とある勇者かく語りき
ステルクが「自分の宿泊先へと戻る」と部屋から出て行き、どれぐらい経っただろうか。しばらく静寂が支配していた部屋の空気を先に壊したのは、ルキアシエルではなく、ダヴィードの方だった。
「ルキア、君に、話がある」
俺から唐突に切った話の口火は、静まり返った部屋に思ったより響いた。
「本当だったら、この話は、天使の《勇者》になる前に伝えなくてはいけなかった」
部屋に備え付けられたベッドの上で、ルキアシエルが俺の話に耳を傾けている。それを気配だけで確認し、俺はこの話の続きを言う。
ルキアシエルの反応を見たくなくて、俺は、開け放たれた窓から夜空を見上げる。
「俺の正体は――ハーフヴァンパイアだ」
ハーフヴァンパイア。不死者を統べるヴァンパイアの王と、人間との血を引く、この世界でも忌避されている存在。極稀にしか生まれることがなく、けれど、そのほとんどが人間の手によって生まれて直ぐ処分される。
なのに、俺は人間たちに殺されることなく、いまは亡き師匠に拾われて運良く生き延びた。
「この身体には不死者を統べるヴァンパイアの王の血が流れている。ルキア、知っているか?」
師匠は凄腕のヴァンパイアハンターで、村人たちによって処分されるはずだった俺を助けてくれるような心優しい人間だった。
「人間はな。自分が生き延びるためなら、他人を犠牲にする生物なんだ」
いつか自分がいなくなっても俺が路頭に迷わないよう師匠は、俺を自分の後継者として、ヴァンパイアハンターとしての教育を施してくれるような人。
「彼女がいた村は、この北方でも辺境の地に近かった。
不死者の気まぐれからか、その村は襲われ、村人たちは自分が助かるために、まだ年若い少女を生贄に差し出そうとしたらしい。少女の家族は姉が一人だけで、だから、村人たちは自分が助かるために少女を生贄にしようと考えた。
これで少女に両親がいたら結末は違ったと思う。
けれど、少女の家族は姉が一人だけだったし、少女を庇ってくれる村人はいなかった――少女の姉を除いては」
感情のない声で、俺は語る。
「結論から言えば、少女の姉が、不死者の生贄になった」
師匠のような人間ばかりだったら、俺は、まだ世界をここまで憎悪せずにいられたのだろうか。
幾度となく自問自答を続けたが、答えは、未だに導き出されていない。
「その少女の姉が、俺の母親だよ。ルキア」
「........................」
「彼女は不死者の生贄になった後、不死者を統べるヴァンパイアの王に供物として捧げられ――俺が生まれたらしい。
俺に流れる血の半分は、忌むべく闇の血だ。
ハーフヴァンパイアである俺は実際、人間とは異なり、自然治癒力や身体能力が高い。不老不死ではないが、太陽の光は苦手だし、時折だが吸血衝動もある。師匠であるジークフリードから様々な教育を受けていることもあって、いまは未だ何とかなっているが......」
年月を重ねるごとに強くなっている血の衝動に、いつまで耐えられるのか。
俺には自信がない。
「それにな、ルキア。師匠であるジークフリードは、俺がこの手で殺したんだ」
瞬間。ルキアシエルが息を飲むのが分かった。
「とある戦いで敗北したジークフリードは不死者になり、その場で俺が討伐した」
「........................」
「ジークフリードはハーフヴァンパイアである俺を人間として、ヴァンパイアハンターとして育て、そして最後には俺に殺された」
このことを自分から告げた相手は、ルキアシエルが初めてだった。
「いつか俺が自分の血に流され、闇に落ちるかも知れない。だが、その前に師匠の仇であるヴァンパイアの王は、俺がこの手で討ち取るつもりだ」
***
月が綺麗だな、と。夜空を見上げ、ダヴィードは思う。
先程までも宿屋の一室で、ルキアシエルに自分の話をしてる時は気付かなかったが、どうやら今夜は満月だ。
