シュバリエ
「――さて、次の作戦を説明する」
宴会の翌日、中央の大部屋には全員の姿があった。その部屋の中にあるテーブルを全員が取り囲み、フィアは地図を広げていた。そしてフィアは、緊張感のある声で作戦の説明を始めようとしていたのだが―――
「……ん? どうしたんだお前達。ずいぶん顔色が悪いが……」
「……そりゃそうだろ……」
呆れた顔で大志は面々に目をやる。ステラ以外の残りの三人は目の下にクマを浮かべ、顔を青ざめさせていた。そして部屋を包むのは、とても濃い酒の匂い……完全に二日酔いのようだ。
「朝方まで飲んでたんだから、当然全員ぐでんぐでんだろ。……特に昨日のフィアは酷かったしな」
「そんなに酷かったか?」
「覚えてないのかよ……床にぶっ倒れたテスタの口に酒瓶突っ込んだり、逃げようとしたレスタを羽交い絞めして頭から酒をかけたり、冷静に見ていたミールにしつこく酒を勧めて結果無限に飲ませたり……あれは地獄だったぞ」
「それにしても大志とステラは大丈夫なようだが……」
「俺とステラはちょっと外に出てたからな。何とか難を逃れたんだよ……」
昨晩、大志とステラが砦に戻った時、部屋は惨劇が広がっていた。床に倒れ全く動かないテスタ、レスタ。ソファーに寝転がり、頭に水に濡らした布を当てながら呻き声を出すミール。そして、そんな面々を知りもせず机に伏せてイビキをかくフィア……しかし大志達も面々の介抱を朝まですることになったため、結局は寝不足となっていた。
「今日さっそくもう一戦するなら、少しは手加減して飲めよ」
「酒に手加減などない」
(コイツ断言しやがった……!!)
「それよりも、話を戻すぞ」
話を流そうとするフィアに、それ以上誰も反論しなかった。しても無駄……そう感じたことは言うまでもないだろう。
「――今回の目標はここから北にある村だ。そこには魔界人が約八人囚われている。現在は兵士達の休息のためにその村に留まっているが、明朝には出発するようだ」
「そうか……って、毎回不思議なんだが、どうやってそんな話を入手出来たんだ?」
「決まってる。夜中に下見に行ってるだけだ」
(たった一人で……)
それこそフィアがリーダーたる所以かもしれない。皆が寝静まっている間に、一人情報を集めている。それは今回に限ったことではない。いつもいつの間にかふらりと出て行き、情報を集めている。おそらく睡眠時間などろくにないだろう。だからこそ、戦線のメンバーはフィアを慕っていた。それは、大志も同じであった。
「今回の敵勢力は以前よりも大きい。そして、今回は“シュバリエ”もいるようだ」
「シュバリエが……」
室内は俄かにざわついた。全員が表情を一段と険しくさせる。ただ一人、大志を除いて……
「……シュバリエ?」
「ああ……大志にはまだ説明してなかったな。――ミール、頼む」
「ええ。――シュバリエは、天界の軍勢で特に優れた兵士に与えられる称号なのよ。まあ普通は、その兵士のことを“シュバリエ”って言うんだけど。その戦闘能力はとても高いわ。言うなれば、精鋭の中の精鋭。普通なら、到底太刀打ちなんて出来ない」
「へえ……」
「前回の合成生物といい今回のシュバリエといい……フィアの言う通り、かなり俺達を警戒してるようだな」
「そうだなテスタ。今回は今まで以上にキツイかもしれないな……」
「………」
全員が言葉を飲む。止めようと言い出す者はいない。だが、今回の作戦の難しさを考えると、どうしても言葉に詰まっていた。
「……そこで、今回も大志に動いてもらう」
「俺?」
「そうだ。今回、敵の勢力は大きい。村の周囲もくまなく警戒されている。おそらく、前回のように潜入ってのは難しいだろう。――よって、まずは大志が先行して村を強襲する。お前なら魔法で空からの襲撃が可能だろう」
