表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Candle in the Dark 【lightness】  作者: WAKA
Dark Seeker
8/32

Inheritance

 自然と目が覚めた。

 窓から差し込む昼下がりの光が、閉じた瞼の裏でちらついて眩しい。そよ風が鼻先をかすめ、浮き上がった毛先が頬にあたってくすぐったい。一つ一つの小さな刺激が、私を目覚めさせてくれたのだ。

うっすらと目を開けると、水の中から世界を覗き見るように視界がぼやけた。


「ここ、どこ?」


 世界が輪郭を帯びずとも、自室でないことはわかる。私の部屋は薬品のにおいはしないし、白い壁で覆われてもいない。

 窓の外からサッサッ、っと一定のリズムが聞こえてきた。この軽い音は箒の音だ。誰かが庭を掃除しているようだ。その音で私の関心は部屋の外側へ向いた。外を見れば、ここがどこかわかるかもしれない。

寝返りを打とうとしたが、全身に力が入らなかった。「くぅ」なんて情けない悲鳴が零れて、肩に張った力が抜けていく。


 体が重く、意識もはっきりとしない。これでは起き上がることなどとても無理だ。

けれど、視界は徐々に戻ってきた。床の木目に映った木の影が見える。窓の外には木が生えているようだ。


 首に力を込めると、なんとか頭だけは動かせた。これなら窓の外を見ることくらいはできるだろう。首を伸ばして外の様子を伺おうとした時、ドアが開く音がした。反射的に音のしたほうへ目を向けると、エドワードが立っていた。

 見知った人の顔を見て、ひとまずホッと胸を撫でおろす。

 エドワードは私を見て目を大きく見開いている。元軍人で肝の据わった彼らしからぬことだが、よほど驚いているらしい。驚いたのはこちらの方だ。女の子の部屋にノックもなしに入るなんて。


「おはよう、エドワード。ノックくらいして」


 そう言った私を見て息をのんでいる。


「変な顔してるわよ」


 あまり見る機会のないエドワードの動揺に可笑しくなった私は、思わず笑みをこぼしそうになった。悟られぬよう口元を手で隠そうとした時、指が包帯に触れた。掌で頬に触れてみると、私の顔一面に包帯が巻かれていることがわかった。


「なに、これ。あっ」


 よく見れば手も包帯で覆われている。

 どうして包帯なんて。大怪我をしたわけでもないのに、怪我ならノエルの方がーー

 その瞬間、筆舌し難い頭痛に襲われた。太い錐で頭蓋の奥まで貫かれるような激しい痛み。それと同時に、あの夜の記憶が蘇った。


 これまで聞こえていなかった風のざわめきや、雨の音がうるさいほどに鼓膜を刺激する。夜の闇と水飛沫の中、私はそれと対峙していた。地下室から飛び出した黒い影が、ジッとこちらを見ていた。記憶の中で雷鳴がとどろいた。雷光の明滅があまりに眩しく、目を閉じたところで体を揺さぶられていることに気づいた。


「コゼット! しっかりしろコゼット!」


 エドワードのごつごつとした手が肩にある。


「エドワード、私はーー影が、雷が鳴って、ノエル。ノエルはどこ?」


 私は自分の体を抱いて震えていた。


「落ち着け。自分の名前を言ってみろ」


「コゼット・・・・・・バルヒェット」


「母親と父親の名は言えるか?」


「・・・・・・もう大丈夫、落ち着いた」


 エドワードの手を払い、無理矢理に体を起こした。鮮烈な記憶から帰ってきたためか、精神は極限まで昂っている。体の重さなど吹き飛んでしまったようで、先ほどよりは動くことができる。

 足を床につけたところで、咎める声と共に手が差し出された。


「無理をするな、とても動ける体じゃない」


「うるさい、ほっといて」


 苛立ちから意地を張ったが、生まれたての小鹿のようにガクガクと足が震えた。これが自分の足であることが信じられない。目端に涙を浮かべ、唇をかみしめて耐えた厳しい訓練。手に入れたはずの引き締まっていた太ももは、ケーキのスポンジのように脆く感じる。


「動きなさい」


 太ももを拳で強く叩いて血管を刺激する。なんとか立ち上がって歩くことはできたが、感覚がおぼつかない。特に左足が酷く、引きずらなければ歩けなった。

 ドアから外に出ようとしたら、壁掛けの鏡に全身が映っていることに気づいた。レース編みが施されいてる、白い木綿のナイトガウンを着させられていた。そこから出ている腕や足、果ては首から顔までは包帯が巻かれている。


