第六話 誘い
「つまり……枕しろと?」
この業界にその噂はちょくちょく聞く。しかしまさかここでそんなダイレクトに提案されるとは思っていなかった。
「しろって訳じゃないよ。そんな世間で言うように、しなきゃ生き残れないとかそういう訳じゃない。しなくてもいい。でもね。何度も言うけど、この業界はインパクトが大事なんだ。めちゃくちゃ実力あるバンドでも、インパクト一つで負けることもある世界なんだ。佐々木さんに抱かれたからってインパクトを残せるとは限らないけど、可能性は高まるね」
絢音は思わずミカの顔を見た。ミカは妖艶に微笑んでいる。
そう言えばミカも実践中と言っていた。
「絢音ちゃん。君は女の子しか愛せないらしいね」
「どこでそれを……?」
「ミカちゃんに聞いてるからね」
絢音は酔いが少しずつ醒めてきたような気がした。
「だったら余計に佐々木さんに抱かれておいた方がいいと思うよ」
すると今度はミカが口を開いた。
「あーや。男の人を知れば、また違う世界が広がるよ」
「どういうこと……?」
「この業界、体の付き合いは普通にあるもん。女だけだったらレズの狭い世界から出られないじゃない? でも男を知れば単純に男の分だけ世界が広がる。この業界で生き残りやすくなるの」
ミカはそっと絢音の太ももに手を置いた。
「あーやも佐々木さんに抱かれたら分かるよ」
「……抱かれたの?」
「佐々木さんにも抱かれたし、高木さんにも。とっても気持ちよくて、女しか知らなかった自分がバカみたいに思えた」
絢音は頭を殴られたような衝撃を覚えた。
あんなに愛したミカは……もう男の味を覚え、それを受け入れているのだ。それどころか楽しんでさえいる。
隣に座っている女が、絢音には得体の知れない生き物のように思えた。
「そんな……」
「私もこの業界で生き残りたいからね。プロになるってそういうこと。だからあーやもプロになるなら、佐々木さんに抱かれた方がいいと思うよ。それに、結構ハマると思う。ほんとに気持ちいいから」
絢音は混乱する頭の中を必死に整理しようとした。
元恋人が、佐々木や高木に弄ばれ、玩具にされ、あまつさえそれを喜んでいる……。
悲哀と嫉妬が絢音の心の中に広がっていった。
しかし、と思う。
ミカはそれを「生き残る術」と言った。
ミカは必死にこの業界で生き抜こうとしているのだ。
そう、つまり……この業界に入って生きていくための通過儀礼として、男に抱かれる必要があるということなのだ。
「あーや。無理ならメジャーデビューを諦めるっていう道もあるんだから、難しく考えなくていいよ」
ふとみんなの顔が頭の中を過ぎる。メジャーデビューを夢見ているみんなの思いを踏み躙りたくはなかった。
「……分かった。抱かれたらいいんでしょ」
「決心ついた?」
「ついてはないけど……みんなのことを考えたら……頑張るしかないじゃん……」
減るものじゃない。ただ男との経験が一つ増えるだけ。そう思えばいい。
すると高木がにやりと意味深に笑った。
「佐々木さん、来週の水曜日休みみたいだけどね」
「……そうなんですね」
「俺から佐々木さんに話通しておくよ。なあに、難しくないよ。待ち合わせてホテルに行くだけで良いようにしておくよ。明日までに時間と場所は決めておくね」
その週の末、Oops TriCKの四人が顔を揃えた。
スタジオ練習後、ファミレスに集まって絢音はこの前の佐々木との会合結果を語った。
枕営業の件は報告しなかった。
「百曲も作れる?」
「作らないとだめなんだよ」
そう言う絢音の歯切れは悪い。
このバンドの持ち曲は二十三曲。つまりあと八十曲近く、作らないといけないのである。作詞作曲担当の絢音には荷が重く思えた。
絢音が枕営業に心が傾いたのはこの数字も影響している。一曲作るのに必要な時間はものにもよるが数日かかるのが普通だ。思いつかない時は数週間かかることもある。具体的な期間は言われなかったが、どんなに時間がかかっても半年以内には百曲揃えた方が良さそうだった。そう考えると約二日で一曲のペースで作らねばならないのである。そんな自信は彼女にはなかった。
「やっぱプロの道って厳しいね」
セイラは溜息をついた。現実をつきつけられたような気分なのだろう。チャコはヨーグルトパフェをつつきながら絢音の顔を見た。
「言われたのはそれだけかにゃ?」
彼女の言葉に他意はないだろうが、それでも一瞬どきりとしてしまう。
「べ、別に何も……」
「ふぅん?」
「何か変?」
チャコはいちごのペーストをスプーンに乗せてぱくりと口の中に放り込んだ。
「んーん。そんな腕力任せな話だけなのかにゃって思っただけにゃ」
「まぁ、それ以外は雑談しかしなかったよ。雑談しか……」
納得したのか、してなくてもこれ以上詰める気がないのか、チャコはパフェの方に意識を戻した。何とか躱したと思ったのも束の間、今度はセイラが笑いながら言った。
「枕営業とかあるのかと思ったけど、ドラマの見過ぎかな」
セイラの言葉は何気ないものであったが。絢音の心を深く抉った。
「はは……そんな訳……」
絢音は笑って見せたが、顔はかなり引き攣っていた。