「……なるほど、大志を囮として使うのね。でも、流石にその軍勢相手にたった一人ってのは厳しいんじゃないの?」
「確かに、“普通なら”到底無理な話だろうな。――大志、どうだ?」
フィア達は大志に視線を向けた。表情は険しいが、特にフィアは何かを期待するかのような視線を送っていた。大志はその視線に、頬を緩めて返す。
「……よく分からんが、つまり俺が初っ端から暴れ回ればいいんだろ? ――任せろ」
それを聞いたフィアは、少しだけ表情を綻ばせ、安堵の表情を浮かべた。
「……そうか。いつもお前にばかりキツイ役割を押し付けて悪いな」
「いいんだよ。俺は作戦とか難しいことは分かんねえし。そうやって暴れる場所を指示してくれた方が助かる」
「そう言ってくれるとありがたいな。――次にアタシ達の行動だ。大志が暴れてる間、速やかに村へと侵入する。そして魔界人を解放し、そのまま村を出る」
「ちょっと待てよフィア。もしその時、敵のシュバリエが大志じゃなくて俺達の方に来たらどうするんだ?」
「そうなったら俺達ヤバいよな……」
「その辺は大丈夫だと思うわ。大志の暴れっぷりは知ってるでしょ? そんな危険人物、シュバリエが放置するはずがないわ」
「俺は無差別兵器か何かか?」
「似たようなものよ。でも、それだけあなたのことはある程度信頼してるのよ」
「ある程度かよ」
「大志、ミールなりの褒め言葉だ。とにかく、お前は頼りにしてるからな」
少しだけ大志は照れ臭くなった。前の世界では決して言われなかったこと。頼りにしてる――その言葉は何だか嬉しくて、少しだけ体を強張らせた。
「――決行は今日の宵だ。油断するなよ」
◆ ◆ ◆
夕暮れ時の砦は、慌ただしく音を立てていた。間もなく夜に変わる。それはつまり、奇襲の時間が迫っていることを意味する。フィア達は装備を整え、様々な道具の準備に追われていた。一方大志は、特に何もすることはない。彼は武器を持たない。使い慣れていない武具は、返って邪魔になるだけ。そうフィアに教えられたからだ。砦の中の忙しさから、何だか居づらくなった彼は、静かに外へと出た。
風は涼しい。空は茜色。少しばかり雲が出始めており、夜には月と星の光を遮断するだろう。まさに、奇襲にはもってこいの天候とも言える。
「――大志さん」
後ろから声が聞こえた。無論、誰かは分かっている。大志はゆっくりと振り返り、優しい表情を見せた。
「ああ、ステラか……」
その時大志は気付いた。ステラは、どこか不安気な表情を浮かべていた。作戦前だからということもあるだろうが、それだけではないように思える。
「……ステラ、どうかしたか?」
そう聞かれたステラだったが、言葉に詰まっていた。言うべきか言わざるべきか……そんな葛藤が、彼女の中にあった。しかし言わずにはいられない。彼女は、ゆっくりと口を開いた。
「……大志さん、今日の作戦、十分に気を付けてください」
短い言葉だった。頭に浮かぶたくさんの言葉から、何とか絞り出したかのような言葉だった。その真意が、大志に十分に伝わることは難しかった。
「……何かあるのか?」
ステラはゆっくりと首を縦に振る。
「……今回の村には、シュバリエがいるんですよね?」
「ああ。フィアの話じゃそうらしいな」
「シュバリエは、おそらく大志さんが想像するよりずっと強力です。以前フィアさんが話した天界が魔界に攻め込んだ時のこと、覚えていますか?」
「――ああ、確か魔王とか名乗る奴が撃退した時のことか?」
「はい。その時、天界軍の主力だったのは三人の勇者ですが、多大な被害をもたらしたのはシュバリエの軍勢なんです」
