サンダルフォンの雄叫び
夏の雨が止む気配は無かったが、私は幸運だった。
現代の日本で、公園や橋の下に何日か滞在するだけで通報されることも多い。
通報されれば私自身不愉快では有るし、そもそも周辺住民に不安を与えたという証明でもある。
私の冒険は世界を救うためでもなければ、黄金郷を探すことでもない。ただ趣味で自転車をこぎ、日本一周をしているだけである。
大義はない。正真正銘趣味である。趣味の旅で誰かに迷惑を掛ける、というのも本意ではない。
私は本当に幸運だった。
こんな大雨の日では橋の下で野宿して増水でもすれば命が危ないし、かといってネットカフェではカネが掛かる。
道の駅で、屋根と壁のある道の駅の休憩所が二十四時間使えるならば、それは幸運以外の何者でもないのだ。
昨日到着し、今日は二晩目。ベンチに寝袋を広げ、リュックサックを枕に、ラジオに繋いだイヤホンが孤独を希釈している。
少々蒸れるが、この休憩所はエアコンも使い放題でベンチも広く長い。
トイレに行くのに雨の中を歩かなければならないが、それはキャンプ場でも変わらない。
テントの片づけを考える必要も無いし、何より何日滞在してもお財布に優しい。時間さえ合えば、併設された食堂で食事も出来る。
道の駅は一か所ごとに全くサービスが異なり、中には野宿を禁止にしている道の駅もあるが、それを無情と糾弾するより、迎えてくれるここのような道の駅を湛えるべきだと常々思っていた。
夜も深くなり、身体で踏んでいたイヤホンのコードをたどり、ラジオの電源を切り、寝袋に潜りこんだ。
記録的猛暑で、人生初の九州の暑さが堪えたのは、私が東北育ちということといかほど関係があるだろうかとSNSで問うほどだったが、雨のせいだろうか、その晩は妙に肌寒かった。
雨滴が壁を伝うが、虫たちは鳴き声は妙にハッキリと聞こえた。雨に濡れながらも命の火を燃やしているのだろう。
その虫たちを食べているのだろうか、カエルも鳴いている。切り立った崖の淵にでも住んでいるのか? 海の近いこの道の駅ではカニ達も這うように駆ける。
普通、カエルとカニは両立しない。海水と淡水、異なる生活域を持つからだ。
不思議な夜だった。
大雨だというのに切れ間に光る三日月は、鈍いながらも強烈な光を放つ。
昨日は走り回っていた暴走族の若者たちの気配も無い。雨で諦めたのか、それともバイクの音が雨で掻き消されているのか。
日中は地元の名産品や名物料理を販売し、観光客たちの笑顔も多い道の駅に、人の気配は無かった。
私は、この雨の中にただひとりで閉じ込められたのだと感じた。
逃げ出そうにも、自転車のライトでは雨降る夜間の走行は自殺行為であり、私は動くことすらできない。
?
ちょっと待て。私は何から逃げ出さななければならないと言うのだろうか? ばかげている。ここは平和な日本である。
クマ? 海沿いにクマは居ないが、海辺にカエルが居るならクマくらい居る? かも?
クマではないなら強盗か? カネはないが体力だけは有る貧乏旅行者と見て分かる私を襲うか?
するわけがない。ではこの震えは、怖れは、一体何だというのだろうか。
山道へ挑むときのように、何かを予感している身体に着き従うように、心がそれを認め、脳に恐怖が滲む。
何かが起こる。その予感を振り払うために、私は気のせいだと自分に言い聞かせる。
不安な一人旅。悪天候の中、憂慮すべき現実の影が、妄想めいた恐怖の予感として現れているのだろう、と。
この不安に正体なんてない、この不安はただの空虚な妄想だ。
私は寝ることにした。
夜なのだから当たり前だ、今日は当たり前の夜なのだ、と自分に証明するために。
雨天走行にスニーカーを使うと洗濯の手間が生じるので、私は雨の日はビニール製のサンダルを用いている。
少し前にエスカレーター事故が多発したあのタイプだが、町中で生活しているわけでもないし、自転車には全自動で動くタラップは付いてない。なにせ動力源は全て人力だ。
私は、トイレに向かうために寝袋から引き抜いた足を、暗がりのサンダルへと向けて差し込む。
そして。
ぶちゅっ
何が起きたのか私には分からなかった。
ここは海の近くで、今は夏。
近くには虫が飛び交う。その中にはバッタやセミも居るし、海が近いが山も有るのでカニもカエルも居る。
それらを食べる大型のクモやゴキブリもいるし、ネズミなんかもいるかもしれない。
何が起きたのか分からない。
だが、左足は、その現実を味わっていた。
何かがサンダルの中に居た。
そして、それを、今、靴下なんか寝る前で脱いでいた私の足は、確実に、その、ああ!
私は、幸運“だった”。今は……。
これ、ギャグとどっちで投稿すればよかったんですかね。