蒼い月が昇る夜
「ううん………」
うなされるように声を出した大志は、ようやく目を覚ました。薄く開ける視界は暗く、その場所がどこだか分からない。ただ、日の光が見えないところを見ると、既に夜になっていたようだ。
「……ここ、どこだ?」
大志は辺りを見渡してみた。彼が寝ていたのは、どうやらベッドの上のようだ。右方向には窓があり、夜風で白いカーテンが優しく靡いていた。ベッドの横には小さな椅子があり、椅子の上には食器が置いてある。どうやら、誰かが食事をしたようだ。左奥には木製の片開き戸があり、そこが出入り口になっているようだ。
彼にとって、その部屋はまったく知らない場所だった。なぜ自分がここにいるのか……意識を失っていた彼には、どうしても分からなかった。
「ええと……俺、何してたん―――」
そう言いかけた大志は、それまでのことを思い出した。その瞬間、彼の脳裏に全てが押し寄せる。
「俺は……俺は……!!」
顔に両手を当て、混乱する思考を必死で落ち着かせようとする。だが、一向に落ち着くことはない。目の前でたくさんの人が死んだ。それも、自分のせいで。その事実は、想像を絶する苦痛を大志に送り続けていた。
「――ようやく目が覚めたか」
「――――ッ!?」
突然、部屋の入り口の扉の辺りから、女性の声が響いてきた。その方向を見ると、赤毛の女性――フィアが立っていた。
「だ、誰だ!?」
大志は思わず声を荒げていた。それを見たフィアは、溜め息を大きく一度吐く。
「誰だはないだろう……ここは、アタシらのアジト。アタシらからすれば、誰だか分からないのはアンタの方だよ」
「………」
大志はフィアを睨み付けていた。しかし、その実彼の中には畏れがあった。怖いからこそ威嚇する。なるほど、今大志は、限りなく野生の獣に近いのかもしれない。
「そんな怖い顔をするな」
フィアは笑いながら部屋の中に入り、大志の横の椅子上の食器を床に置き、そのまま座った。その表情には敵意は感じ取れない。大志は、目の前の赤毛の女性が自分に危害を加えるつもりがないことを感じ取った。
「別に、アンタをどうこうしようってわけじゃないんだ。――ただ一つだけ答えな」
「………何を?」
「……アンタ、何者なんだ?」
「俺?」
「そうさ。ああやって雷魔法を使える人物は、この世界では一人しかいなかったはず。にも関わらず、突然現れたアンタは、ああやって魔法を使えた。だから聞いてるんだよ」
「………俺が、魔法?」
「………覚えていないのか?」
「…………」
大志は、フィアの言葉に何かを感じた。彼の脳裏に、何かが走る。まるで稲妻のように、一瞬だけその情景が思い浮かぶ。それが何なのか気になる。だが、思い出したくない気がする。
だが、残酷にも彼の心は全てを思い出した。
「――――」
大志の表情は凍った。それを見たフィアは、顔を険しくさせながら悟る。
「………思い出したようだな」
「――あれは、俺は悪くない!!」
大志は声を上げた。そうすることで、自分を守ろうとした。だが、フィアは冷静に淡々と話す。
「……誰が悪いとか、誰が正しいとかは関係ない。現実を直視しろ。それが、アンタの贖罪だ。
――アンタは、多くの命を奪ったんだ」
「――――ッ!!」
それは、大志が気付いていたことだった。だが、必死に隠そうとしていたことでもあった。それを他人から言い渡され、心の奥底に押し込めていたものが、一気に噴き出してきた。
「……あああ……あああああああ……!!」
大志は声を上げて泣いた。その慟哭を見つめるフィアは何も言わない。ただ涙を流す大志に、哀れむような視線を送っていた。
しばらく泣き続けた大志は、絞り出すように言葉を口にする。
「………俺は……人殺しだ………」
「………そうだ。アンタは、人殺しだ」
フィアは、彼を擁護することはない。下手な擁護は、返って彼を傷付けることを知っていた。それでも、彼女には大志の苦悩が共感出来ていた。遠い日の記憶、今の大志はそれを甦らせる。
「なぜそうなったか教えてやる。……それはな、アンタが弱いからだ」
「……弱いから?」
「そうだ。アンタが弱いから、逃げ惑う人々を助けられなかった。アンタが弱いから、殺そうとする相手を殺したんだ」
