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Candle in the Dark 【lightness】  作者: WAKA
Dark Seeker
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Lullaby

 ノエルの家は庭付きの豪邸。庭には巨大なイチイの木が植えられるほどに広い。だがその敷地は他の侵入を拒む、巨大な鉄柵でぐるりと囲まれていた。


 錠がかけられている黒い鉄の門扉と柵。柵の奥には中を見せないよう、高い生け垣が肩を並べている。

 柵は土台である煉瓦に鉄製の棒が等間隔で刺さっている類のものだ。鉄の棒を握りしめ、柵の隙間から屋敷の様子を窺う。生け垣の隙間からかろうじて見える屋敷に灯りはない。皆寝静まっているのか、すっかり夜の闇に呑まれている。潜入には絶好のタイミングだ。


 上を見上げると、雷光が明滅した。私の身長の三倍はある柵の先端が、夜の闇に一瞬だけ浮かび上がる。先端は槍の如く鋭利であり、今にも空を突き刺しそうだった。これを登らないといけない。

 ショルダーバッグからロープを取り出し、先端に輪を結わえた。それを柵の上目掛けて放り投げる。

 雨水を吸ったロープは重く、投擲に支障が出ないか不安であったが、一発で柵の先端に引っかかった。

 ロープを引き、しっかりと固定されているかを確かめる。足を交差し、ロープを足場にしてゆっくりと昇っていく。これくらいの柵ならば難なく登れる。


 そうして上まで昇りきった時、どこからか馬の蹄が聞こえてきた。音のする方を見ると、誰かが馬に乗ってこちらへ迫ってくる。警察かこの屋敷の警備か、いずれにしても柵の上にいる所を見られてはまずい。


 慌ててロープを引き上げ、覚悟を決めて飛び降りた。庭の繁みがクッションとなり怪我をすることはなかったが、飛び降りる時に弦が切れる音を聞いた。着地の際、弓の弦が繁みに引っかかってしまったらしい。手入れは十分にしていたはずなのに、まさかこれくらいの衝撃で切れてしまうなんて。


 繁みの隙間から柵の方を見ると、馬に乗った人が何事もなく通り過ぎていった。警察でも警備でもない、ただ通りかかっただけの人だった。


 壊れた弓を持っていても仕方がない。弓と矢筒を繁みに捨て、屋敷の方へと急いだ。


 私は改めて建物の全体を眺めた。なんとも豪勢な邸宅、まるで巨大な獣が腹をつけて寝そべっているようだ。まあ私の家よりは小さいのだが。


 壁に張り付き窓から中を窺おうとしたが、カーテンが引かれていた。窓にはしっかりと施錠されていることがわかった。当然だが、どの扉も窓も鍵がかかっているだろう。


 問題ない、そのために下見しておいたのだ。


 正面玄関から見て左端の方へ走る。


「あった」


 それは地下室へと続く扉である。引き戸の取手には鎖が巻かれていて、中心にはシンプルながらも強固な錠がはめてある。この錠なら開けられる。

 ショルダーバックからピッキングツールを取り出し、小さな針金を鍵穴に差し込んだ。チキチキと鳴る金属音と指先に伝わる振動に意識を傾ける。


 錠破りの技は目隠し状態で訓練してきたし、実際重要なのは目ではなく指先の感覚だ。暗闇でも問題ない。


 カチャ、と音がするまで五分と経たなかった。


 錠と鎖を静かに取り除き、引き取を開けて中を覗き見る。


 地下室には外よりも重く沈んだ闇があった。闇の奥からじめじめした空気が流れてくる。カサカサと動き回る音はネズミかなにかだろう。ここまで来て怖気づいても仕方がない、私は地下室への階段をゆっくりと降りた。とりあえず雨風は防げる。濡れた衣服が肌にべっとりと張り付いて重い。ブーツの中にも水が入り込み、歩く度にグジュグジュと音が鳴る。ジャケットとブーツを脱ぎ、可能な限りの水を払い落した。


 なんとか邸内に入ることはできた。その安堵から息が漏れる。

 いや、まだ地下に入っただけだ。僅かでも安堵した自分を叱咤する。

 緊張を保たなければ、重大なミスを誘発しかねない。目的はノエルの安否確認と、必要であれば救出すること。達成には未だ様々な困難が待ち受けているだろう。これから邸内に繋がる入り口を探さなければならない。地下室側からでも開けられる扉であれば良いのだが。


