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Candle in the Dark 【lightness】  作者: WAKA
Dark Seeker
19/32

Is anyone there?

 私たちが馬車に乗り、町の中心部にあるノエルの屋敷へ向かったのは夕食の後であった。

夜に現れる怪物は、痕跡を夜に残していくのだという。そのため、すっかり夜も更けた後に向かうことになったのである。


 夜の帳が下りた首都オーゼル。黒い空に押しつぶされた家々の屋根は、昼間はどんな色であったのか想像もできない。路の両端にはガス灯が設置されているが、その灯りはどこか頼りなくふとした拍子に消えてしまいそうだ。


 夜道は日中とはまた異なる景色を生み出す。慣れ親しんだはずの路が見たこともないようなものに見えたり、先ほど通ったような道を繰り返し進んでいる気もする。そうして私たちは入り組んだ路の奥、深淵ともいえる場所へと向かっているようだった。


 ガラガラと乾いた音が車外から聞こえてくる。馬車の車輪が石畳を回転する音だ。

車内は静かなものでひっそりとしている。珍しそうに外を見るリズの輪郭が、ガス灯の色に染められているのをぼんやりと見ていた。


 夜は静かだ。そんな言葉がふと浮かんできた。


 夜道を歩く人の姿はない。車輪の音だけが夜空へと吸い込まれている。人々はまだ日が落ちる前に早々と家路につき、ドアに鍵をかけて息を潜めてしまう。


 今日はとても疲れた。魔法の練習に少し力を入れすぎたのか、夜道を進むごとに眠気に誘われる。


「夜なのに随分と明るくなりました。あれはなんでしょう?」


 眠りかけていた私にとって、常より小さいはずのリズの声はやけに大きく聞こえた。まるで耳元で囁かれたようだ。


「ガス灯よ。ガスを燃やして明るくしてるの」


「そのようなものが」


 外を見るリズの横顔が驚きに満ちている。


「人の技術力とは底が知れませんね・・・・・・しかし、夜道がこれほど明るいのに人通りが少ないのは。そういうことなのでしょうか」


「そう。惨殺事件が起きているからよ」


 うつらうつらしてきたので、気を紛らわすために魔法の練習をすることにした。小声で詠唱を唱えると、すぐさまマナが反応してくれる。ここまでは容易い。


「・・・・・・コゼットちゃん。今日はもう、そのくらいにしておきませんか」

 

 唐突にリズが話をすり替える。リズは私の掌を見ていた。

今、私の両手の間にはマナを操作して生み出した水の粒がある。町の灯を反射して輝く水の粒はガラス玉くらいの大きさだ。透明な水の珠を制御しようとしたところで、それは瞬時に南瓜ほどの大きさへと変貌し、すぐさまバチンと弾けた。前髪が額に張り付いてから、ようやく全身が濡れそぼっていることに気づいた。


「ああ、だから言いましたのに」

 

 詠唱が聞こえた。同時に、しっとりとしたリズの掌から温風が生み出され、ドレスや髪の水気を取り払っていく。バケツの水を被ったように濡れていたのに、すぐさま乾燥していく。


「難しいわ」

 

 私は唇を尖らせて言う。


 炎、水、氷、光、風、と次々に生み出す魔法の基礎訓練。広げた両手から生み出すことはできるものの、制御が極めて難しい。先ほどのように水の珠を生み出せても、それは途端に肥大して破裂してしまう。


