ゼーヴェルト
荷馬車は村を抜けた後、ひたすらに深い森を進んでいた。辺りには木製のタイヤが回る音と、荷台の木が軋む音が響いている。空は晴れており、檻さえなければ旅としては最高の条件だった。
その荷馬車に揺られながら、大志は鼻歌を口ずさんでいた。
「………ドナドナドーナードオナー……」
「その歌は何ですか?」
「……これはな、俺の国にある“ドナドナ”っていう歌だ。売られるために、荷馬車で運ばれる可哀想な仔牛を哀れんだ歌なんだよ……」
「そうなんですか……」
ステラは苦笑いをしていた。それは、大志の自分への皮肉だった。しかし今なら、その仔牛の心境がよく分かる。
(その仔牛も、こんな気分だったのだろうか……)
その顔は哀愁が漂っていた。それを見たステラは、慌てて話題を変える。
「そ、そう言えば、大志さんはどこから来たんですか? 瞳の色も黒いですし……」
「……黒い瞳って、そんなに珍しいのか?」
「珍しいというより、誰も見たことがないと思います。この世界――“ゼーヴェルト”には、紅い瞳の“魔界人”と、蒼い瞳の“天界人”しかいませんし……」
「ゼーヴェルト? 魔界人? 天界人?」
ステラは丁寧な口調で説明をしたが……大志からすれば、初めて聞く言葉ばかりだった。
(ゼーヴェルトってのは、この国の名前なのか? ……それにしても、魔界人に天界人……マジでゲームの世界だな……)
ステラもまた、至って真面目に説明をした。それから考えると、それはやはり常識的な話らしい。それとは別に、大志には気になったことがあった。ステラは、ゼーヴェルトの説明を“国の名前”ではなく、“世界の名前”と言っていた。
大志からすれば、世界の名前なんて概念はない。あるとするなら、“星の名前”……つまり地球。
「……あの、大志さん? 知らないんですか?」
「………」
心配そうに見つめるステラの視線を受けながら、大志の頭の中にはクエッションマークが大軍で押し寄せていた。
(世界に名前がある? 星の名前じゃなくて? 天界人? 魔界人? 紅目? 蒼目?)
それらは、日本……いや、大志の世界にはない言葉。そして大志がこの地に降り立った状況……それらを説明するためには、“ある仮定”をする必要があった。
「………いやいやいやいやいや………ないないないないない」
「どうしたんですか?」
大志が自分の想像を掻き消そうとする。そんな大志を、ステラは不思議そうに見ていた。
「いや……だって……そんなことって、あるわけ……ないよな?」
「はあ……」
「だって、ゲームじゃあるまいし……剣……はあったけど、魔法なんてないのに……」
「魔法?」
「いやいやごめんごめん。ちょっとぶっ飛んだ話だったな。俺だってそんなことあるわけ―――」
「魔法がどうかしましたか?」
「………へ?」
大志は素っ頓狂な声を出してしまった。ステラは、そのまま当然のように続ける。
「魔法はさすがにご存知ですよね。大志さんは使えるんですか?」
「………魔法、あるの?」
「当たり前ですよ………大志さん、さっきから様子が変ですけど………大丈夫ですか?」
「………OKOK、ちょっと待ってくれ……」
相変わらずステラは冗談を言ってるようには全く見えない。ということは、ステラが言ってるのは大真面目なことだということ。
(ええと……世界の名前がゼーヴェルトで、剣があって、魔法があって、いつの間にか移動していて、ファンタジーで……)
それが導き出す答えは、ただ一つだった。
(……もしかして、ここ……異世界ってやつ?)
