狩りと騒動の結末
「死にたいのか?」
黒狼の問いかけにりゅういは微笑む。
「まさか。死にたくないよ。死ぬ気もないし、殺したらきっとリューイが帰ってこれなくなるでしょう?」
ひと息吐く。
「そしたらリョーイが苦しむんだろうなぁ」
虚空を見つめる眼差し。
「リョーイは本当にりょういみたいなのに、どことは言えない明確な違いがあってそれでもどこか同じで、それなのに違ってて」
りょうい?
かすかなイントネーションの差異が違う人物をさしてるとわかる。
リューイとりゅうい。
リョーイとりょうい。
魂・存在の近しいもの。
その差は住んでいる場所から生じるのか、それとも環境からか。
リューイははっきり言ってどこか胡散臭い。
りゅういだってあまりつかみどころはない。
だから大概は大丈夫ととったが甘かったのか?
「ここは、ココは……知らない場所なんだ」
ぽろぽろと零れ落ちる涙。
微笑みの中、こぼれ落ちる涙が目を引く。
「ナニ泣かしてやがるっ!!」
後頭部を蹴られる。
さっきまで気配はなかったから転移で来たんだろう。
「って!? 黒狼、りゅういになにしてんだよ」
すっと眇められた茶色の目の剣呑な色が宿る。
片手で槍を黒狼に向け、もう片手でりゅういを抱き込む。
転移を自在に使いこなすリョーイには位置問題はない。
「本当に、困ったコトだこと」
背後に生じた気配にあわてて身を翻す。
すっん
さっきまであった位置を凪ぐ軌跡。
そこにいるのはミズノリエ。
黒のロングドレスに医療用白衣。しっとりと長い髪。
紫にぬめった曲刀。
黒狼は静かに息を吐く。
「リューイ・リトル。ここは間違いなく君の知らない場所だ。そこにいるのは似ていても違う人たちだ。君は今、知らない場所に一人でいる。それは間違いない。この世界に君をわかっている存在はいない」
刃物を仕舞った黒狼はまっすぐにりゅういに視線を合わせる。
えっと、周囲で起こった暴力事象に少しは気に留めてくれ?
「いるとしたならば、それはこの世界のリューイだろう」
「……限らないじゃん」
「そうだな。よくわからない奴だったから」
しみじみ頷く黒狼。俺や倒れたふりをしているガレトもつい頷く。
リョーイですら苦笑している。
「リトルのことは知らないけれど、でも、これからなら知っていける。理解しようとすることはできる。だから、こわいことは怖いと教えてほしいし、イヤだと思うことは伝えてほしい」
長科白を語る黒狼。
ゆっくりと真剣な眼差しを微笑みに変化させる。
「リトルの世界やリトルの好きなコトを教えて欲しいしね」
手が伸びてりゅういの頭を撫でている黒狼。
本気で子守り上手いわ。
「わかんねぇ」
りゅういはそう呟くとそのままリョーイに抱き付く。
誰にも顔を見られたくないとばかりに。
◆ ◇ ◆
黒狼が厚めのカットグラスをゆする。
半月の氷が青い液体の中で揺れている。
「魂・存在の近似値との交換転移か」
黒狼の言葉に俺は頷く。
基本体力系武道派のクセに雑学的学術面にも知識の幅をもつ。それが黒狼。
クリアブラックのバーカウンターでグラスを傾けつつ寛ぐ姿はとても絵になる。
まぁ、寮の自室のホームバーだけどな。
「それはキツイかもなぁ」
遠い眼差し。
「キツイかな?」
「きついだろ? 知らない場所に放り出されてるんだ。ショックだろう。そこで知ってた顔にあう。安心したら、少しづつ違いが見えてきて知らない場所に独りだと再確認させられるんだ。落とされて。救われて。落とされる。いっそ近い要素が何も見えないほうが割り切ることができる」
青い液体を煽る黒狼。
「リョーイの差に一番戸惑ってるように見えたしね」
リョーイの差。
「りゅういの世界の話、確かに聞きたいなぁ」
異世界の話の伝聞書は確かに幾つか記録はあるが基本、閲覧に許可申請と資格が必要だ。
『神』と敵対した『魔物』が『月』という名の『異世界』から訪れたとされているために規制がかかるのだ。
「あまり魔法のない世界らしいですわ」
黒髪がぬらりと揺れる。
白く細い指がグラスに差し込まれたマドラーをくるりと回す。
ミズノリエはそう呟くとマドラーをグラスから引き抜き、口に含む。
ぱきゅんっと軽い音が聞こえる。
それなりの硬度を誇る角猪の骨は彼女にとって小魚の骨ほどの硬度もないらしい。