 バッグからマッチと蝋燭を取り出して火を灯す。蝋燭の芯にマッチを近づけると消え入りそうであった灯が乗り移り、オレンジ色の光が手元に停滞してくれる。ところが、どういうわけか蝋燭の光は闇の中に溶けていく。自分の手すら、光に映らない。


 何もかもが闇に溶けていく。これは本当に私の手だろうか。

 この地下室、何かおかしい。


 急に何かがブーツをかすめた。思わず悲鳴を上げそうになった。恐れるな、きっとただのネズミだ。

蝋燭を持つ手を前に突き出し、ゆっくりと地下室の中を進む。


 床には庭師が使う肥料袋が重ね置きされている。壁側の木棚には壜詰めされたピクルスやジャムが並ぶ。近くには鉄製のバケツがいくつか並べられ、中にはジャガイモや玉葱が入っている。

どこにでもある普通の地下室のはずなのに何か変だ。闇の濃さもおかしいが、それよりも何か、もっと別の。静寂の中に、何かの気配を感じる。ネズミではない、もっと大きい。


 じっと耳を澄ませても何も聞こえない。音や光の全てが壁に吸い込まれているようだった。

 辺りを見回していると、ふいに何か黒いものが横切った。

 私はそろりと踏み出した。


「誰かいるの?」


 返事はない。


 体の奥に冷たいものが生まれ始めた。それはすぐさま背骨から首筋にかけて這い上がって来た。いやな汗が浮かび始めた。何かとんでもない場所へ足を踏み入れてしまった気がしてならない。いったい、この感覚は何なのだ。


 その時、甘い香りがした。


 とても懐かしく、心が安らぐ香り。無意識のうちに歩くと、蝋燭の光の中に、倒れているノエルが浮かび上がった。


「ノエル!」


 蝋燭を床に置き、彼女を抱え起こした。光に浮かび上がったノエルは凄惨な姿だった。顔は殴られて腫れあがり、前歯が二本なかった。口元の痣は布で縛られていたためだろう。背中に回した手にべっとりとした血がついた。背中の部分だけドレスが破られている。鞭で打たれたのか、背中にはいくつもの赤い裂け目ができていて、未だに血が流れていた。腹部に血が滲んでいたので脱がせてみると、おへその上には焼き印があった。


 その姿に全身を揺さぶられた。今まで感じたこともないほどの、強烈な怖気が全身を包み込む。

 私の体は冷たくなっていく。


「ノエル、ノエル」


 呼びかけても首がぐったりと傾き、目を開けてくれない。


 死んでいるのではないか、その恐怖に私は震えた。


 口元に耳を近づけると、小さな呼吸音が聞こえた。生きている。


「コゼット」


 あぁ、この声が聞けただけで、どれほど勇気が湧いてきたことだろう。


「痛い、痛いよ」


「大丈夫よノエル、助けに来たの。もう大丈夫」


「コゼット」


 ノエルがしがみついてきた。髪を撫でて宥め、彼女の腕を肩に回した。


「私が助け出す。立てる?」


「うん、なんとか」


「それなら早く行くわよ」


「だめ。やっぱりだめ。一緒には行けない」


 立ち上がろうとした時、ノエルは信じられないことを言った。


「何言ってるの、ここにいたら死ぬわよ」


「ねえコゼット」


 蝋燭の光に、濡れたノエルの瞳が輝いた。何かを悟ったような――いや、覚悟を決めた目だった。ここから出ない、というのは本気であるらしい。ノエルの悲し気な目は、私の胸に思い塊を残す。


