黒瞳の雷帝
「――奴らの自由にさせるな!! 奴隷を確保しろ!!」
天界のとある町中では、兵士の叫び声が響き渡っていた。街の人々は既に避難している。その中心部で、鎧を着た兵士と魔界人解放戦線のメンバーが剣と魔法を交わしていた。
「テスタ!! レスタ!! ミール!! 派手に暴れろ!!」
その中で、紅い瞳に紅い長髪の女性は荒々しく声を出していた。その言葉に、三人はニヤリと笑いながら駆け抜ける。
街には剣のぶつかる音、魔法の爆発音、雄叫び、悲鳴、絶叫が混ざり合う。彼ら四人は、かなりの腕だった。数では勝っていたはずの兵士は、彼に成す術なく一人、また一人と倒れていく。それでも兵士達は引くことはなかった。彼らは、時間を稼ぐ必要があった。
兵の一人が、その理由を叫ぶ。
「これ以上奴隷を奪われてたまるか!! お前らのせいで、俺らの稼ぎがねえんだよ!!」
……そう、このところ、天界の兵士達の奴隷商としての稼ぎは雀の涙ほどしかなかった。それまでも度々邪魔されることはあった。だが、いくら手練れとはいえ、相手はたかが四人。数で押し込めば、相手は撤退をしていた。
だが、それが通じていたのは過去の話。数か月前から、戦線が兵士達を圧倒するようになっていた。
「時間を稼げ!! 相手をこの街から出すな!!」
「……へえ、アタシらを足止めする間に魔界人を“本国”に送るつもりみたいだね」
剣を振りながらフィルは兵士達の思惑を察する。その言葉を聞いたミールはクスクス笑う。
「あらあら。それは残念ね。――まだ、気付かないの?」
妖艶な笑みを浮かべるミール。それを見た兵士の一人が何かに気付く。
「―――ッ!? “奴”がいない!? “奴”がいないぞ!!」
その兵士の叫びを聞いた兵団は、街の中を見渡した。だが、彼らが言う“奴”の姿はどこにもなかった。
戸惑う兵士達を見たフィルは、ニヤリと笑う。
「残念だったね。……足止めされてるのは、アンタらの方だよ!!」
そしてフィルは、兵団に向け更に駆け出した。
「ま、まさか………!!」
◆ ◆ ◆
フィル達が戦闘を繰り広げる街から程近い森の中、そこには道を走る一台の荷馬車と、それを取り巻く数十人の兵士がいた。荷馬車の中には数名の魔界人がいた。皆、何かに救いを求めるように手を組んでいる。その目は絶望に染まる。だが、それでも一筋の光を信じようとしていた。
「ちくしょう!! これ以上俺らの商売を邪魔されてたまるか!!」
指揮官と思しき兵士がそう愚痴を零す。残る兵士達は離れていく町を気にしながら走っていた。彼らは恐れていた。とある人物が追撃してくることを。
「………ここまでくれば安心だろう。さすがの奴も、完全に裏を―――」
「―――裏をかかれたのは、案外お前らの方だったりするんだよな」
「――――ッ!?」
後ろばかりを気にしていた兵士達は、前方から聞こえてきた声に驚愕し、その方向に目をやった。
馬車と兵士は足を止める。その前方の木の陰から、その人物は姿を現した。
白い袖のない布の上衣、黒いミリタリー風のズボン、黒いブーツ。両手には少し厳つい大きな小手。黒い短髪の少年は、その世界では見かけることはない黒い瞳だった。
彼の姿を見た兵士は、顔を青ざめつつ歯を食い縛る。そして実に悔しそうに声を漏らした。
「……“黒瞳の雷帝”……!!!」
黒瞳の雷帝……兵士は、その少年――大志を、そう呼んだ。大志はニッと不敵な笑みを浮かべる。
「その人達……渡してもらおうか」
そう言いながら、大志は一歩前に踏み出す。彼が足を前に出す度に、兵士達は怯えるようにジリジリと後退していた。
「………な、舐めるなあああああ!!!」
一人の兵士が、感じる恐怖を振り払うように声を出し、剣を振りかざし大志に向け駆け出した。その姿を見た他の兵士もまた、雄叫びを上げながら剣を構え突進する。
