とある天使と勇者の安息日
不死者に滅ぼされた辺境の村からロールスの街まで帰還し、しばらく経つ。
時間にして二週間弱。ロールスの街に戻ってからダヴィードは、宿屋の一室に引きこもったままだった。
その間は当然ながら、ギルドから次の依頼は引き受けていない。
アーニャたちの村から引き受けた依頼完了の報告をギルドに伝え、ダヴィードに代わって必要な手続きをしたのはルキアシエルだった。ずっとダヴィードと一緒にいたこともあり、ギルドの職員からは色々と質問されたので、彼のことは「調子がよくない」とだけ告げた。
嘘ではない。ダヴィードはあれから、ずっと調子がよくないのだ。
原因は精神的なもの。
ルキアシエルは自分の経験上から、ダヴィードの精神がある程度回復するまでは放置することにした。下手に慰めるよりは、効果が見込める。いまのダヴィードには自分の気持ちを整理するための時間が必要なのだ。
ダヴィードは今迄一人で、ずっと無理をしてきたのだろう。かつての自分と同じように。
けれど、もう二週間弱だ。ダヴィードからは回復する兆しが見えないまま、時間だけが経過している。いくらなんでも、このままはよくない、と。ルキアシエルが感じるには、二週間弱と言う時間は充分だった。
人間は短命である。そして、時間には限りがある。
だから、そろそろダヴィードには気持ちを切り替えてもらわなければならない。
ルキアシエルはあれこれと手段を考え、次々に浮かんだアイディアを却下しながら、ロールスの街を一人で歩く。ダヴィードと一緒に行動していた時にはギルドでの仕事が優先されていたため、思えば、こうしてのんびりと地上の街を散策するのは初めてである。
地上に降りてからも殺伐とした日常を過ごしていたルキアシエルにとってみれば、それなりによい気分転換になっていた。
そうして不意に気付く。ダヴィードはどうだろうか、と。
翌日の昼過ぎ。宿屋の一室にこもったままのダヴィードを、ルキアシエルは街へ連れ出す。
目的地はロールスの街中にあるバザールだった。ギルドのある商業区とは異なり、武具やアイテムの類を専門的に扱っている店舗は少ない。バザールにある店舗は、そのほとんどが露店だからだ。
バザールに並ぶ小物やアクセサリーの値段は安く、手頃な物が多い。
天上界の最下層であるスラム育ちのルキアシエルにとって、バザールは身近な存在であり、ミカエルの隊に配属された後も好んで立ち寄る場所の一つだった。極稀にだがジャンク品の中に掘り出し物もある。運良く見つけられることがあれば、露店の商人から値切って買う。それがまた楽しいと、私は思っている。
「...............ここへは初めて、だな......」
言って、物珍しそうに辺りの露店を、ダヴィードは見ているようだった。
「商業区へは行くのに?」
「...............ああ、必要なものは商業区で全て賄える......」
確かに。ダヴィードの生活を見る限りでは、本人の言う通り、必要なものは商業区で揃う。目的が旅支度だからだ。対して、バザールは街に居を構えている人向けの雑貨用品が多い。そのため、商業区とバザールでは、品揃えや値段もかなり違う。
客層が違うのだから、当然なのだ。
***
はぐれないようにとルキアシエルに手を引かれ、ロールスの街中にあるバザールを俺は歩いている。俺の冷たい手と違って、天使であるルキアシエルの手は温かい。
不死者に滅ぼされた辺境の村からロールスの街へと戻ってきて、二週間弱。ギルドに依頼完了の報告をルキアシエルに任せ、俺は宿屋の一室へと引きこもった。寝ても覚めても考えるのはヴァンピールの告げた「王様からの伝言」について。
ヴァンパイアハンターとしてだけではなく、俺の個人的な事情も含めて探していた相手からの言葉。
ヴァンピールとの戦闘に加え、不死者によって滅ぼされた辺境の村。
俺に精神的ダメージを与えることが目的だとしたら、それは間違いなく成功しているだろう。事実。俺は二週間弱の間、ギルドの依頼も引き受けず、不死者絡みの情報を追うのでもなく、宿屋の一室に引きこもり続けたのだから。
ルキアシエルは昨日まで、そんな俺の我がままを許容してくれていた。
そうして今日に至っては、俺が精神的に限界を迎える前に、こうして気分転換になるよう外へと連れ出してくれる。ありがたいことだ。
ただ時間帯が日中のため、俺はなるべく太陽に肌をさらさないようフード付きの外套をまとう。俺は普通の人間と比べると、少し特殊な体質をしている。その体質のせいもあって、太陽の光が苦手なのだ。また、日中の活動はあまり得意ではない。ヴァンパイアハンターとしての仕事は基本的に夜間のため、支障はないのだが、こうして休日に外出することは今迄なかった。
だから、バザールを訪れたのは、初めての経験だ。
ギルドのある商業区とは異なり、武具やアイテムの類を専門的に扱っている店舗は見かけない。露店に並ぶ商品は小物やアクセサリーが多く、どれもこれも女性が好きそうな物ばかり。
ルキアシエルはあまり一般的な女性が好む物には興味がなさそうだと思っていた。けれど、彼女の様子を見る限りではどうやら違ったらしい。