「歩けないの?」


「歩けるの」


「走れない?」


「走れる」


「それなら逃げられる。それとも動くとどこか痛い?」


「体中痛い。でも、走れるの」


「逃げられるじゃない。私と来れるじゃない」


「できない」


 私は息を呑んだ。


「あんた、どうかしてるんじゃないの!?」


「コゼット、聞いて。ノエルの話を聞いてよ」


「・・・・・・なによ」


「庭のイチイの木。その根元に鍵を埋めた」


「鍵?」


「ノエルが首からかけてた鍵」


 あの日、ノエルが首からかけていた青銅の鍵を思い出す。


「あの鍵は魔法に繋がってる。あれを託したいの。もしもの時はきっとコゼットを守ってくれるの。鍵だけ持って行って。ノエルはここにいるの」


 何言ってるのよ! そう叫ぼうとした瞬間、どこかの扉が開く音がした。生温かな風が頬を撫でる。

 次いで、木製の階段が軋む音が聞こえた。


 ギイ、ギイ、ギイ


 誰か来る。


「コゼット、行って。お願いだから行って。ノエルの言うことを聞いて、でないと――」


「私はあんたを助けに来たの」


 懇願するノエルをゆっくりと寝かせ、蝋燭の火を消す。ブーツからナイフを取り出し、素早く暗闇に身を潜めた。


 ギイ、ギイ、ギイ


 まだ音がする。


「おやおやおや、誰かいるのかしら」


 ノエルの母、ベルトの声だ。

 恐らくノエルに酷いことをした張本人。覗き見ると、ランプを手にしたベルトがこちらへ歩いてくるのが見えた。手にしたランプは夕暮れの光のように、地下室をよく照らしている。なぜかベルトが手にしたランプは、地下室の闇の中でもよく光っていた。室内は煌々と照らし出されている。


 好都合だ、標的がよく見える。


 ノエルを助け出すのにベルトは障害となる。その障害を排除させてもらう。

 ノエルの方へ目を向けると、オレンジ色の光を頬に受けた彼女は涙目で首を横に振っている。


 殺さない、安心して


 口だけを動かして告げた。

 積み上げられていた薪から、丁度いいサイズのものを手に取る。ナイフで足を斬りつけ、重心が下がったところを狙う。薪棒で頭を殴ってやる。死にはしない。


 息を吐き出して呼吸を整える。熱くなりすぎても、冷めすぎてもいけない。冷静にならなければ手元が狂う。


 ギイ、ギイ、ギイ


 音は続く。


「どこに行ったのノエル、ここにいなさいと言ったのに。またママの言うことが聞けなかったのね」


 壁に張り付いたオレンジ色の光がゆっくりと移動していく。


「どこ、どこへ行ったのノエル」


 石炭の袋の所を曲がってくれれば背後が取れる、そしたら一気に。


「そこにいるの、ノエルーーノエル」


 ギイ、ギイ、ギイ


 今だ! 決意して身を起こしたその時――


「あああああ! はははははははははははははははは!」


 唐突にベルトの笑い声が響き渡った。暗闇と決意を、何もかもを削ぎ取っていくような大声だった。

 気を削がれたためだろうか、私は石炭の袋に躓いてしまった。


「誰ですか」


 冷たい声が聞こえた瞬間、目の前にぬっとベルトの顔が躍り出た。


「あなたは」


 青白いベルトは私を見て一瞬だけ驚いていたようだが、すぐに憤怒の形相で飛びかかって来た。


「お前! お前! お前!」


 両手で首筋を掴まれる。抵抗を試みたが、全体重をかけたベルトには敵わず押し倒される。ナイフを突き立てようとしたが、思い切り顎のあたりを殴られた。脳を揺さぶられ、指の隙間からナイフが零れ落ちる。


「お前か! お前か! お前がやったのか!」


「あッ、ッが」


 殴ったり、足をバタつかせたり、体を捻ったり、とにかく全力で抵抗した。それでもベルトは面のような表情を崩さず、私の首を絞める力を弱めない。

 急速に意識が薄れていく。青白い顔に宿る悪魔の顔。その目は妖しく光っているように見えた。

 殺される。

 私はそれを悟った。悔しいとか、恐ろしいとか、そういう感情はなかった。ただ、猛烈に苦しかった感覚は消えて、体がだるくて眠たくなる。

 



小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。

真っ暗闇の中に恐ろしいものが隠れてる。

小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。

眠れなくても目を閉じて。家の中に入ったものを見てはいけないよ。

小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。

光りは嫌なのにやってくる。森の奥からやってくる。

小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。

夜の鳥と狼が見ている。ほらもう家の中に。

小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。




 歌が聞こえた。

 ノエルの歌声が。


「ああああ! ぎゃあああああ!」


 私はベルトから解放されていた。げほげほ、と私が咳き込んでいる背後で、ベルトの絶叫が聞こえる。その直後に、人が倒れ込む音が聞こえた。

 朦朧とした意識で見ると、それはこと切れたベルトだった。


 ギイ、ギイ、ギイ



 恐怖で私の呼吸は乱れた。

 死体の上に、何か黒い人型がのしかかっている。それは人でも獣でもない。形容しがたいのだが、ただ黒い影としか言いようがない。それは光る両目で私をじっと見つめると、ゆっくりと屋敷へとつながる階段を昇って行った。


 今のはなんだ、何が起こったのだ。


 ぎゃああああああああ!