「………」
「……少し、外の風を浴びようか。付き合え」
フィアはそう言い残し、部屋を後にした。大志は何も考えられず、ただフィアの言葉に従った。
◆ ◆ ◆
外は風が涼しかった。空は晴れ渡り、星が輝いていた。月のような衛星も見える。大志の世界の月とは違い、青い光を放っていた。その光に照らされた大地は、まるで一面にブルーライトを当てられたかのようになり、幻想的な雰囲気を作り出していた。
「……アンタ、自分が使った力が、どういうものか知ってるか?」
蒼い月の光を受けるフィアは、背を向けたまま大志に訊ねた。
「………どういうことだ?」
「魔法の形が、人によって違うことは知ってるか?」
「ああ……」
「上等だ。………さて、本題だ。アンタが使った魔法……それは、“雷”」
「雷?」
「そうだ。雷魔法は、数ある放出魔法の中でも最強と謳われる魔法でな。その魔法を使える人物は、ゼーヴェルト広しと言えど、アタシは一人しか知らない」
「………一人?」
大志の言葉に、背を向けていたフィアは大志の方を振り向いた。その目は力強く、その青い月を背中に宿したかのような姿は神々しかった。
「――“魔王”だ」
「魔王?」
大志からすると、聞き慣れた言葉だった。もっとも、それはゲームの世界限定でのこと。実際にいる人物となるとそれはまったくの未知の存在だった。むしろ、それを真顔で言うフィアが、何だかとても滑稽に見えた。
だが、フィアはあくまでも淡々と語る。
「……数年前、天界の大軍勢が魔界に攻め入ったことがあるんだよ。境界の絶壁を通り抜け、奴らは突然来た」
「天界が……」
「もちろん、魔界側は迎撃の体制を取ることなんて出来ずに、次々と村を焼かれた。……アタシの両親も、その時に死んだよ」
「………」
「全てが終わったと思った。……その時、その人は現れたんだ。仮面を被り、正体を隠してはいたが、その人は魔界の王――“魔王”を名乗り、たった一人で天界の大軍勢に戦いを挑んだんだ」
「……どうなったんだ?」
その問いに、フィアは少しだけクスリと笑った。
「……普通に考えれば、勝てるわけないだろ? 数十万の軍勢にたった一人だぞ? ――でもな、魔王は、奴らを退けたんだよ」
「………」
大志は黙り込む。戦いというものに疎い彼にも、その凄さが何となく伝わっていた。数十万の軍勢対たった一人……とても勝てるものではない。だが、それを退けたという魔王の強さは、おそらく人智を超えたものなのだろう。大志は、それを朧気ながらも感じた。
「もっとも、天界側にも化物がいてな。魔王に対して、奴らは自らを“勇者”と名乗っていた」
「勇者……」
(魔王に勇者……まさに、ファンタジーの世界だな……)
「勇者は三人いてな、魔王は苦戦を強いられた。ボロボロになりながらも、追い込まれながらも、それでも魔王は命を賭して戦い、勇者と天界の軍勢を壁の向こうに追いやったんだよ」
「……なあ、魔王は、どうなったんだ?」
それに対し、フィアは首を横に振る。
「……分からない。戦いは壮絶を極めたからな。その後は一度も姿を見せていないところを見ると、おそらくは……」
「………」
フィアは、それ以上の説明をしなかった。その沈んだ表情を見た大志は、言葉はなくともフィアが言わんとすることを何となく察した。
「……だが、魔王のおかげで、天界は大胆に魔界を攻めることはしなくなった。それでも、未だに魔界に来ては、奴隷として使うために魔界人を拉致している」
「………」
「アタシらはな、そんな魔界人を魔界に返してるんだよ。魔王が命懸けで救おうとした魔界を――魔界人を、今度はアタシらが助けたいんだよ」
「………立派、だな」
大志は、思わずそう呟いた。フィアは少しだけ頬をかく。
「そうでもないさ。アタシらに出来ることは、兵士の隙を突いて捕虜となった魔界人を奪還して、奴らから奪った札で魔界に送り返すくらいだからな。
……だが、アンタがいれば――アンタの力があれば、もっとたくさんの魔界人を助けられるかもしれない」
「そ、そんな……俺なんて……」