「―――しゃあねえ、か………痛い目見ても知らねえからな!!」
大志は両手をぶら下げ、兵士達に向け猛進する。
「―――ッ!? は、速い!?」
大志は風のように駆け抜け、瞬く間に兵士達の元に辿り着く。その速さは、生身の人間には到底不可能な領域だった。
「強化魔法!? 貴様、強化魔法を使えるのか!?」
「――てめえには関係ねえよ!!」
大志は前方にいた兵士を殴り飛ばす。吹き飛ばされた兵士は、ボーリングのように後方にいた兵士達と衝突した。他の兵士は大志の両側面から剣を向ける。だがそれも空を切る。大地を一度蹴るや、大志の体を高く空へと舞い上がり、兵士達の剣が届かぬ位置まで上昇した。兵団から少し距離が離れたところに降り立った大志は、すかさずまたもや兵に向け駆け出した。今度は兵団の中心部まで一気に進む。そしてその中で体を回転させながら拳、蹴りを次々と放つ。彼の拳と脚を受けた兵士は塵のように弾き飛ばされる。
「――囲め囲め!! 数で押せ!! これ以上奴を頭に乗せるな!!」
兵士達は必死に叫ぶ。だが、それでも大志は止まらない。叫びとは裏腹に、彼の攻撃を受けた兵士達は大地に沈み悶絶する。そのダメージは相当のものだった。
大志は、強化魔法を使っていた。マナを体内に取り込むことで、身体能力を数倍にも高める。そして大志の強化魔法は、ゼーヴェルトの一般的に使用されているそれとはレベルが違っていた。圧倒的な速度、桁違いの攻撃……いつしか兵士達は、数では圧倒しているにも関わらず、既に敗北したかのようなどんよりとした空気を出していた。
「――――ッ! “あれ”を使うぞ!!」
指揮官は、突然叫び始めた。それを聞いた兵士は指揮官に詰め寄る。
「兵長!! しかしあれは……!!」
「馬鹿者!! ここでまた奴に奴隷を奪われてみろ!! 本国でどういう仕打ちを受けることか!! いいから“あれ”を解放しろ!!」
「……はい!!」
兵士数名は森の奥に走って行った。
「……アイツら、どこに向かったんだ?」
兵士達の攻撃を軽く躱しながら、大志は森の奥に走って行った兵士達に気付く。その行動は撤退にも見えない。
「……貴様ももう終わりだ!! こんなこともあろうかと、貴様用に準備していたものがある!!」
「俺用?」
首を捻る大志。その時、先程兵士達が走って行った方向から悲鳴がこだました。
「――うわああああああああ!!!」
「……なんだ?」
その悲鳴に、大志はもちろん天界の兵士達も固まり、その方向に目をやった。
暗い森の奥、その奥で、何かの足音が聞こえてくる。ノシノシと脚で大地を踏みしめる音を放つ“それ”は、巨大な体格であることが想像出来た。
「あれは……」
その姿を目に写そうとする大志に、兵長は冷や汗をかきながらニヤリと笑う。
「………貴様も、終わりだな」
やがて森の奥から、その巨体は姿を現した。二足歩行の巨大な金毛のライオンのような姿だが、尾は大蛇で舌を小刻みに出す。その脚は屈強な獣の脚で、茶色で毛深い。腕は太く四本の鋭い爪がある指を開けては握る。
「あれは……魔法生物?」
魔法生物とは、魔法により生まれた合成生物である。色々な生物を結合させ、生物兵器として用いられる。主に使用するのは天界であり、その材料となる生物は、精霊界から連れて来られていた。生物の命を奪い、別の生命体に変える。何と残酷だろう。自然と大志の顔は険しいものとなっていた。
「……お前らは、どこまで……」
「フン! 知ったことではない!! ――さあキメラよ! あの小僧をさっさと――――」
ウオオオオオオオオオオン!!!
突然、キメラは雄叫びを上げ、兵長に鋭い爪を振りかざした。
「げふっ―――!?」
爪の一撃を受けた兵長は吹き飛び、鮮血を出しながら倒れる。そしてそのままキメラは、付近にいた兵士を次々と襲い始めた。
ウオオオオオオオオオオン!!!