 ああああああああああ!


 黒い影が去っていった方から悲鳴が相次いだ。見境なく人を襲うのだろうか。


 ギイ、ギイ、ギイ


「そうだ、ノエル。ノエル!」


 薄れゆく意識の中、確かにノエルの歌声を聞いた。その直後に、あれが現れたのだ。あれはノエルが出したものだ。

 ベルトの持っていたランプを掴み、先ほどまでノエルが横たわっていた所を照らしてみるが、誰もいなかった。


「ノエルどこ、返事して!」


 コゼット


「ノエル?」


約束守れたよ。ノエル、コゼットを守れた


「どこにいるの」


 見えた? あの黒い影


「影、ええ、見えたわ」


 やっぱり、コゼットにも魔法の才能がある。あれが見えたんだから


「そんなことよりあんたはどこにいるの、今のうちに逃げるのよ」


 コゼット、さようなら


 ギイ、ギイ、ギイ


 先刻からするこの音はなんだ? 階段が軋む音だと思っていたのに、ずっと聞こえているのはおかしい。でも、木材の何かが軋む音には違いない。そういえば、この音の方へ行ったベルトは笑っていたが、何を見たというのだ。


「そっちにいるの?」


 ギイ、ギイ、ギイ


 音のする方にノエルはいた。こちらに背を向けている。首を折り曲げ、俯くようにしていた。その首にはロープが巻かれていて、足は地面に着いていなかった。

 屋敷へと続く扉からは相変わらず、緩やかな風が流れ込んできていた。それが(くび)れているノエルの体を――ロープから垂れ下がっている体を揺らしていた。そう、まるで時計の振り子のように揺れている。体に力はなく、もう手遅れであることは明らかだった。


 そんな馬鹿な。有り得ない。さっきまでノエルと話していたのだ、こんなところで首を吊っているはずがない。


「ノエル」


 ノエルの足元には踏み台として用いたであろう椅子が、こちらに足を向けて転がっていた。


 彼女は自分で首を吊ったのだ。


 ナイフを拾い上げ、踏み台を足場にし、ノエルを吊っているロープを切った。体は氷のように冷たく、温かな肌を持っていた頃が嘘のようだった。恐らく私がここに来る前に、既に生きてはいなかった。では、先ほどまで私と話をしていたのは?


 改めてランプの光を、ノエルが倒れていた所に向ける。床には溜まった埃と、ブーツの足跡があるだけだ。ノエルがいた痕跡はない。あれほど血を流していたのに、何もないのだ。


「待ってたの? 私が来るのを?」


 冷たくなったノエルは答えない。人形のように無表情で、ただ眠っているだけのように思えた。


「行こう、ノエル」


 ノエルを背に負った私は、侵入した戸口へと向かい、地下室を後にした。

 

 小さな小さな蝋燭に、大きな灯りをともしましょう。


 最後に聞いたノエルの歌声がぐるぐると頭の中を回っている。


 外へ出ると再び体に雨風が打ち付けられる。けれど何も聞こえなかった。ノエルの歌声しか響いていなかった。


 ふと、虚空を見据えた時、歌が止んだ。


 これまで聞こえていなかった、雨水が屋敷を打ち付ける音や、風が唸る音が蘇る。

 先刻、地下で見た黒い影が立っていた。雨の飛沫で煙った先の、門のところからこちらをジッと見つめている。


「あんたはなに?」


 背後で雷鳴が轟いた。影は答えない。


「あんたはいったいなんなの!」


 私の叫びに合わせるように、黒雲から青い光の筋が落ちてきた。

 稲妻は私の体を貫き、周囲一帯に信じられないほど巨大な音を響かせた。


 そこから、私の記憶はない。


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