自分の中に流れる血が、ヴァンパイアの吸血衝動が最も強くなる夜だった。
夜風に当たるために外出したのは、もしかしたら失敗立ったかも知れない。今更ながらに、ダヴィードは思う。
自分の抱えていた秘密を話したことで、恐らく、ルキアシエルの態度が変わることはない。ないはずだと信じたいが、もし、それが自分の思い込みで間違いだったら。もしかしたらルキアシエルは、最悪自分の前から姿を消してしまうのではないだろうかと、ダヴィードはその可能性にたどり着く。
その可能性にたどり着いてしまった。
「...............あ、っ......」
どくん
ダヴィードが不安を感じたのと同時に、自分の中に流れるヴァンパイアの闇の血が暴走を始めようとする。
まずい、と思い、俺は反射的に街の外へと向かう。
ロールスの近くには、確か、古代遺跡のある森があったはず。夜の森に入ることは危険なので、普段のダヴィードなら、ギルドの依頼でも引き受けていない限りはしない。
だが、いまはダヴィードにとっては一刻を争う事態だ。
間違っても街中で闇の血を暴走させることは、避けるべきである。月明かりを頼りに夜の森を駆けるダヴィードは、かつてない不安や恐怖を感じながら、ただ只管に自分へと向かって迫りくる闇から逃げたくて疾走する。
そうして、たどり着いた先。
森を抜けた先にある、古代遺跡を背景に、ダヴィードは吸血行為を愉しむヴァンピールと遭遇した。
***
ロールスの街の近くにある森には、ヴァンピールたち不死者にとって、故郷とも呼べる古代遺跡がある。
辺境の地からは離れ、北方では最も大きなロールスの街があるため、他の不死者たちはあまり近づこうとしない。その場所は、ヴァンピールのお気に入りの一つだった。
今夜のように月が綺麗な日には、その場所で、適当に誘惑してきた人間たちの血を吸う。
ヴァンピールが気に入れば不死者に、気に入らなければ玩具に、そうして遊ぶための行為を愉しむ。
がさり
なのに、どうやら今夜は邪魔が入ったようだった。
邪魔をした相手はヴァンピールも見知った顔で、同族ではないが、不死者を統べるヴァンパイアの王――イザークの息子である。
「こんばんは、お兄ちゃん。今夜は月が綺麗だね」
ヴァンピールの邪魔をする者は、本来であれば、感情の趣くままに殺してしまうのだが。
「お兄ちゃんが一緒に遊んでくれるのなら、ヴァンピールの獲物を分けてあげてもいいよ」
「........................」
特別だよ、と。ヴァンピールはあどけない子供らしい微笑を浮かべる。
べったりと口元に付いた血を拭うこともせず、いまにも闇の血に呑まれそうになっているダヴィードへ向かって、ヴァンピールは子供特有の無邪気な声で言う。
「我慢しないで、お兄ちゃんも飲んでみる?」
ごくり
ダヴィードの喉が鳴るのが分かった。
闇堕ちしそうになるのを強靭な自我で抗い、ぎりぎりのところで踏み止まろうとする者を、ヴァンピールは幾度となく見ては思う。我慢して何かよいことでもあるのだろう、と。それよりも自分の欲望に従い、感情の趣くままに行動した方が愉しいことに、何で気付かないのだろうと不思議だった。
「俺は......、いや、だ」
ダヴィードは、後退り、吸血行為を拒絶する。
「本当に?」
「...............ああ、本当......だ」
言葉では拒絶しながらも、ダヴィードの目線が、ヴァンピールの手元にある獲物へと注がれているのを見逃さない。
これなら後少しで、ほんの少しの甘言で、背中を押せば、ダヴィードは闇堕ちするだろう。ヴァンピールは確認する。いまここでダヴィードを誘惑し、闇堕ちさせてしまえば、この先の展開がおもしろいことになると。
ヴァンピールは退屈や停滞が何よりも嫌いなのだ。
