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あなたには神としての自覚はあるのですか?

作者: 鈴木美脳

 高校1年の第2学期、席が隣り合った子となんとなく付き合いはじめて、新宿で3回目のデート。

「あなたには神としての自覚はあるのですか?」

 歩道で突然立ち止まり、たまりかねた怒気をあらわに、彼女は言った。


 神?

 俺は神じゃない。

 何を言っているんだ、こいつは。


「えっ、神? 俺は神じゃないよ?」

 宗教とかやっている、やばい子だったのだろうか。


 しばし沈黙する彼女。

 カフェに入って話をすることに。


 簡単な注文をして受け取り、席に座る。


「あなたは神ではないと、なぜそう思うのですか?」

 まっすぐに俺を見て彼女はそう言う。


 愚問に思えた。明らかな事実に根拠がいるだろうか?

 しかし、「明らかにそうだ」と言って、納得してくれそうな目つきではなかった。

「まず第一に、俺には肉体がある」


「……つまり、神には肉体がない、と?」

「そうだ」

「なぜそう思うのです?」

「普通、そうでしょう。

 神社や教会でだって、人々は、肉体ある存在に対して祈っているわけではない」

「神社や教会って……。

 ではあなたは、人々が神だと思っている概念があってそれが神だと言うのですか?」


「えっ?、もちろん。

 ある言葉の意味とは、その実際の用法すべての集合にほかならない。

 人々が思う神とは別の概念として、君の言う神の概念を受け取る理由は俺にはない」


「あなたって、きっと。

 クラスでいじめられている子がいて、クラスの全員がいじめなんてないって言ったらさ。

 このクラスにはいじめなんてありません、って、平気で言える人なんだろうね」


「いや、それは違うでしょ。

 俺はそんなことはしないよ。

 それは、事実としていじめがあるという状況なんでしょ?

 その事実を知っていて、俺が嘘をつくということはない」


「だったら、人々の認知とは始めからその程度のものだと分かるでしょう?

 多数決の結果と事実とに関係があるかと言えば、本質的には無関係でしょう?

 ゆえに多くの人が身体なき神に祈っているとしても、それは肉体ある神の不在を証明しはしない」


「つまり、俺が神だと?」

「あなたの理屈は、あなたが神であることを否定できていない、ということです」


「神様に肉体があるなんて話は、滑稽だな。

 なぜって肉体は、やがて滅びる。

 不滅こそが神の属性なら、死の可能性は実に、人間たることを証明してるではないか」


「死?

 しかしあなたは、あなたの死を認識できませんよね?」


「つまり、俺が死んだときには俺はもう死んでるから、『俺もう死んだな』と思えないって?

 それは詭弁だよ。

 主観主義に立ってすべてを説明することもできるが、どの人も確かな実在だと考えたほうが、生活は合理的に進む。

 俺が死んだあとにも世界は確かに存在して、『死後の世界』では俺は確かにもう死んでいる。

 死後の世界の存在を否定して人生をまっとうしようと考えるほど、俺は無責任なやつではない」


「なるほど。

 じゃあ、あなたが今日ここで死んでしまえば、あなたはあなたが神でないことを私に証明できますね?」

「……それが、今日の君の本当の目的ということ?」

「違いますよ。

 あなたが死ぬことによっては、あなたが神でないことを証明できないと言っています」


「例えば仮に、あなたがイケメンだとしましょう」

「仮に? まあ仮にだが、あえて言うか?」

「仮にあなたがイケメンだとして、あなたの死はイケメンの死でしょうか?」

「イケメンの死でしょう」

「私の死は、美人の死でしょうか?」

「『仮に』君が美人だとして、それは美人の死でしょう」

 彼女は静かに首を振った。

「美しさという属性それ自体は、それが宿った肉体の滅びによって、消え去るものではありません。

 でなければ私の死後、2度と美人という存在はありえないことになってしまうでしょ?」

 彼女はいたずらっぽく笑った。


「つまり話を戻すと、『神な』人間がいるってこと?」

「『神な人間』は、神にほかならないということ。

 それはちょうど、『美しい人間』が美人にほかならないように」


「なるほどね。

 まあ、君の独自定義の『神』において、滅びうる肉体を持った神が存在しうるという理屈はわかった」

「つまり、あなたが滅びうる肉体を持っていることは、あなたが神であることを否定できていない」

「それは、わかったよ。

 でも君の言う『神』は、しょせん独自定義だからね。どうとでも言えるでしょう。反論するのも馬鹿馬鹿しいんじゃないかな」


「私の言う『神』が独自定義ですって?

 じゃああなたは、私が独自に定義する神の定義によっては、自分自身が神であることを認めるということですよね?」

「君が勝手に定義するホニャララによっては、俺がホニャララであることは認めるよ。

 でもそれは何も言っていないのと同じだ。

 それに、『神』だなんて、第三者にいらぬ誤解を招く物言いをするつもりはないね」

「でも私がする定義に、世間での慣習よりまさった論理的一貫性がもしあれば、あなたはきっと、それが独自定義だと笑ってはいられなくなるでしょうね?」

「何のことやら。今のところ、どうという一貫性なんて感じないけどね」


「わかりました。

 それでは、話を変えましょう。

 あなたは、どんな人を尊敬しますか?」


「尊敬?

