Five minutes before midnight
宙に指をかざし、先端にマナを集中させる。次いで指を滑らせ、定められた大きさの円を描き、中にいくつもの式を描き込んでいく。青白く発光する円の中に数種の記号を描き込むことで、ようやく治癒の魔法が発動する。青い光は増していき、リズの掌に残った傷が消えていく。
「ふぅ……できたわ」
「ありがとうございます」
「もう痛くない?」
「はい」
「ごめん、私のために」
リズに頭を撫でられたので、軽く掌で弾く。すみませんつい、と恐縮した様子であるが、痛みは消えた様子に安心する。私のために傷を負わせてしまった罪悪感も、少しだけ紛れた。
「治癒の魔方陣ですが、もう綺麗に描けていますから……そのうち、私のように指で描かずとも展開できるように、なると思います」
「そうならいいんだけど」
師である彼女はとことん私に甘いので、本当の評価なのか疑問が残る。
「もっと訓練しないと。今夜みたいに戦うなら、防御や治癒の魔法は早く展開できないとね」
あの後、私たちはすまし顔でパーティーに戻った。抜け出したことには両親ですら気づいていなかった。そして、すぐに夜も更けてお開きとなり、帰宅した今は自室のベッドでリズと向かい合わせに座っている。リズは膝を押し寄せてきて、今もべったりといった具合である。
「はぁ、疲れたわね。また変なのが出てきちゃって」
全身をベッドに沈ませるようにして寝ころび、シーツの冷たさに少し身震いする。暗い天井を見上げていると、暗闇から飛来したハチェットが鮮明によみがえる。
「それにしても、何だったのかしら今夜のあれ」
あの少年はあれにやられたに違いない。少年の傷跡と、向かってきたハチェットの大きさは同じだったと思う。あの少年はなぜ殺されなければならなかったのだろう。遺体はきちんと引き取られ、埋葬されるだろうか。せめて周囲の人間が安らかに葬ってあげなければ報われない。
「……コゼットちゃんにお話ししておきたいことがあるのですが」
「なによ」
思考の海から意識を戻して視線を向けると、リズは手招きをしている。右手にはヘアブラシが握られていたので、私は起き上がって背中をリズに向ける形で座りなおす。リズのブラッシングの腕前はかなりのものだった。私はくせ毛なので櫛先がよく髪に絡まることが多いのだが、指先とブラシを巧みに動かして髪が引っ張られることがない。メイドよりも上手いので、こうしてブラッシングを頼むことも多くなった。
血を供給する対価として魔法を教えてくれているのだが、こんなふうに私をいたわってくれる素振りが目立つ。私のために何かしたい、そんな気持ちがありありと伝わってくる所作で行われるブラッシングは、眠気を招くほど心地よいものがあった。
「いつもありがと」
「いいえ、こちらこそ血と、住む場所まで提供いただいて感謝しています」
「住む場所の提供はお父さんに感謝して。それで話は?」
「はい。初めて魔法を教えた時に警告したことを覚えていますか? 魔法使いになると、他の魔法使いから敵対することになるということ」
「覚えてる」
「魔法は武器にもなりうる。ならば、同じ武器を持つ者達から警戒され襲われるかもしれない。あの警告は私自身に向けたものでもあったのです。コゼットちゃんに危険が迫ることは望みません。それでも魔法を教えたのは、あなたの望みであったから。あの地下から目覚めさせてくれたあなたに、運命めいたものを感じたためでもあります。それに……私が守れるのならば問題はないと考えました。ですがダークシーカーの時。助けに向かうことができませんでした。あの夜を思い返し、もしものことを考えると不安でたまらなくなるのです」
語気も髪をすく手も穏やかなままであるが、切々とした感情の詰まりを背に感じていた。
「コゼットちゃんは自ら危険に飛び込むことを望んでいるような節があります。急に飛び出してしまうあなたを守るのが難しい時もある。ダークシーカーは倒したのです……もう魔法にはかかわらず、平穏な生活に戻るべきかと」
「私はあんたのお人形じゃない」
「わかっています、それでは納得されないでしょう? それなので、条件があります。決して私の傍を離れないでください。私の指示に従い、単独行動はしてはいけません。これが、この先コゼットちゃんに魔法を教えていくための条件です」
コクリ、と喉が鳴った。リズの穏やかな言葉の節々に、私の感情を理解している節があった。
危険な状況への介入を厭わないのは事実である。自ら危険な領域へ踏み込む人間は、他にもたくさんいるだろう。愛する家族や友人、または見ず知らずの人であっても窮地に立たされた人のために行動する人がいる。たとえ自らを危機に追い込むとわかっていても、誰かを助けたいという信念故に行動を起こせるのだ。