「はいいいいいいいいい!!??」
「―――ッ!? た、大志さん!?」
「いや……! だって……!! ぇぇええええええ!!??」
大志は未だに混乱していた。自分でそう結論出しながら、未だに必死に掻き消そうとする。そんな大志に、ステラは慌てふためく。
「そこの小僧! うるさいぞ!!」
馬車の運転席から兵士の怒声が響く。それでも大志は叫び続けた。……そうすることで、自らの頭を整理していた。
◆ ◆ ◆
「――大志さん、大丈夫ですか?」
「……な、なんとか………」
しばらく騒いだ大志だったが、なんとか平常心を取り戻していた。
「なあステラ……“事実は小説より奇なり”って言葉、今ならスンゲエ同意出来るな……」
「その言葉、何ですか?」
「いや……気にしないでくれ……」
大志のショックは、まだ癒されていないようだ。
それはそうと、荷馬車は進み、やがて大きな白い壁が眼前に聳え立つ位置まで来ていた。
「……でっかいなぁ……」
目の前に見える壁を見た大志は、檻の鉄格子に手をかけ上空を見上げた。どこまでも高く伸びる壁。雲を突き抜け、上が霞んで見えない。いったいどこまで高いのか……それすらも想像さえ許してくれないほどだった。
「……“境界の絶壁”です」
「境界の絶壁……」
ステラは、大志について諦めた面があった。目の前の少年は、本当にこの世界のことを知らないようだ。大志がどこから来たのか分からない。どんなところで過ごしたか分からない。それでも、まるで幼い少年のように純粋にこの世界を見つめる彼に新鮮さを感じた。その純粋さこそ、この世界が失ったもののように感じていた。
「この世界――ゼーヴェルトは、元々一つの世界だったんです。ですが、遠い昔に建造されたあの絶壁で二つに分断されたんです。……それが、天界と魔界。この二つの世界は、遠い昔より対立してきました」
(対立ってことは……戦争でいいんだろうな)
「そしてこの世界の下には、別の世界があるとされています。
神獣、精霊が住まう国……その名は、“精霊界”。……言い伝えでは、そう言われています」
「言い伝え?」
「誰も見たことがないんですよ。ですが、確かに存在しているという記録が残っています。
――そうですね、少し、分かりやすく説明しますね」
そう言ったステラは、荷馬車の床に図を刻んだ。
【天界】ーー【魔界】
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【精霊界】
「これが、世界の全形です。これら三つの世界を総じて、“ゼーヴェルト”といいます」
「へえ……」
「………」
大志からすれば、それはこの世界のことを知る絶好の機会だった。真剣に床の図を見つめる大志を見たステラは、改めて大志を驚いた表情で見つめていた。
床を見ていた大志は、ようやくステラの視線に気付く。
「ん? どうかした?」
大志と目が合い、慌てて視線を逸らすステラ。言い訳をするように、早口で話す。
「い、いえ! ……本当に、何も知らないようなので……」
「ああ……まあ、俺がいたところは、ちょっと違うからな。たぶん説明しても分かんねえよ」
「そうなんですか……」
少し苦しい説明だと、大志は反省した。だとしても、彼には説明しようがなかった。常識的に考えて、この世界とは違う別次元の世界から来たなんて説明したところで、おそらくは苦笑いをされるだけだろう。そう考えた大志は、笑って誤魔化すことにした。
「それはそうと……あの門、通り口なんてあるのか? 隙間なんてないように見えるけど……」
「ああ、あの門に隙間はありません。この世の果てまで続いていると言われていますし。――ですが、天界はあの壁を通り抜ける術を見つけたようです」
「天界が?」
そこで大志はハッと気づく。そしてステラの耳に手を当て、小声で確認した。
「……もしかして、あの兵士って、天界の軍勢?」
「………はい」
ステラは目を伏せたまま、小さく頷いた。それを見た大志は、馬の手綱を握る兵士に視線を送った。
(……そういうことか。こっち側は魔界で、あっち側が天界。あの兵士たちは、あっち側の天界の兵士。……つまりあの兵士は、簡単に言えば他所の国に奴隷を探しに来た奴隷商人ってところか……)
そう考える大志の視線は険しいものになっていた。
「………」
その大志の視線を見たステラもまた、真剣な表情で大志を見つめる。ステラは、大志の視線の意味を、朧気に理解していた。
◆ ◆ ◆
そして荷馬車は、境界の絶壁の袂に辿り着いた。しかしやはり目の前には壁しかない。
(さて……どうやって通るんだ?)
大志が見つめる中、手綱を握る兵士が何かを取り出し、目の前にかざし始めた。それは一枚のプレート。
(あれは?)
大志が見つめる中、そのプレートは眩い光を放ち始めた。その瞬間、荷馬車全体が光に包まれる。光に囲まれ、周囲の様子が分からない。余りの眩しさに、大志は目を閉じていた。
(何が起こってるんだ!?)