「まるでミイラね」


 自嘲めいた笑みがおもわず零れた。


「全身やけどを負っていたんだ。当然の処置だろう」


 エドワードの一言に記憶が再び蘇る。

 雷に打たれたことを覚えている。大気を震わせるほどの爆音は、そうそう忘れられるものではない。思い出すだけで背筋があわ立つ。


「こんなにぐるぐる巻きにしてくれて。怪我の状態はひどいの?」


「発見された時は全身が炭のように真っ黒だった」


「炭、ね」


 エドワードの歯に衣着せぬ物言いは、かえって私を落ち着かせた。これほど包帯で巻かれているということは、よほど醜い容姿となり果てたのだろう。遅かれ早かれ、いずれは見ることになるのならいっそ今の方が――


「おいおい」


 エドワードの静止を無視し、顔に巻かれていた包帯をむしり取った。

 鏡に映る顔を見た私は、息をのんで押し黙った。

 爛れた皮膚が現れるかと思いきや、そこには以前と変わらない自分の顔が映っている。指先で頬に触れてみたが、きちんと弾力もある。肌はむしろ以前よりも綺麗になっているような気がする。


「どういうこと?」


 冗談を言うにしても、これは嗤える類のものではない。私はエドワードを睨みつけた。


「俺だって信じられんさ。落雷で枢機卿の屋敷が火事になってな。火の煽りを受けたお前は酷いやけどを負っていたが、今は元通りだ」


 そんな馬鹿な話があるものか。火傷を負った者の肌がどのようになるかなど私でも知っている。皮膚がこのように回復することなどあり得ない。エドワードは私をからかっているのだ。


「大した怪我でもないのに包帯なんて巻いて。私のコートは? あるでしょ」


 エドワードが視線を向けた先に、備え付けのクローゼットがある。苛立ちながら扉を開け、目についたコートをつかみ取ってドアの外へ出た。

 私が歩くと、そのあとをゴツゴツとした音が続く。義足と杖の音を響かせて、エドワードが無言のままついてきているようだ。


「ここは病院?」


「そうだ」


「私はどれくらい眠っていたの」


「かれこれ1か月だな」


「もう十分寝たわね」


 もつれそうになる足を必死で動かした。少し歩いただけなのに、疲労で頭が重くなる。眠気が瞼の上に重くのしかかり、視界が揺れ始めた。休息を求める体を叱咤し、フラフラになりながら歩いていくと、廊下の突き当りに一階へと続く階段があった。手すりに掴まりながら、木製の階段を下りていく。私が板を踏む時はおとなしいが、後ろに続くエドワードが踏むとギイと軋む音がする。


 ギイ、ギイ、ギイ、と。あの時の音が聞こえてくる。


「ノエル」


 ノエルのことを考え、思わず思考が停止した時だった。一瞬だけ意識が途切れ、足を踏み外してしまった。見えていた景色が急に傾いた。手すりに掴まろうとしたが、今の私の握力は赤子にも劣るだろう。体が傾き、階段の板が目の前に見えた時、腰のあたりをぐっと掴まれた。


「愚かな小娘だ」


 倒れかかった上半身が引っ張られ、気が付くとエドワードの腕の中にいた。彼は戦地で片足を失い、杖なしでは歩行できない体でありながら、不安定な足場の階段で軽々と私を抱きあげた。老齢の割に筋骨猛々しいためか、単に私が軽すぎるのか。驚いて目をしばたたいていたが、すぐに羞恥と屈辱の念が沸き上がった。


「降ろして」


「馬鹿が、何を意地になっている」


「エドワード」


「睨んでも少しも怖くないぞ。それに、すごむのなら額の冷や汗を拭ってからにするんだな。今は意地を張る時ではない。ほら、どこへ行きたいのか言え」


「病室に連れ戻すんじゃないの?」


「それが無駄なのは知っている。ならば一緒に行ったほうがいい」


「・・・・・・屋敷へ。ノエルの家に連れて行って。お願い」


「わかった」 


 体からはすっかりと力が抜けていた。意地を張り続けることにも疲れた。ただ黙って、エドワードに身を預けていればいい。

 エドワードは誰に咎められることもなく、しれっとした顔で病院を出た。そうして待たせておいた馬車に私を乗せ、目的地を告げた。

 席に座ると、重い疲労が肩にのしかかってきた。くたびれて、今すぐにでも眠りに落ちてしまいそうで、気が付けば壁に頭を預けてしまっていた。前の席に座るエドワードが呆れて嘆息している。


「ごめんね、エドワード」


「かまわん」


「そうじゃなくて。あの、夜のこと。黙って抜け出してごめんなさい」


「・・・・・・優秀すぎるというのも考え物だ。警備の目を盗んで抜け出すとは」


「警備は? クビになっちゃた?」


「俺を含めてクビにはされていない」


「よかった・・・・・・お父さんとお母さんは?」


「トーマスは仕事が忙しくて見舞いに来ていない。お前のかあさんは――まあ、しばらく会わないほうがいいと思う」


「また大暴れしたんでしょう? 夜中に家を抜け出して、怪我して入院するような子供を罵ったんでしょう?」


「・・・・・・とにかく、しばらくは会わないほうがいい」


 肩を竦めたエドワードは、それから何も言わなかった。

 気を使わなくたっていい。母に嫌われているのは知っているし、今更なんとも思わない。

 窓の外は快晴だった。澄んだ空気で満たされ、どこまでも青い空。淡い色の空を鳥が飛んでいくのが見える。

 どうして世界は、こんなにも美しいのだろう。ノエルのいない、この世界はどうしてこんなにも。




 