「マナに伝える力は十分な様子。問題は制御の方です。水でよかった。もし、火でしたら・・・・・・あの、失礼ながら」


 ギロリと睨まれたリズが言葉を萎ませる。


 これでもかなり神経をすり減らして頑張っているのに、今はこれが精いっぱいだ。

生み出した魔法を制御できず、増幅させて破裂させる。日中に放った風の魔法は爆発的な威力は、単に制御するのが下手であったからというわけだ。

 初めから完璧にできることなんてないとは思うけれど、自分が完璧な人間でないと実感するのは悔しい。


 リズのおかげで体から水が抜けきった頃、馬車はゆっくりと停止して、御者が窓を小さくノックした。


「さあ、着いたわ」


 ノエルが亡くなった場所に着いた。外を見なくてもわかる、車輪の音が止まる前から、首筋にゾクゾクとした悪寒を覚えたためだ。どうも、この場所は苦手だ。


「先に降りるわよ」


 扉を開けると、ぬるい風が頬を撫でていった。

 感情を波立たせないよう努め、再びこの屋敷と対峙する。

 街道に並ぶガス灯の灯が届くのは中庭まで。その先の巨大な屋敷は暗雲の下で静かに佇んでいた。

 晩秋の冷気は思いのほか強く、吐き出した息は白く染まった。庭園に散乱する湿った落ち葉の香りが鼻につく。


「どうもこんばんは」


 冷気に身を震わせていると、町を巡回していた巡査とバッタリ出くわし、声をかけられてしまった。

たまに挨拶を交わす程度の人なら記憶しているが、この人は見たことがない。お父さんよりも年上くらい、口元に髭と、やや突き出たお腹。愚直にたくさんの好物を食する類のオヤジのようだ。


「こんばんは」


 屋敷に無断侵入しようとしている時に、タイミングが悪い。歯噛みしながらも笑顔で対応する。


「お巡りさん。ご苦労様ですわ」


「どうも」


 私の笑みに応じ、相手も微笑んでいる。その笑みは心からのものではない。あの笑い方は母や私が社交用に用いるそれと瓜二つだ。内心は夜更けに現れた私たちに眉をひそめているのだ。


「最近は随分と警察の方がいてくださるのね」


「それほど物騒ということなのです。失礼ながら、お嬢さん。このような夜更けにお出かけはあまり関心できませんな」


「ごめんなさい、町の夜気にあたりたくなりましたの」


「何もこのような時期に。勇敢なのは結構ですが。さあ、今夜のところは――」


 巡査の視線が逸れた。


 私の背後を凝視している。正確には、私に続いて馬車を降りたリズ――その大きく膨らんだ胸元を見ている。

 以前から感じていたが、リズの纏うドレスは胸元が強調されすぎている。いつか伝えようと後回しにしていた問題を、中年オヤジの下卑た視線で思い出すことになるとは。なかなかに看過しがたい視線を遮るように、巡査の正面へ移動しようとした時だった。


「夜遅くまでご苦労様です、お巡りさん」


 甘いリズの声が聞こえ、その瞬間うなじの辺りにゾクリとした風が走った。驚いて振り返ると、微笑んでウインクをするリズがいて。視線を戻せば、心ががらんどうとなり果てた様子の巡査がいた。