「シュバリエも攻め込んでいたのか……まあそりゃそうだろうな。精鋭の中の精鋭なんて言われるくらいだし、そんだけ大きな戦場に行かないはずがないしな……」
「その時のシュバリエの数はおよそ五十名。戦場の規模の大きさから考えると決して多い数ではありません。――しかし、それだけの数でしたが、魔王は大変な苦戦を強いられました」
「魔王が?」
「はい。それだけシュバリエが強力だったということです。今回は一人だけのようですが……かなりの強者だと考えてください。油断すると、大志さんでも危ないです……」
「………」
いつものステラらしからぬ言葉だった。その表情にも柔らかさはない。どこまでも真剣で、気の緩みのない表情をしていた。
もちろん大志にもその真剣さは十二分に伝わっていた。だからこそ、彼は敢えて笑う。
「ああ。分かってるよ。でも、俺はいつも通りするだけだ。いつも通り魔界人を解放して、いつも通りここに戻って来る。――だから安心して待っててくれよ」
大志の表情と言葉は、ステラの中に覆われていた何かを少しだけ弱らせた。
「はい……!」
いつもよりも大きな声の返事。それはステラ自身が自分に言い聞かせるためのもの。彼なら大丈夫。いつも通り帰って来る。そう、自分に言い聞かせていた。
片や大志は静かに闘志を燃やす。ステラがこれだけ警告することは、これまで一度もなかった。つまり、それほどの相手が待っているということ。握る拳に力が入る。一度だけ村の方角に視線を送る。その先の何かを睨み付けた大志は、ステラと共に砦へと入って行った。
◆ ◆ ◆
辺りが闇夜に沈んだ村では、所々に焚火がされていた。木造の民家が立ち並ぶ村は、あまり大きくはない。村人の姿はない。戦線の襲撃に備え、皆別の場所に避難をしていた。その村を取り囲むのは甲冑の兵士達。当然、彼らの目は青い。その村の中心には、荷台に積まれた檻。その中には、八人の魔界人の姿があった。
「……さて、今日も襲ってくるのやら……」
兵士の一人呟く。それに隣の兵士が視線を向けた。
「可能性は高いと思うぞ。何しろ、最近“奴ら”は頭に乗ってる。どっかの隊では合成生物まで持ち出したそうだ。……ま、調整不足で逆に襲われたらしいがな」
「それは笑えるな。警備のための合成生物に襲われたなど、笑い話にしかならん。……だが、今回は俺達の方が分がいいだろう。何しろ、天下のシュバリエ卿が同行してるからな」
「確かにそうだな。……しかし、噂の“黒瞳の雷帝”はかなりの手練れなんだろ? 何でもさっき話した合成生物をあっさりと葬ったらしいぞ?」
「何言ってるんだ。合成生物ならシュバリエ卿でも討伐出来る。……不謹慎かもしれんが、シュバリエ卿の戦いをこの目で見れるのは運がいいかもしれん」
「同感だ。しかも、相手はあの雷帝と来たもんだ。観戦券を売り出したい気分だな」
「しかし、黒瞳の雷帝ってのは、どんな奴なんだろうな……」
「さあな……きっと、凄まじく屈強な人物なんだろう……」
「いやぁ……そうでもないぞ?」
「「―――ッ!!??」」
兵士達の後ろで、突然声が響いた。慌てて振り返る兵士達の目の前には、黒い瞳の少年――大志が立っていた。
「噂をすれば何とやらってな。……俺がそうだよ」
そう軽い口調で話した大志は、挨拶代わりとばかりに雷撃を走らせた。
「ぐああああああ!!!」
兵士達は吹き飛び、暗闇に包まれていた周辺は明るく照らされる。そして稲光が収まった時、村にいた兵士達は一斉に声を上げた。
「―――て、敵襲!!! 敵襲だ!!!」
その声を受け、兵士達は武器を構えみるみる大志を取り囲み始めた。それを見渡した大志は、ニヤッと笑い構えを取る。
「……さぁて、暴れるとするか……!!」
握る拳には、バチバチと雷が走る。そして彼の黒い瞳の奥には、炎のような闘志が宿っていた。