それに、もしここでダヴィードを闇堕ちさせることができたなら、ヴァンピールは褒めてもらえるだろう。不死者を統べるヴァンパイアの王、イザークに。もしかしなくても、ヴァンピールに特別なご褒美をくれるかも知れない。
「本当は?」
だから、ヴァンピールは誘惑することにした。
ダヴィードが闇堕ちしたら、イザークに、あるモノを強請ろうと考えて。
ひゅん
瞬間。ヴァンピールの耳元で、鋭い風切り音が聞こえた。
「私の《勇者》を誘惑しないでもらえるかしら」
対不死者用の術式が組み込まれた投擲用の刃だけのナイフを展開させ、通常よりは肉厚で刃渡りが少し長めのナイフを手にしたルキアシエルは、天使だとは思えないほどの背筋が凍りつく微笑みを湛えている。
怖い。ヴァンピールの本能は正直だった。
ここは獲物を置いても撤退すべきだろう、と。思考よりも先に本能が理解する。
「いいよ。今回はお仕事じゃないから、ね」
できるだけ強気に。負け惜しみに捉えられないように。言って、ヴァンピールはその場を後にした。
***
ダヴィードが部屋から出て行ってから、しばらくしてルキアシエルはよくない気配を捉えた。これは長年悪魔と界層の境で戦っている間にも、よくあり、よく起こったトラブルの前兆とも取れる気配の一つだからだった。
だから、これほど早く、ダヴィードの闇堕ちしそうな気配を感じ取ることができた。
いまダヴィードがいる場所は、ロールスの街の近く、古代遺跡のある森だった。そこにはダヴィードだけではなく、あの辺境の地の霧深い森で出会ったヴァンピールと名乗る上級不死者も一緒にいるのだ。
もう嫌な予感しかしない。
ルキアシエルは宿屋の窓から抜け出して、ダヴィードとヴァンピールがいる森へと急ぐ。
人間に見つからないようにするため、姿を消し、純白の翼を広げ、古代遺跡のある森へと向かって夜空を駆ける。
久しぶりに空を飛ぶが、当然ながら違和感はない。
ロールスの街の近くにある森の上空から古代遺跡と、そこにいるダヴィードとヴァンピールを発見するなり、ルキアシエルは二人の元へと舞い降りた。
ヴァンピールに向かって対不死者用の術式が組み込まれた投擲用の刃だけのナイフを、牽制のためだけに展開し、通常よりは肉厚で刃渡りが少し長めのナイフを手にしてルキアシエルは、天使だとは思えないほどの背筋が凍りつく微笑みを湛える。
「私の《勇者》を誘惑しないでもらえるかしら」
天上界の部下だけでなく、誰とは言えないが上官までも恐れる微笑みを湛えたルキアシエルは、ヴァンピールに向かって言う。
「いいよ。今回はお仕事じゃないから、ね」
ヴァンピールはと言えば、相変わらず、ルキアシエルに子供らしいあどけない笑顔を向けるだけで。
あっさりと引き下がり、そのまま逃げてしまう。
ルキアシエルは追うこともせず、ヴァンピールが消え去った方角をしばらく見つめ続け。彼女が完全に逃げたことを確認する。
「ダヴィード」
いまにも闇堕ちしそうになっているダヴィードへ向け、
「大丈夫だから」
ルキアシエルは出来る限りの優しく声をかけた。
地面に蹲って、幼い子供のように身体を縮込めるダヴィードの傍により、ルキアシエルは彼と目線を合わせる。
「そんなに怖がらなくても、大丈夫だから」
「........................」
ダヴィードと視線が絡み合う。
「私はね、ダヴィードがハーフヴァンパイアであっても構わないの」
びくり、と。ダヴィードが身体を震えた。
だから、私はダヴィードを怖がらせないように、ゆっくりと彼へと手を伸ばす。
「ダヴィードが私の《勇者》でいてくれれば、それでいい」
いま彼が最も求める言葉は何だろうか。私は知っている。それは決して同情や共感、上辺だけの慰めでない。
「私にはダヴィードが必要なの」
自分が誰かに必要とされていることが、はっきりと伝わる言葉だ。
私はもう一度、
「ねえ、ダヴィード」
改めて、言う。
「私の《勇者》になってくれる?」