「コゼットちゃんと私は、この屋敷に入ります・・・・・・見ないふりをしていただけないでしょうか」


「それはもちろん。よければ門を開けてあげましょう」


「感謝いたします」


 巡査はテキパキと門を開けにかかっている。言いなりになっているのは、リズの美貌、というか胸元に懐柔されたわけではないだろう。


「あんたよね?」


「面倒な時はこの手に限ります」


 初めてリズの瞳をまじまじと見た時、胸が疼いたことを思い出す。


「まさか、私にもそれ使ってないでしょうね」


「いいえ。コゼットちゃんには意味がありませんので」


 リズは悪戯に微笑んで視線を屋敷へ向けた。


「お巡りさん、この屋敷に妙な噂は、ありませんか?」


「ええ、ええ、ございますとも。住民から何回も通報がありますし。いっそ取り壊そうという話もあるくらいで、でも恐ろしくて誰も壊せないんですがね――」


「どのような噂、でしょうか?」


 饒舌な巡査の声をリズは断ち切った。彼女が鋭い目になっていることを、私は見逃さなかった。


「声が聞こえるとか、壁から血が流れているとか、この屋敷は光を嫌うとか、子供が震えあがるような噂ばかりです」


「恐ろしい。けれど、確かによく聞くゴーストストーリーばかり・・・・・・実際にはそのようなことは、ないのでしょうね」


「もちろん。私も何度かこの屋敷を見回っておりますが、そのような現象を目の当たりにしたことはありませんよ」


「ご苦労様です、お巡りさん・・・・・・どこかで、温かいコーヒーなど、召し上がった方が良いと思います」


「今欲しいのはコニャックですな。それでは」


 巡査は帽子を取って挨拶をし、靴底を響かせて夜霧の中へ消えていった。


「あのオヤジ、私たちのことは――」


「覚えていないでしょう。そのようにしておきましたので。さあ、行きましょうコゼットちゃん」


「ええ」


 馬車の座席に置いてあったランタンに火をつけ、リズを先導するようにして屋敷へと向かった。

 あけ放たれた門からは冷えた鉄の匂いがした。屋敷へと進むごとに、あの日の記憶が身に染み込むようだった。


「コゼットちゃん」


 口中に苦い味が蘇った時、リズに声をかけられた。


「待ってください、コゼットちゃん」


 ノエルの母、ベルトに首を絞められた時、喉まで傷つけられて血が出たのだ。その記憶を辿っていた私はひどい顔をしていたのだろう。振り返った私を見たリズは、とても心配そうだった。


「顔色が優れません」


「平気。行くわよ――」


「いけません」


 進もうとしたら手首を掴まれた。


「ごめんなさい。この屋敷が見たい、などと無理を言いました・・・・・・コゼットちゃんは、ここで待っていてください。私一人で行きます」


 この寒々とした場所で、リズの掌だけが温かく感じた。手首から伝わる温もりは、何か途方もなく大きなものに守られているような気がした。背負った重荷を下ろしたように体が軽くなり、張りつめていた気も緩くなっていく。


「一人でって。地下室の場所わからないでしょ」


「いえ、わかります」


 そう言って、さっさと先へ進んでしまう。


「待ちなさいよ、せめて灯を」


 ランタンを渡そうとすると、吹き消されたように灯が消えた。ふっと辺りは暗闇に呑まれ、琥珀色に染まっていたリズの背中が見えなくなる。

 ランタンは十分にオイルで満たされているはず。不審に思いながら見つめていると、再び灯が戻った。


「何か変」


 ランタンがおかしい。


 戻ったはずの灯は明滅を始め、しばし辺りは琥珀と闇の色のせめぎ合いとなった。


「ダークシーカー」


 リズはこちらに背を向け、真っ直ぐに屋敷を見たままそう言った。


「私たちが、そう呼んでいる者たちがいます・・・・・・それは光を嫌う彼らの起こす現象の一つです」


「なに、なんて言ったの?」


「後でお話しします。先に確かめなければなりません・・・・・・この屋敷・・・・・・いいえ、地下室ですね。よからぬ残り火、とでも申しましょうか。魔力を感じます。灯りは意味がないでしょう・・・・・・すぐに消されてしまう。そのランタンはコゼットちゃんが持っていてください」


「あんたはどうすんの、暗くて何も見えないじゃない」


「私もまた、人にとっては”よからぬ残り火"ですので」


 振り返るリズの紺碧の瞳が輝いている。星明りを反射する、海面のような美しさがあって息をのむ。


「コゼットちゃん、そこで待っていてくださいね」


 あらかじめ知っていたような足取りで真っ直ぐに地下室の入口へ進み、そのまま苦も無く扉を開けて入ってしまった。

 それを見ていると、水滴が鼻先をかすめた。

 反射的に空を見上げ、掌を上へ向けた途端、額と手の上で水滴がはじけた。


「雨」


 地下室を見に行ってくれたリズを置いて、馬車まで戻るのは憚られる。庭園内の手近な木の下に避難することにした。枝葉は紅葉していたが未だ落ちることない様子で、雨宿りにはぴったりだった。