それは暴走だった。本来キメラを誕生させた際、操者側の命令を忠実に守るように魔法を施させる。だが、このキメラにはそれが不十分だった。対大志用に急ピッチで造られたため、中途半端に魔法をかけられただけの状態となっていた。
キメラの凶爪に次々と切り刻まれる兵士達。既に兵士達は背を見せ逃げはじめていた。その光景を見た大志は、顔を歪めた。
「――おい!! 化物!!」
大志は声を張り上げる。その声に反応するかのように、キメラはゆっくりと大志の方を振り向いた。
「……お前には同情するよ。何も関係ないのに、勝手に改造されて、全部憎いんだろうな。――だから、ここで俺が引導を渡してやるよ」
言葉を送った大志は、静かに拳を構える。
ウオオオオオオオオオオオオン!!!
キメラは吠える。大志の言葉は、キメラの心を揺さぶっていた。強靭な脚を蹴り出し、キメラは前へ跳び出す。そして両手の爪を十字に振った。
「―――ッ」
大志はその爪の筋を冷静に見ていた。触れれば彼の肉を、骨を断ち切るだろう。幾重にも繰り出される爪の閃。それは彼の頭上を、顔の横を、四肢の下を掠めていく。それでも大志は息を吸い込み、下腹に力を込めた。
「シッ―――!!」
短く息を吐き、拳をキメラの腹部に突き入れた。そこからは鈍い衝突音が響く。キメラは短い声を零し、体をくの字に曲げた。しかし尾の大蛇は別の意志を持ち、大志の顔目掛けて牙を見せ口を開ける。
「甘え!!!」
その大蛇の首を手で掴むと、そのまま尾を引く。キメラは体勢を崩し、回転しながら地に倒れようとした。その隙を狙い、大志は鋭い蹴りキメラの頭部に叩き込む。
ガアアアアアアア!!!
その衝撃でキメラは森の奥に吹き飛ばされる。まだ勢いのある体を無理やり立たせたキメラは、土煙を上げながら大地を滑る。そして大志の方に正対し、再び爪を構えた。
……だがその時、大志は既に右の掌をキメラに向けていた。
「………じゃあな」
その言葉と共に、大志の掌から雷光が放たれる。幾つもの雷の筋。それは束となり、巨大な光線となる。周囲には落雷の音が響き渡り、空気中を駆け抜ける。それは瞬く間にキメラの体を包み込み、キメラの体には超高圧の電撃が浴びせられた。
ガアアアアアアアアア………!!!!
キメラの断末魔は轟雷の音に紛れ込む。雷撃はキメラの体を通り越し、その奥にある森までも突き抜けた。木は消え去り、直撃を免れた木々でさえも次々とへし折られる。圧倒的な威力と迫力。それが、大志の右手から放出されていた。
やがて光は消え去った。雷光の足跡では、未だに雷の筋がバチバチと音を立てて縦に走る。その足跡は黒く焦げ、一本の果てしない黒い道を作り出していた。その道の途中には、キメラ“だったもの”の焦げ跡があった。
「………」
大志はその焦げ跡を目に写し、心を痛める。だが、一度キメラになった生物は、二度と元に戻ることはない。そう、フィア、ステラから聞いていた。だとしたら、こうして誰かがその暴走を止めることが、最後の慈悲であるように思えた。
大志は付近を見渡す。奴隷として捕えられていた魔界人は、奇しくも檻の中にいたおかげでキメラに襲われることはなく、大志に対して歓声を送っていた。
一方、天界の軍勢は、兵長を始め、多くの兵士が暴走したキメラに命を奪われていた。それでも何人かの兵士は生きている。兵士達は、目の前の少年に完全に戦意を失っていた。その力、魔法の威力は本物だった。あの手も足も出なかった化物をたった一人で……しかも子供扱いするかのように、あっさりと葬った。いくら数を揃えようとも、どれだけの装備を整えようとも、その者を打ち倒すことは叶わない。彼らの本能は、瞬時にそれを理解していた。
身を震えさせていた兵士の一人が、稲光を帯びながら悠然と立つその者の名を再び口にする。恐怖と、尊敬の念を込めて。
「………黒瞳の、雷帝………」
その者、黒い瞳を眼に宿し、天の怒りを走らせる。振り抜く拳は全てを怖し、駆ける足は何者よりも速い。放つ光は浄も不浄も超えて全てを終わらせる。
その名は須藤大志――人々は彼を“黒瞳の雷帝”と呼ぶ。この世界に降り立った、雷の打ち手。全ては、始まったばかりだった。
第一章 完