そして光が消えた時、大志は目を開ける。すると、目の前にあった壁はなくなっていた。慌てて後ろを振り返れば、白い壁はそこにあった。
(……なるほどな。通り抜けるというより、ワープに近いのか……)
後方の壁を見つめる大志に、ステラは声をかけた。
「……ここが、天界です」
「天界……」
ステラの言葉を受け、大志は周囲を見渡す。そこは壁の向こう側と同じ、深い森の中だった。しかし馬車が進む道の先には、大きな町が見えた。……だが、“それだけ”だった。
「………」
大志は鉄格子に寄りかかりながら、呆けた顔で座っていた。
「……大志さん?」
ステラの言葉に、大志は視線を変えることなく言葉だけを返す。
「……いや、天界って言っても、魔界と全然変わらないなって思ってな……。考えてみればそうだよな。同じ世界を壁一枚で分断してるんだ。種族の違いはあっても、世界に変わりはない。
……なのに、天界と魔界が対立してるってのは変な話だな。同じ世界に住んでるのに……壁一枚隔てた土地に住んでるだけなのに……なんか、悲しいよな。そういうのって」
「………」
ステラは大志の顔を見たまま絶句していた。それほどまでに、彼女にとって大志の言葉は衝撃的だった。
「ん? どうかしたか?」
大志の言葉で、慌ててステラは俯いた。
「――い、いえ! 何でもありません……何でも……」
「? そうか?」
「はい……」
大志はそのまま再び視線を景色に戻す。その時ステラは、俯いたまま涙を流していた。大志に気付かれることがないように。声を必死に押し殺し、唇を噛み締めて。その涙が意味するものは、彼女にしか分からないものだった。
「――あ、そう言えば聞こうと思って忘れてた」
突然、大志がステラの方を振り向き、話しかけてきた。
「――あ、はい!」
ステラは慌てて目を手でゴシゴシと拭い、顔を大志に向ける。しかしその顔は、赤く染まっていた。
「ん? ステラ、顔が赤いぞ? 大丈夫なのか?」
「え!? そ、そんなこと……ないですよ?」
「そうか? だったらいいんだけど……」
「それより、聞きたいことって何ですか?」
ステラはこれ以上勘ぐられる前に、話題を変える。
「あ、ああ……さっき、魔法がどうこう言ってたけど、みんな魔法が使えるのか?」
「魔法ですか? ……そうですね、使える人と使えない人がいますね」
「全員が使えるわけじゃないのか……」
「はい。……あ、でも、魔法と言っても色々ありますから」
「色々?」
「魔法とは、そもそも空間に漂う“マナ”と呼ばれるエナジーを使うんです。その使い方は、その人によって違います」
「へえ……例えば?」
「魔法は大きく分けて二つあります。一つは、強化魔法。身体能力、武器、道具……マナを何かに注ぐことで、その能力をアップさせる魔法ですね。
もう一つは、放出魔法。マナを使用し、様々な効果を生み出します。炎を呼び出したり、ケガを治療したりといったものです」
「強化魔法と放出魔法ねぇ………」
(……ってことは、よくゲームで出る炎を飛ばしたりする魔法ってのは、放出魔法に分類されるのか)
「その能力、魔法の強さは、先天的なものなんです」
「早い話が、才能ってことか?」
「まあ、簡単に言えばそういうことになります。もちろん、生まれながらに魔法を使えない人もいます。そういう人達は、“ナーダ”と呼ばれてます」
「ふ~ん……」
その時、大志はとある素朴な疑問を思いついた。
「――なあ、ステラも魔法が使えるのか?」
「え? 私ですか?」
「そうそう」
「ええと………」
ステラは困ったように頬を指でかいた。そしてしばらく何かを考えたステラは、ゆっくりと話し始めた。
「………私は、今はもう魔法は使えません」
「今は? 前は使えたのか?」
「ええ、まあ………大した魔法じゃないんですけど……」
「そっか……魔法も、使えなくなることがあるんだな」
「………はい」
ステラはその呟きを最後に、表情を曇らせてしまった。大志は、地雷を踏んでしまったと悟った。そして彼は、どうでもいいような話を始める。自分の世界のことだったり、好きなことだったり……そのおかげもあり、暗かったステラの表情には明るさが取り戻された。
そんな二人を乗せた荷馬車は、ゆっくりと進む。その進む先には、壁を越えたところで見た大きな街があった。