大きな樹木の元まで来た時、雨はいよいよ勢いを増してきた。樹木の太い枝先にある葉や足元の枯れ葉に水滴がぱたぱたと音を立ている。この樹木は地面にしっかりと根差し、枝も大きいので雨粒をほとんど通さない。



 安心して背中を預け、ランタンを足元に置いた。屋敷から離れたことで、ランタンの灯は安定しているようだった。


 その時、何か青白い光が一帯を照らした。


 周囲を見渡したが何も変化はない。見上げると、枝葉の隙間から闇に染まった雲があり、下腹を雷が走り抜けていくのが見えた。


 雨の飛沫で煙る庭園を、再び青白い光が照らす。周囲が照らされた一瞬の間に、誰かが屋敷の玄関に立っているのを見た気がした。


 身を乗り出して玄関を見たが、既に辺りは闇に呑まれてしまっている。


 確かに誰かがいた。


 それはこちらを見ていたような気がする。


 目を凝らしていると、再び雷が駆けて周囲を照らした。すると、玄関に人影が照らし出された。それはこちらに向かって手を振るノエルだった。彼女の白い手が、夜の闇にしっかりと浮き立って見えた。


 背中にぞくりとしたものを感じ、思わず目を背けてしまった。そんなはずがない、ノエルがここに姿を現すはずがないのだ。もう一度見てみると、玄関には誰も立っていなかった。

再び雷が走り、視界が暗転した後、上空から巨大な雷鳴が轟いた。


「きゃあああ!」


 思わず頭を抱えて蹲る。

 恐ろしかった。指先が震えて、鼻の奥からすんすんという頼りない呼吸が漏れる。

 恐ろしいのはノエルの幻影ではない。


 雷だ。雷だけはどうしても駄目なのだ。雷に打たれた時の痛み。全身の内から外へ、無数の刃が飛び出していくようだった。この恐怖を幾たびも克服しようと訓練したが、心の奥に深く突き刺さった体験はなかなか拭いきることができない。震える指先に力を籠め、天を仰いだ。雨と黒い雲と、青き雷。


「かみなり」


 天から降り注ぎ、私の体を貫いたもの。


 再び空が鼓膜を破るような音で吼えた。


「いやっ!」


 金切り声を上げ、そのたびに頭を抱えて蹲る。


 バチッ、と両手に刺激を感じたのはその時だった。それは反射的とでも言うか、全くの無意識のうちに行ったとしか言いようがない。その現象を目の当たりにした私は声を失ったのだ。

曇天の中に隠された力である雷。それが私の手から生み出されていた。


 両手の肘から指先にかけて、まるで生物のように肌を這いずり回っている。

 魔法ではない。私は詠唱を唱えていないし、魔方陣を作ってもいない。

 なおも腕を駆け巡る雷を呆然と見つめていた時、いつか文献で読んだ東の国のドラゴンを思い出した。この国ではドラゴンは灼熱と定義されているが、東の国では雨と風、そして雷と定義されている。姿形も違うし、名も違う。


 リュウ、と呼ばれていた。


 青い雷はさながら空を泳ぐリュウのように、皮膚の上を自在に動き回っている。リュウは恐るべき恐怖の対象。そして雷は私にとっての恐怖。それが今、腕の中にあるのだ。


『自分に合う魔法は必ずあります。生まれ持ったものや、過去の経験から導き出されることが多いです』


 リズの言葉が蘇る。


――そうだ


 瞳を閉じ、震える足に力を入れて立ち上がる。

 克服できぬ恐怖ならば、利用してしまえばいい。私にとっての恐怖を、私の敵にぶつけてやる。

立ち上がって天を見上げた。


 首筋には絶え間ない悪寒の残留。無意識に浮かぶ、口元の笑み。それは恐れか、昂ぶりか。

けぶるような雨が周囲を満たす中、親友を失った地で私は自らの魔法。その骨子となるべき力を得た。


 三度目の雷鳴。


 もう悲鳴は上げなかった。


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