私が自分から危険な場所へ赴くことには何の信念もない。自分本位の感情で動いているだけだ。
両親の不仲、母親に言い放たれた言葉、救えなかった友人、無力さ、惨めさ。そういった感情が膨れ上がって生まれたのが、自らを傷つけ悦に入るという奇癖。痛みをもって自分を戒めることで、生を実感できる気がするのだ。この感情が制御できぬ時は、死ぬことにすら憧れる。
魔法を学ぶことが、この感情の起爆剤となりかねないことをリズは懸念している。
私の奥底に染み込んだ奇癖は理解しているだろう。口に出して穢してほしいと頼んだのは一度や二度ではないのだから。奇癖が生み出された理由も、見当がついているに違いない。しかし、私からそれを語らぬ内は、決して口には出して咎めることはしない腹積もりのようだ。私がこの感情を他者に語る時が、真の意味で感情と向き合う時。それを奪わないようにしている。私が心を開くまで寄り添うことを決めたということなのだろう。
胸の中に、満ち足りた感情を覚えた。
私は心を見透かされたことよりも、理解してくれた方に、この上ない貴重なものを感じた。配慮した話し方や、やさしい手つきのまま髪をすいてくれていることも嬉しかった。
「本当のことを言えば、あなたに小さな傷がつくことも耐えられません。愛おしくてたまらない……ですが、言うとおりです。コゼットちゃんは私のお人形じゃない。私たち二人のことを考えた上での提案です……受け入れていただけますと嬉しいです」
きっと、この決断には歯がゆい思いをしていることだろう。髪をすいてもらっている時で良かった。
今はリズが悲しい顔をしているのは、見たくない。
「わかった。従うわ、勝手な行動は慎む」
「ありがとうございます、コゼットちゃん。約束、ですよ?」
「うん、約束。破ったりしないわ」
そこからわずかな沈黙が下りた。二人でいる時、特に会話が生まれないことに抵抗はないが、この沈黙は妙な意味を持つ気がした。何か話をしようとしたところで――
「「あの」」と二人の声が重なった。
「ごめん、リズから」
「はい、少し話が戻りますが。先ほど言っていたことの話」
「今夜のあれの話ね」
「気になることがあります。あの暗闇に感じた獣の呼吸です」
「呼吸が聞こえたの? 私は何もわからなかった」
「こればかりは、人でない者同士が知りえることと言いますか。狼の呼吸が聞こえたのです」
「狼?」
「はい。あの冷たく鋭い呼吸は狼で間違いありません。そして……ハチェットに刻まれていた魔方陣、どこかで見たような気がするのです」
「どこかって言っても、リズは記憶が」
「……はい。それなので、明日は図書室に行きたいです。文献を見れば何か思い出すかもしれません」
「書庫のこと? いきなり明日は無理よ」
書庫などというものは権威ある聖職者のみが入れる場所だ。バルヒェットの名を出しても、手続きに数日は要する。
「コゼットちゃんの通うアカデミー、確かありましたよね」
「え、ええ」
「では、後は魔法で何とかしますので」
「無茶なことしないでよ?」
「心配なら、一緒にいきますか?」
リズは微笑んでいる。数年前にもこれと同じことを経験した気がする。
「狼の怪物の話を聞いたことがあります。今夜会ったのはそれと同じ類のものかもしれません……強大な魔物は祀られて神となることもありますが、聖職者達にとってそれらは悪魔と同義。悪魔の資料は図書室にあるはずです」
「私を危険な目に遭わせたくないのに誘うのね」
「止めても、調べますよね? 単独で捜査される方が不安です。でしたら、一緒に行動したほうが良いかと」
「……一緒に行く」
「嬉しいです」
私も気にはなっている。ダークシーカーを屠ってまで手に入れたオーゼル街の平穏。そこに新たに出現した怪物が人を襲うのであれば阻止したい。
それと、あの少女は何だったのだろう。手に負えない、という意味深な言葉を残して去ったが、彼女は影の中に潜む者の正体を知っているのだろうか。
「終わりました」
ヘアブラシを棚の上に置く音がした。振り返りざまに、少女のことを聞いてみる。
「ねえ、路地裏から出てきた女の子のことなんだ、けど」
「はい」
「何だったのかしら。かかわらない方がいいって、何か知っているみたいだった」
「知っているのかもしれません、先住民の血が流れていたようでした」
「そうね」
「先住民は独自の感覚を有する人が存在しますので、そういったものを感じ取れるのかもしれません。ふむ――そうか。先住民、の線で調べて見るのも手ですね」
リズは意味ありげに考え込んでいた。




