第八話 覚悟を決めて
派手な見た目とは裏腹に、抑揚のない声と乏しい表情。
それが乃愛の印象だ。
それが自分の腕の中にいる時は、艶かしい表情を見せる。
潤んだ瞳、甘い吐息と少し甲高い可愛らしいよがり声。
そして乃愛自身も、その体を使って絢音に奉仕する。
その健気な姿に、絢音は支配欲を滾らせる。
乃愛の存在は劣情を激しく刺激する。
しかしどれだけ劣情を燃やし、快楽を得ても、絢音の心は底の抜けた入れ物のように満たされることはない。
虚しさが募り、不安が募り、悲しみが募る。
心が揺れ、削れ、痛みを伴い始める。
乃愛が忘我の中でその身を震わせ、何度目かの登仙の域に達する。
その艶やかな姿を、絢音は満たされぬ心に焼き付けるように見つめた。
乃愛の呼吸が徐々に整い、閉じられていた瞳がゆっくりと開いていく。
「……あーや。大丈夫?」
「……何が?」
乃愛の言葉の意味が分からなくて、尋ね返す。
すると乃愛の右手がそっと絢音の頬に添えられた。
「泣いてるから」
気がつけば、乃愛の乳房に、絢音の目から溢れた雫が数滴落ちた。
その刹那、絢音の胸の中にしまい込んでいたぐちゃぐちゃとしたものが一気に溢れてきた。
「乃愛……」
絢音は乃愛を思いっきり抱き締めた。
愛しいミカは絢音を捨て、自分が生き残るために男に抱かれることを選んだ。
愛しく思っていた人が遠い存在になっていく悲しみ。
大事に思っていたものが雑に扱われ、奪われた悔しさ。
そして今度は自分がそれを試されるという不安。
それらが絢音の心を一気に押し潰した。
「怖い……」
みんなのため。
メジャーデビューを目指していたみんなの夢を叶えるため。
そう思って自分の本音を無理矢理抑え込んでいた。
なのに……この期に及んで怖くなった。
「……何が怖いの?」
乃愛の手が、絢音の頭を優しく撫でた。
その声はいつもの無感情なものではなかった。
優しく、恐怖に固まった絢音の心をゆっくりと温める声だった。
絢音は泣いた。子供のように声をあげて泣いた。こんなに泣いたのは両親を失った時以来だろう。
一頻り泣いて、しゃくりあげながら、絢音は恥ずかしそうに笑った。
乃愛は優しく絢音の唇に口付けると、もう一度聞いた。
「何が怖いの?」
正直何が怖いのか、絢音にもすぐには分からなかった。
ミカのことはどうしようもない。もう彼女は絢音のものではなくなっているし、ミカ自身男の玩具になることを選んだ。かつての恋人がそのような道を選んだことは確かに悲しいが、怖いとはまた違う。
男に抱かれることは不安ではあるが、恐怖とは少し異なるような気がした。
もう一度自分の心を整理する。
何が怖いのか。
その時、絢音の心に抜けない棘が一つ残っていることに気付く。
乃愛が放った言葉。
――気持ち悪い。それで成功しようという根性が。
それを聞いて、急に乃愛が離れていってしまうのではないかという気持ちに襲われた。
乃愛を抱くことで、確かにこの腕の中にいることを実感したかった。
乃愛は急かす訳でもなく、ただ優しく抱き締めて、絢音の考えがまとまるのを待っていてくれている。
絢音はようやく口を開いた。
「……乃愛に嫌われることが」
「……それが怖いの?」
絢音はこくりと頷いた。
「私に嫌われるようなこと、した?」
「これから、するの……」
「何をするの?」
「言えない……」
乃愛はそれ以上追求しなかった。しかし既に気づいているようだった。
「いつ、どこで会うの?」
「来週水曜日。梅田」
「私も行く」
「だめ……。乃愛にまで嫌な思いさせたくない」
「大丈夫。あーやに全ては背負わせない」
絢音は首を横に振った。
わがままかもしれないが、乃愛にはこのままでいて欲しい。
絢音は「大丈夫だから」と囁いて、乃愛にもう一度口付けた。
翌週水曜日当日、朝の十時。
絢音は乃愛にも、もちろんセイラやチャコにも告げず、一人梅田に向かった。
乃愛に情報を漏らせば、きっとついて来る。
この枕営業は自分一人で背負うべきなのだ。
目指すは高木に指定された梅田の北の方、茶屋町にあるラグジュアリーホテル。
佐々木ほどの人物になればラブホテルやビジネスホテル程度では満足しないのだろう。
(これもみんなのためだから……)
乃愛と肌を重ねたのは二回。どちらも暗い気持ちで抱いた。
ミカのことや佐々木のことで、心が傷ついたから、乃愛を利用して治そうとしたに過ぎない。
(もっとちゃんと楽しい気持ちで抱き合いたかったな……)
それでもあれだけ乃愛を抱けたのは心地よい思い出になろうとしている。
(まぁ……いいか)
乃愛はもう体を開くことはないだろう。枕営業するような気持ち悪い女を忌避するに違いない。
それでも構わない。
覚悟は出来た。
それでみんながメジャーデビューの切符を手に入れるのなら、喜んで男に抱かれてやる。




