Hatchet
我々が真夜中にベッドで安眠できるのは、牙持つ者が魔物を屠る準備をしているためである。
~オーゼルの詩人 ティトゥス~
夕陽が山に抱かれるように沈んでいく。日が山の麓へ消える時、最後の名残で西日が一層強まった。紅葉した森は秋の色を映えさせたが、夜の闇と静けさはもうそこまで迫っていた。枯れ草が蠢き、枝葉の底はタールを流し込んだように黒く染まった。一秒ごとに、周囲が冷えていった。
森を裂くような長い道の外れで、焚火が赤々とたかれていた。
三人の警察官と森に詳しい案内人が、冷えた手を焚火にかざし頬を赤く染めていた。陽が落ちてからの寒さは急速なものであった。冷え冷えと透き通る空気が、漆黒の夜空に星々を映えさせている。
焚火に放り込む枯れ木が底をついたが、誰一人森の中へ歩を進める者はいなかった。時折、火にくべられた枯れ木が爆ぜ、火の粉が蛍のように舞い上がって周囲の枯れ草を照らし出す。火の粉が舞うことは、やがて火は消えるとの警告のようでもあった。
「遅いな、何をやっているのか。火が消えそうだ」
一人の警察官が沈黙に耐えきれずに漏らした。
当初、この場に来たのは五人である。四人の警察と、一人の案内人。
事の始まりは数時間前のこと。血まみれの男がオーゼルの警察署へと駆け込んできたことに始まった。
顔を血でべったりと染めた男は、半狂乱になりながら仲間が狼に襲われたと告げ、そのまま倒れて死んだ。男のコートは鋭利な刃物で切り裂かれたようで、体中が血まみれであった。男の乗ってきた馬も血まみれであったが、血は男の流したものであり、馬には傷一つなかった。
男は年に数回オーゼルにやって来る行商人で、森と山を越えた先にある村の物資を届けてくれることで有名だった。警察署の中にも、男が売ったテンの毛皮であつらえたコートを購入した者もいた。
行商人の男は、首都オーゼルから山へと伸びる道を馬車でやって来るのが常である。そこに狼はいるのか、行商人の仲間たちは無事であるのか。調査のための先兵として、狩りの経験がある者、医療の心得がある者で編成された警察官四名と、森に詳しいという理由で猟と山菜取りを生業とする男が派遣されたのである。
彼らが馬にまたがり、森へ発ったのは昼過ぎだった。
行商人の辿った道をさかのぼりつつ、周囲から血と獣の匂いを探した。警戒をしながらも進んだが何も見当たらず、馬たちも静かなものである。
陽が暮れかけた時、ようやく道の外れに行商人のものと思われる荷台が見つかった。馬はなく、人の気配もない。荷台には狐の毛皮がぎっしりと詰まっている。よく見ると、毛皮には数滴の血が飛び散っているのが分かった。
詳しく調べようにもちょうど西日が山に隠れる頃で、背の高い松の木に覆われた道は既にランプを灯さなければならないほど薄暗かった。
急に辺りが冷え込んだ。
「この暗闇で森にいるのは危ないですよ」案内の男は言ったが、一人の警察官が「生存者がいるかもしれない。もう少しだけ調べる」と言い残し、ランプを手に森へ入ってしまった。残された者たちは火を焚いて待ったが、一向に戻る気配がないのである。
「呼び戻してくださいよ旦那、警笛を鳴らすとかなんとかして。私は陽が落ちるまでには森を出るとの約束でここへ来たんです。馬たちだって怯えきってますよ」
今にも膝を抱えてしまいそうな男が言う。
「おいおい、森の中では俺たちよりもあんたの方が胸を張っていてほしいね」
警察の中で最年長の男が言うと、案内人は顔をしかめた。
「旦那方より森を知っているから言うんですよ。ここのところ森で良い噂を聞かない」
警察官たちは沈黙を保ったまま焚火を見下ろしていた。
「おい、今何か」
そう呟いた一人の警官。皆が火から顔を上げた時、警官の顔面にハチェットが深々と突き刺さっていた。風が吹き、焚火が消え、周囲は漆黒に呑まれた。
その後に悲鳴と銃声が相次いだ。
フリントロックの銃口から弾丸が放たれた際、狼の面を着けた者の顔が漆黒の中に浮かび上がった。人も馬も、皆が等しく切り裂かれた。後には冷え冷えとした静寂だけが残った。
どれくらいの時が経ったか。四頭の馬の蹄の音がかすかにかすれて聞こえてきた。山からオーゼルへと向かう道を、一台の馬車がやって来るのだ。客車の明るい窓が、殺戮の起きた場所を断続的に明るく照らした。中の乗客たちは顔をほころばせて談笑している。それは、殺人の起きた場所を思わせないほどに平和的で、誰の悲鳴も届かない絶望を思わせた。道には一人の死体もなく、男たちがいた痕跡は消えていた。
馬車の背灯は小さくなっていき、やがて木の陰に消えた。