ただの人殺し……大志は、自分のことをそう罵ろうとした。だが、それを口にすることはない。それは彼の中に残された、僅かばかりの抵抗でもあった。口に出せば、それを再び突き付けられることになる。そんな風に、思っていた。
「……確かに、今のアンタは話にならない。中途半端に力を解放して、全てを破壊し、奪った」
「………」
そこでフィアは、優しく頬を緩めた。
「――でも、そんな中途半端な力でも、アンタは一人だけ助けることが出来たんだよ」
「―――え?」
大志には、フィアの言葉の真意が分からなかった。あれだけの破壊をした自分が、いったい誰を助けられようか。……その答えは、彼のすぐ後ろにあった。
「――大志さん」
「――――」
ふと、大志の背後から聞き覚えのある声が耳に響いた。その声は優しく透き通っていて、彼の名前を告げる。
慌てて振り向いた大志の目には、黒髪の少女が立っていた。その少女の姿を見た大志は、自然と彼女の名を口にする。
「………ステラ……」
「……はい」
大志の呼び掛けに、ステラは優しい笑みで返事をした。その瞬間、大志の目からは再び大粒の涙が溢れ出した。
「……ステラ………どうして………!!」
必死に声を振り絞ろうとするが、声が震えて上手く言葉に出来ない。それでも彼は駆け出し、細い少女の体を強く抱きしめた。
「ちょ、ちょっと大志さん!?」
ステラは顔を真っ赤にして慌て始めた。彼女からすれば、異性から強く抱きしめられることなど初めてだった。
「……良かった……本当に良かった……!!」
大志は涙を流しながら、彼女の肩に顔を埋める。それを見たステラは、顔を赤くしながらも再び優しく微笑み、大志に身を任せた。
その光景を微笑みながら見ていたフィアは、静かに話す。
「……あの時、アンタは大量のマナを自らの周囲に取り込んだんだよ。そしてアンタが抱きかかえていたその子にも、大量のマナが注がれたんだ。それが高度な治癒魔法の効果を出したようでな。一命を取り留めたってわけだ。……まあ、奇跡に近いような話だがな」
奇跡だろうが偶然だろうが、大志にはどうでも良かった。重要なのは、ステラが助かったことだけだった。無論、彼がその他の命を奪ったことは揺るがない事実である。だが、ステラが生きていたことが、彼にとっては大きな救いとなった。
それからしばらくの間、フィアは大志とステラを眺めていた。ただ声を上げて泣く少年と頬を赤くする少女。それを見ていたフィアの心にも、熱い感情が沸き起こっていた。
そして大志が落ち着きを取り戻し始めた頃、彼女は一段と声を張り上げた。
「――大志!! アタシらと来い!!」
「………え?」
目を真っ赤にした大志はステラから体を離し、フィアの方を振り向く。
「アンタの力は、きっとたくさんの人を救える力だ!! 魔王のように!!
――だから大志!! 強くなれ!! 誰にも殺されないように!! 誰も殺さないように!! 生と死を超越する程に――全てを圧倒出来る程に!!」
「――――」
大志は、フィアの言葉に胸を熱くさせた。涙が浮かんでいた大志の目は、いつしか魂が宿っていた。彼の力強い視線は、それを物語る。
そんな大志の手を、ステラはそっと握った。大志もまたステラの方に視線を戻す。
「……私も、ご一緒します。あなたとの出会いは、きっと私の運命だと思えるから………私自身が、大志さんと共にいたいから………」
「……ステラ……」
大志とステラは見つめ合う。そして大志は、一度目を閉じた。瞼の裏に映る色々な景色、想い、決意……それを胸に刻み、ゆっくりとフィアの方を向く。
「――フィア、どこまで出来るか分からないけど、やってみるよ。よろしくな」
彼の言葉に、フィアは豪快な笑顔を見せた。
「……よし! そうと決まれば歓迎会だ!! テスタ達を紹介するよ! 付いて来な!!」
フィアはやや早足で歩き、建物の中に戻って行った。ステラも大志に笑顔を送りフィアに続く。
大志は一度空を見上げた。大きく丸い、言葉を失うような美しい蒼月だった。
「大志!! 早く来い!!」
建物の入り口から、フィアの声が響く。
「――すぐ行くよ!!」
その方向に向け、大志は一度声を出す。そしてもう一度月を目に写した大志は、建物のへ向けて駆け出した。その足は、どこか力強かった。