 あの豪勢な邸宅は今や見る影もなかった。

 赤レンガの壁と白い屋根は焼けて黒く変色し、鏡のように磨かれていた窓ガラスは砕け散っていた。風が吹く度、邸内は軋むような嫌な音を立て、窓辺からは塵のようなものがパラパラと吐き出されていた。

 あたりは午後の穏やかな陽気に包まれている。火事などなければ、この庭園の芝生は日差しを受けて輝いていたはず。真新しい館だって――きっとそこでノエルは、陽気に過ごせたはずなのに。

 雷が落ちなければ。

 いや、違う。あの母親のせいだ。行き過ぎた宗教観を娘に押し付けさえしなければ。


 私が、助け出せていれば。


 私は泣きたくなった。理不尽に友を奪われた歯痒さと、自らの無力さが許せなかった。

 こんなにも寂しい場所で、ノエルは生涯を終えたのだと思うとやり切れなかった。

 無邪気に私の手を引き、密やかなるものを共有し、笑いあった大切な友達。その彼女は大雨の夜に地下室で果て、肉体はこの家と共に灰となり、魂はあるべき場所へと還っていった。


「夜中の火事でな、ほとんどの人は火にやられた。お前の友達もな」


 エドワードの言葉は茨となり、私の胸に突き刺さった。あの夜に轟いた雷が再び蘇る。戦いて後ずさりをすると、炭の塊を踏んだ拍子に尻もちをついてしまった。


「ああ、ノエル」


 自らを叱咤するのに精いっぱいで、瞳から零れ落ちる涙を拭う暇はなかった。私は思うままに生きるため、訓練を積んできた。大切な友達一人守れなくて、なんのための訓練か。


「それ見たことか。まだここへ来るのは早い、心が持たんだろう。病院へ戻るんだ」


 後ろにいたエドワードが手を差し伸べている。振り向いた私は、あるものに釘付けになった。ごつごつとした皺だらけの指の隙間から、イチイの木が見えていた。

 その時、庭内に風が吹き抜けた。あおられた芝草は黒焦げになった先端を一斉に木に向ける。灰の臭いを孕んだ風が白いナイトガウンの裾を翻し、背中を押すようにして流れていく。

 呼ばれている気がした。

 私は立ち上がり、足を引きずりながらイチイの木へと向かう。


 『庭のイチイの木。その根元に鍵を埋めた』


 ノエルがそう言っていたのを思い出し、心がさざ波だった。


『あの鍵は魔法に繋がってる。あれを託したいの。もしもの時はきっとコゼットを守ってくれるの。鍵だけ持って行って』


 途中で何度も転んで、顔が泥と煤だらけになった。涙に顔を歪ませながら、ノエルの言葉に縋ってよろめき歩いた。大きなイチイの木が葉をざわめかせて私を呼んでいる。庭園にまで燃え移った火災であったが、この木は悲劇に見舞われていなかった。力強く佇み、天井から黄金の木漏れ日を降らせていた。

 やっとの思いで木の根元までたどり着くと、さっそく両膝をついて土と向き合った。土の中に指を入れて掘り返す。見つかるまで手当たり次第に掘り返してやろうと思っていたのに、それはあっけなく見つかった。掘り返した土の臭いがした時、指先に何かを感じた。両手ですくい上げるようにして、何かを引っ張り上げる。


 金色のチェーンの先に、青銅の鍵があった。最後にノエルとあった日、彼女の胸元にあったものだ。


「ノエル・・・・・・隠したのね、大変だったろうに。捨ててしまうこともできたはずなのに」


 親指と人差し指でカギをつまみ、木漏れ日に掲げてみた。光を浴び、宝物のように光るそれはノエルが最後に残してくれたもの。他でもない私にくれたものだった。


「どうして私にくれたの? ねえノエル、この鍵はなに?」


 私はそれをかき抱き、蹲って泣いた。


 なぜか、初めて見たノエルの笑顔が思い出された。前歯を覗かせ、目を細めて笑う姿が、とても可愛らしかった。つられて私も微笑むことができた。これまで一人ぼっちだったのは私だけではない、ノエルもそうだったから私たちは惹かれ合ったのだ。初めてできた本当の友達。



「あんたが私に残してくれたもの。これがなんなのか、絶対に突き止める」


 涙声で述べた誓いの言葉。

 土の臭いの上を爽やかな風が吹き抜けていく。一瞬だけ木の葉がざわめいたが、それきりしんとなった。もう風は吹かなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