何か気に入った物でも見つけたのか、ルキアシエルは露店の商人と値段交渉をしている。
ルキアシエルの目線を追えば、そこには鮮血のように赤い、透明度の高い石が付いたペンダント。
それは彼女の黒曜石の髪と目によく似合うと、俺は思った。
***
ある露店でルキアシエルが見つけたのは、この世界の魔術式が組み込まれたアミュレットだった。
分かる人が見れば、掘り出し物だと感付くレベルの逸品。店主もそれをよく理解しているのか、露店にしては強気の価格設定だが、ルキアシエルの見立てでは「お買い得」過ぎる。アミュレットはペンダントになっており、鮮血のように赤い、透明度の高い石の中に複雑な魔術式が組み込まれていた。
天使の祝福とは異なる術式に、ルキアシエルは興味を持つ。
ルキアシエルは自分が持っていたとしても、アミュレットとしては役に立たないと思う。アミュレットが術式を発動する前に、対峙した敵を倒してしまうことが目に見えて分かっているからだ。
けれど、気に入ってしまった。
なので、露店の商人と値段交渉をする。
露店での値段交渉は、天上界のスラムに生きる天使ならば、基本中の基本だった。よいものを少しでも安く手に入れることは、生きるための知恵と言っても過言ではない。手持ちに余裕があったとしてもする。
ルキアシエルの持つ交渉力は、こうやって日々の生活から培われているのだ。
露店の商人とある程度交渉が落ち着いてきたところで、唐突に、ダヴィードが口を開く。
「...............それで、結局、いくらになった......?」
値段を告げる露店の商人。手早く金額を支払うダヴィードに、私は困惑する。
ダヴィードを経由して、露店の商人から渡されたアミュレットは、太陽光を浴びてキラキラとしていた。
「ダヴィード?」
「...............やる、ルキアに似合うから......」
「え、あ、うん。ありがと」
露店の商人も、私も、ダヴィードの行動が唐突過ぎてついていけない。
そのままダヴィードに手を引かれながら、バザールを歩く。先程までとは逆で私の方がダヴィードに手を引かれている。
そして、人通りの邪魔にならない場所へと移動すると「貸せ」と一言。
ダヴィードに買ってもらい、渡されたまま左手に持っていたアミュレットを、私の首へと付けてくれた。どうしよう。この展開についていけない。私はもうパニック寸前だった。
「...............ルキア......?」
私の様子がいつもと違うからなのか、少し、不安が混ざった声で、ダヴィードに名前を呼ばれる。
「なんでも、ない」
「...............そうか、なら、別に構わない......」
言って、そのままダヴィードは、また私の手を引いて歩き出す。
ひんやりと冷たいダヴィードの手。歩いているうちに私も段々と冷静になってきたのか、パニック状態からは何とか脱することができた。
ダヴィードの気の向くままに散策を続ければ、もう夕刻が近付いていることに気付く。
バザールから商業区へと続く道。何処に向かっているのだろうと思い、ダヴィードに尋ねると「酒場」と端的な返答があった。
宿屋以外での食事は久しぶりで、まだ開店してから時間の経っていない店内は落ち着いており、ゆっくりと過ごせるだろう。この後の予定をダヴィードに聞くと、食事が終わったら、ギルドへと向かうとのこと。お酒は飲んでもよいが、酔わない程度にするよう軽く釘を刺される。
考えてみれば、お酒を飲むのも久しぶりだ。
「ありがと」
「...............礼を言うのは、俺の方だ......」
ダヴィードは静かに言う。宿屋に戻ったら話したいことがある、と。それは恐らく、ダヴィードが抱える秘密のことだろう。
この地上で「天使の《勇者》になれる素質」を持つ人間は、全部で七人。それぞれが《勇者》の宿命とも言えるべきか、何かしらの事情や秘密を抱えている。例外はない。私が自分の《勇者》にしたダヴィードもだが、彼の既知であるステルクもまた同様だった。
私たちは彼らの持つ心の闇に触れ、信頼関係を構築しながら、この世界を救うために動く。
すべては天上界のため。この地上に遣わされた自分以外の天使たちはいま頃、どうしているのだろうかとルキアシエルは思う。
この地上を救うために、天使が《勇者》を使って活動できる期間は、天上界によって既に定められている。
期間を過ぎれば、この地上は崩壊の一途をだどるのだろう。
動き出した歯車は止まらない。止めることもできない。もう、すべては始まっている。
あの時から。
ルキアシエルの前に置かれたグラスには、この地上で作られたワインが注がれている。アルコールを含んだ限りなく赤に近い紫色のワイン。それに私はゆっくりと口へと運ぶ。
あくまでも私の個人的な意見だが、天上界よりも地上の料理やお酒の方が美味しいと思う。
いつの間にか私の名前を呼んでくれるようになったダヴィードと、今迄よりも多くの言葉を交わしながら、夕食を済ませてギルドへと向かった。
そして、その帰り。
ダヴィードと一緒に宿屋への道を進む途中の裏路地で、私たちは、ステルクが謎の集団に襲われているところへ遭遇することになる。
それはまだ深夜とも呼べない時間のことだった。