Red sunset
翌日、アカデミーを終えた私は、何とはなしに町をぶらついた。夏の暑さなど、遠い昔の出来事のような秋風が吹いていた。空は澄んで青みを増し、空気の中にどこか湿った枯れ葉の香りが漂っている。市場ではたわわに実った果実や、野菜が軒を連ねていた。
このような景色も、もう少しすれば見納めとなる。10月の終わりから3月までの間、オーゼルに光が降り注ぐことはない。昼日中でもずっしりとした灰雲が空を流れ、夕刻からガス灯を灯さなければならない。夕暮れ時、森から流れてくる霧が道を這うように進んでくる。夜になれば路地裏にまで広がった霧で先が見えなくなる。徘徊する獣も、人の悲鳴もすっぽりと覆い隠す。それがオーゼルの闇の部分。
だからこそ、人々は光あふれる最後の日々を謳歌するのだ。この都市には闇ばかりが広がるわけではない、今日のような人々の笑顔と活気がある。
秋特有のオーゼルの景色を見ているうちに、サーカス団がやって来るのもこの季節であることを思い出した。町の掲示板を見に行くと、やはりサーカス団のチラシが張ってあった。
毎年オーゼルでは収穫を祝う祭りが催される。露店には多くの人が詰めかけ、国外からも祭りを目当てに訪れる人がたくさんいる。そんな時にサーカス団がやって来るのだ。彼らは宣伝活動のため、路上でパフォーマンスを行うことが常だ。気晴らしに見に行くのも悪くないと思い、昨年ピエロがダンスをしていた場所まで行ってみることにした。
例年通り、ピエロがパフォーマンスを行っているのを見つけた時、ある異変に気付いた。
ピエロは集まった子供たちのために、たくさんのキャンディを撒いてくれるのが常だ。子供たちは皆、地面に這いつくばって降って来るキャンディを拾い集める。そんないつもの光景が、少し違っていたのだ。
子供たちは二つのグループに分かれていた。顔を青ざめさせて呆けている者達と、憤怒の形相で怒鳴っている者達だ。怒り狂う子供たちは、何かを円形にして囲み、暴言を吐きながら足蹴にしている。
ただならぬ雰囲気に駆け寄ってみると、中心にはあのガリイの少女がいた。少女は腹ばいになり、集めたキャンディを取られないようにしているようだった。それが他の子の不満を生み、蹴りまわされているようだ。
背におわれた赤子は今にもずり落ちそうで、かすれた声で泣いていた。
得体のしれない怒りが湧いてきて、気が付けば輪の中心へ飛び込んでいた。
「やめなさいっ! やめてっ!」
口で静止しても、蹴ることをやめない者には拳をお見舞いした。二人ほど殴り飛ばしたところで、私を認識した子たちは荒い呼吸をしながらもジリジリと後ずさった。
背後にぞくり、としたものを感じた。血走った目の少女が起き上がり、他を威嚇していた。額や口から血が流れていた。蹴られながらもキャンディを集めた代償か、指の爪先からも血が滴っている。
少女はキャンディを懐にしまい、そのまま平然と立ち去ろうとした。おんぶ紐がよれて、斜めになっている赤ん坊が苦しそうな泣き声を上げている。私は駆け寄って紐を締め直し、赤ん坊の背中を優しくさすってやった。少女は何も言わず、じっと私を見つめていた。
「来なさい」
少女の腕を掴み、井戸のある広場まで行くことにした。泥と血にまみれた少女を洗ってあげるつもりだった。
「独り占めにするからよ。みんなで分け合わないから、あんなふうに蹴られるんだわ」
忠告に対しての返答はなかった。垂れ下がった腕から滴った血が、私の手にもつたってきた。
広場は人々でにぎわっていたが、井戸の周りには誰もいなかった。野菜についた土を落とす者達でごったがえしている時もあるのだが、今は幸いと言えた。
少女の手の血は既に乾いていて、肌に張り付いてしまっている。垂れるロープを引いて桶を手繰り寄せ、ハンカチを水に浸して傷を拭いてやった。
「私はコゼット。コゼット・バルヒィエット。あんたは?」
「……コヨーテ」
「それが名前?」
「あんたたちが使う言葉で言うなら、コヨーテって意味の名前になる」
「そっか、よろしくコヨーテ」
「――あんた、貴族だろ?」
「ええ、まあ」
「他の人たちと感じが違うね。ここだって」
「井戸はみんなのものよ。この土地だって、元々はあんたたちのもの」
コヨーテは周囲を見回す。原住民がこの井戸を使うことを良しとしない人もいる。確かに冷たい視線を送る者はいるが、そんなものは気にしなければいい。この広場や井戸を作ったのはお父さんの会社なのだから。
「土地は誰のものでもない」
コヨーテは言いながら、懐からキャンディの包みを取り出した。口に含んで噛みしめ、柔らかくなったものを赤子の口に入れてやった。赤ん坊はもごもごと口を動かしていたが、空腹が満たされたのかやがて寝息を立て始めた。露店で数枚の布を買って敷き詰め、コヨーテの背負う赤ん坊を水のかからない場所に寝かせてあげた。抱いてみるとコヨーテと同じくやせ細った子である、角ばった骨の感触が抜けなかった。
コヨーテのお腹が音を立ててなり、彼女も地面に座り込んだ。懐からいくつかキャンディを取り出して口に放り込む。私も習って隣に腰を下ろした。
乱闘から逃れて一息ついた彼女は、疲弊していた。赤子を下ろした体はより小さく見え、虚ろな眼差しには年齢と比例しない大人びた翳りがあった。
「お父さんとお母さんは?」
コヨーテは首を振った。
「父さんは死んだ。母さんは、どこにいるかわからない。たまに帰って来るけど」
夕陽を受けた横顔は悲しげだ。無表情であるが、すぐにでも涙の粒が溢れそうな気配がした。コヨーテをここに置いて立ち去ることは躊躇われた。かといって、話しかけることもできない。私は黙って一点を見つめたまま、広場が夜に沈んでいくのを見ていた。