 あまり尊敬ということをしないけど、強いて言えば、どうだろう。

 映画やアニメの、ヒーローのような、強くて人助けをするような、そんな人かな。

 そこまで行かなくとも、現実の毎日を、まっとうな人間性で生きている人を、尊敬する」


「お金持ちだけど意地悪な人と、お金持ちではないけれど優しい人がいたら、どちらを尊敬しますか?」

「お金持ちではないけど優しい人。それはそうでしょ」

「お金持ちだけど意地悪な人と、お金持ちではないけれど優しい人、どちらかにしかなれないならば、どちらになりたいと思いますか?」

「他人として尊敬するよりも、少し辛い質問だね。でもやっぱり、お金持ちではなくても優しい人でありたい」

「なぜ?」

「……なぜだろう?」

「なぜならあなたが、神だからです」


「神? なぜそうなる。

 そんな質問、100人が100人、そう答えると思うけどね」

「そうでもありませんよ」

「少なくとも、同様に答えた者が神なら、神とやらは世間に非常にありふれていることになる」

「程度問題なんです。まったくありふれていない程度というものがあります」

「俺がそうだと?」

「です」


「知性にとって、客観主義的な立場と、同情主義的な立場というのがあるのです。

 客観主義的な立場にとっては、遭遇する他者は、物質です。

 つまり、『自分さえよければいい』というスタンスで振る舞うことになる。

 同情主義的な立場にとっては、違います。

 遭遇する他者は、苦楽を共有し、分かち合うべきものとして捉えられる。

 つまり、精神的なシンパシーを中心とした世界観で振る舞っていくことになります。

 客観主義者は金銭を優先し、同情主義者は慈悲の美徳にこそ優位な尊厳を感じる」

「だから?」

「私がした『神』の定義もまた、客観主義者たる属性についてそれを言ったのではなかった。

 『自分さえよければいい』というスタンスについて『神』だと呼称するなら、それは滑稽ではなくて?」

「確かに少なくとも、神社や教会で、人々はそんな属性に祈っているとは思われない」

「つまり私がした『神』の定義も、あながち独自定義ではないということになります」


「はあ、要するに、人々には、客観主義的な性質と、同情主義的な性質という葛藤があって。

 同情主義的な性質の程度が甚だしい場合には、その属性を『神』と呼称しうると。

 その属性を備えた人それ自体もまた、『神』と呼ぶことが妥当だと君は言いたい?」


「例えば、キリスト教道徳において、神は愛でしょう?

 そして、人々への愛や許しを持って生きることこそ、信仰する者としての実践でもありましょう。

 逆に、キリスト教において神への信仰を言っておきながら、生活において愛の実践が皆無であるなら、得ることを望むだけで与えることを固く拒むなら、それは信仰として低劣でしょう?

 つまり、神に祈るとか、神を愛するとは、遥か遠い道のりの一歩一歩であっても、人でありながら神に近づいていこうという行為であるに違いありません」


「キリスト教はよく知らなくて」


「そして一般に、どの人もその内面には、明日の自らはよりこうありたいという、模範としての模型がある。

 そして、その模型の属性を備えた人物像を夢想するなら、それに対して『尊敬』の感情を感じる。

 すなわち、拝金主義者にとっては金持ちこそ神であり、裕福へ近づくことこそ人生の価値にほかならない。

 すなわち神の真の定義とは、尊敬の情念と固く連続するものであり、その根本は、内心が向かう模範像です」


「つまり、信仰することと、神に近づくことと、神であることとが、同一だと言いたいの?」

「それは、同一に向かわざるをえないでしょう?

 それは、収束していきますよ。

 少なくとも、客観主義的な時代に生まれて、同情主義者として生きようとするなら。

 必ずしも報われない生き方において、自身を自ら規定していくことになる」


「お金持ちにはなれなくても、優しい人でありたいって、あなたは言った」

「俺は言った」

「それは本心でしょう?

 あなたはすでに、そう生きてきた。

 辛い思いだってたくさんして、あなたはすごく多くを、もう諦めている。

 良心に沿った生き方が、幸福な人生に繋がる可能性を、もう半ば絶望している。

 でもなお自分らしく生きたくて、孤独であっても自分らしい型に自分をはめている。

 その型に名前はありますか?」

「確かにそうかもしれないけど、その型の名前なんて考えたことがない」

「だから私は、その型を『神』と呼んだ」


「私も実は、神なのです」

「君が神?」

「同情主義者として自分らしく生きて、報われずとも良心に沿って生きて、目立つことなく苦しみ多く死んでいく人生に、納得してしまっています。

 でも私には、神としての自覚がある。

 あなたには、神としての自覚がないでしょう?」


「俺は神じゃない」

「あなたに神としての自覚がないことが、私にはとても残念です」


「あなたには、神としての自覚がない。

 あなたは神として生まれたのに、神としての自覚がない。

 神に生まれた者としての、責任感がない。

 責任感に応じるところの、恥の感覚がない。

 だからあなたは神としての属性を十分に発揮するところがなく、自堕落な部分を備えてもいる。

 そして何より、人間達の一員たるつもりで、道に迷いつづけている。

 だから私はずっと、あなたに責任感を持ってほしかったの」


「責任感って言っても、どんな責任感だよ?」

「自分を人間だと思わないこと。

 人間より優秀だからといって自分を優秀だと思わないこと。

 人間より倫理的にずっと優秀でいて、それを当たり前だと思うこと。

 親切に接した人間達から無数の悪意を向けられて、いちいち道に迷わないこと」


 一瞬、俯かせた瞳が寂しげにうるおう。


「あなたは神なのよ?

 恥を知りなさい!

 人間なんかの悪意に触れるたびに道に迷って。

 それは神にあるまじきこと!」


 そう言って彼女は席を立った。


 そして一度だけ振り向き、

「あなたには神としての自覚が足りないのよ!!」

 そう言い残して帰っていった。


 それは、高校1年の第2学期、俺が初めて口にした失恋の味だった。

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