かな自信を持ってひとつのカゴを手渡した。
「これは……」
「アップルパイです」
「え?」
「アップルパイです。今日のおやつに持ってきていたものですが、あなたと娘さんのために譲ります。美味しく召し上がってくださいね」
これ以上ないほどいいものを渡せたわ。ハルフレット家の料理長特製アップルパイは絶品よ! これで機嫌が治らない甘い物好きはいないもの。
私は満足してうんうんと頷いた。
「アップルパイって、あの……リンゴのパイのことですか?」
「リンゴのパイ以外の意味があるの?」
それは初耳だ。
「いえそういうことではなくて、ただのパイ……ですか?」
「そんな訳ないじゃない! 私がただのアップルパイをお客さまにお渡しすると思うの? これはね、我が家で作ったシナモンたっぷりのサクサクアップルパイなんだから。そこらのパイと同じだと思ったら大間違いよ」
「そうじゃなくて! あなたはここを魔法の雑貨屋と言ったのに悩みを解決するアイテムがこのパイなんですか?」
むむ……意外と冷静ね。痛いところを突かれてしまったわ。内心の焦りを感じながらも私は冷静にすっとぼけることにした。
「……まあアレよ。ひろーい意味でアップルパイも雑貨と呼べるじゃない? そういうことよ」
「はぁ……」
さっきまで恐れ入っていた様子の男性はパイを渡した途端、胡散臭いものを見る目で私をみつめた。
……バレたかしら。
実は13代目予言の魔女を名乗ってはいるが、私の予言の力はとても限定的で未来が見えたことは一度もない。
私の力、それは“勘”だった。
未来は分からない。見ることも感じることもない。にも関わらず私の勘は未来を見通したかのように正確無比に冴え渡る。
今日の夕飯の献立も、見ず知らずの人間が何に悩んでいてどうしたら解決するのかも、私が望めば直感的に知ることができる。
計算式なしで数学の問題の答えだけが分かるようなものなので使い勝手が良いとは言えないが、雑貨屋の店主としては申し分ない能力だろう。
どうやら歴代の魔女達は予言の魔女の力を特別な儀式で壌土されるので、それぞれの個性が出た能力になりやすいらしい。
……つまり何が言いたいのかというと、このアップルパイがどう活躍してくれるのかは私にもまるで想像がついていないってこと。
これまでにもたくさんの物を渡してきたわ。庭で拾った石だとか、使いかけのタオルだとか。なぜ? って思ってもどうしてもそれを渡したくなってしまうの。
その度に胡乱な目で見られることが多くて居た堪れないし、なんだか申し訳ない気持ちになる。それでも他の物を渡す気にならないのだから予言としては正しいのだろう。
予言の力は偉大で絶対。それが我が家の教えだ。
***
こちらの事情も知らずに男性はカゴの中のアップルパイを眺めて眉をひそめるばかりだ。
大丈夫。こんな時は一撃必殺、アレの出番よ。
「そんなに予言を信じられないなら仕方ありません。これも持って行きなさい」
私は棚の奥から親指大ほどの瓶を引っ張り出すと恭しくカウンターに置く。
「これは?」
訝しげな目を隠しもせず男は胡散臭そうに瓶を揺らした。
「わたしが趣味で調合した“やたらめったら浮かれた気持ちになる薬”よ。1滴紅茶に入れればたちまち機嫌が良くなるから、その間に仲直りでもすれば良いじゃない」
「浮かれた気持ち……って感情を操作する術は失われた魔術じゃないですか! そんな高価な薬受け取れませんよ」
「魔術じゃなくて魔法。いいの、これは新種の自白剤を作ろうとして間違えて出来たものだから。使い道ないし、これならアップルパイより安心できるんでしょ?」
「…………自白剤?」
少しふて腐れたように言うと申し訳なさそうにしながらも、ありがとうございますとお礼を言ってくれた。
「薬もいいけど必ずアップルパイも食べるのよ? 娘さんと二人で。約束よ」
「はい。必ず食べます」
ようやく笑顔を浮かべてくれた男性をみて私も嬉しくなる。
「来た時よりいい顔になったわね。さあ早く帰りなさい。わかってると思うけどこの店のことは秘密だからね」
指をさして言い募ると、彼はわかってますよと笑いながらお辞儀をした。
「それでは、ありがとうございました」
扉に手を掛けた男性を見送ろうと席を立った瞬間、私は大切なことを思い出した。
「ちょっと待って。お代を忘れてた!」
「お代?! 無理やり連れてきておいて金取るのかよ」
「お金じゃありません頂くのは魔力ですっ!」
せっかく笑顔になったのにまた訝しげな目に戻ってしまった男性を横目に、棚から両手におさまるくらいの水晶玉を取り出した。
「この水晶に手を当てると然るべき魔力をお代としていただきます。命に関わることはないから、さあ!」
ほら! と水晶を彼に近づけると、じとりと睨まれながらも大人しく手を置いてくれた。
「2〜3日もあればきちんと回復するからその間は大きな魔術を使わないようにしてください」
「おお、わかった」
今度こそお別れだと思い扉へ向かう彼を見やると、じっとこちらを伺っていた。
「なあに?」
「いや、魔女さんは……変わり者だって言われないか?」
「へ? い、言われないわよそんな失礼なこと!」
「そうかそりゃ失敬。なんだか久々に楽しい時間だったよ。ありがとう、薬も、アップルパイも」
そう言ってくつくつと笑いだした男性は、片手を上げて笑顔で帰っていった。
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