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詩集「カンテリアン」  作者: 維酉
あとがきとして
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 書くことがつらい。それはよくあることで、だというのに書き続けているのは、ただ惰性で続けているだけなのか、なんなのか。


 すくなくとも、僕に文才がないことはわかりきっているから、最近はひどい脱力感がある。でも、書くしかない。書かないと、それこそ終わりだ。


 前作の詩集「キマグレタン」は、とても楽ではあった。あれを僕の中での詩作の改革開始地点だとすれば、今作「カンテリアン」は早くも迷走している状態であろう。


 前作の中で確立したはずの語り口調は、第二章節「夏影」から崩れ始め、第三章節「エリー vol.2」に収録した「さよーなら」で完全に崩壊した。僕の中にいた『あたし』という存在は、まったく別の誰かに生まれ変わった。


 それを進歩と呼ぶこともできるだろう。しかし、僕の中では『あたし』が独り立ちしたような悲しみがあるのだ。説明するのは難しいが、おそらく『あたし』は僕の管理下にはもうない。ただひとり、当てもなく迷走している。


 その結果生まれた作品群の最後を飾る、「なんにも」。この詩は、いったいいつ書いたものなのか。いまとなっては覚えていない。執筆中小節の中で、いつのまにか生まれていた詩。これを投稿するのは気が引けたが、製作時の心情はたしかにこれだったのだろうと思うと、どうしても掲載しなければならないと感じた。





 僕は底なしのバカや破天荒な人間、そして純朴な人が好きだ。それ以外は、あまり好きになれない。もしかすると、僕の敬愛する作家である太宰治からの影響が強いのかもしれないが、とにかく、そうだ。


 そして、いくら迷走していたとしても、僕は『あたし』をそう育てたつもりである。これから彼女がどこへ向かうのか、まだわからないが、すくなくとも、純朴さだけは失わないだろう。


 それに、迷走するということは、なにかの目的地があるということである。目的がなければ、そもそも迷わないからだ。ならば、いつか僕は『あたし』とともに、どこか遠くへたどり着くはずである。「カンテリアン」を終えたいま、ただただ楽しみなのは、それだ。


(了)

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