第一話 バニラの香り
ほんの僅かな肌寒さを感じ、涼風絢音は目を覚ました。
セミダブルのベッド。甘いバニラの残り香だけがさっきまで隣にもう一人いたことを示していた。
絢音は欠伸をしながら起き上がり、バニラの香りの主を探した。
2LDKのマンションの一室。探し出すのに苦労はいらない。
背中まである長い髪の左半分をアクアブルー、右半分をショッキングピンクに染め上げている女子が台所にいた。
「乃愛、おはよー」
「おはよう」
乃愛は絢音の方をちらりとも見ず、お湯を沸かしながら抑揚のない声で挨拶を返す。
絢音は脱ぎ捨てられたブラジャーとショーツを拾い上げた。いくら暖かくなり始めた春とは言え、裸でいるのは少し無謀だ。
豊満な胸をH65のブラジャーに納めながら、絢音は今までのことを思い返していた。
その記憶は絢音が率いるラウドメタルのガールズバンド、Oops TriCKに乃愛が加入した半年前まで遡る。
ベースのミカが突然脱退した。理由は二つあった。一つはそもそも彼女のやりたい音楽がラウドメタルではなかったということ、そしてもう一つはそのやりたい音楽を奏でるバンドLuck Luckに移籍を打診されたことだ。
ミカと絢音は口論になった。
さらに話をややこしくしたのは、ミカと絢音が恋人同士だったことだろう。
絢音はミカのことを溺愛していた。だから尚更白熱した。
結局喧嘩別れとなり、ミカはバンドを脱退した。同時に絢音との関係も解消となった。 モチベーションを著しく失った絢音は憔悴し切ってしまった。
ボーカルのセイラとドラムのチャコは何度も絢音を励ましたがダメだった。このまま解散となりそうな雰囲気すら漂った。
それを救ったのが乃愛だった。
ミカが抜けた二週間後、モチベーションが回復しない絢音は地元の大阪阿倍野橋で買い物をしていた。阿部野橋には駅とショッピングモール同士を繋ぐ大きな陸橋があり、買い物客達が往来出来るようになっている。その陸橋の上で路上ライブの如くベースを鳴らしている乃愛を見つけた。お世辞にも上手いとは言い難く、足を止める人もいなかったが、一心不乱に弾いている姿が印象的で、似てもいないのに絢音は思わずミカの幻影を重ねた。
その当時、乃愛はベース歴五か月ほどで、ついこの前までパンクバンドに所属していた。しかし色々あって脱退し、ソロになったところだった。上手い訳でもないし、音楽の方向性が合わない可能性もあったが、ミカの幻影を重ねてしまっていた絢音は思わず声をかけた。
「一緒にバンドやらない?」
そんな突然の申し出だったのに、乃愛は二つ返事で加入してくれた。
セイラとチャコは素直に喜んだ。新しいベーシストが見つかったことはもちろんだが、何より絢音がモチベーションを僅かでも取り戻したことが嬉しかったようだった。
それから半年間は乃愛の練習に費やした。
乃愛はいわゆるダウナー系で、声に抑揚もないし、笑顔も少ない。どちらかといえば取っ付きにくい印象の女子だった。
しかし音楽に対してはストイックで練習は欠かさないし、メンバーの指摘にも素直に聞く耳を持っていた。だから思っている以上に早くバンドには馴染んだ。
そんな乃愛を見ている内に、絢音も徐々に前を向き始めた。
絢音が立ち直っていったのは、乃愛の存在に依ると言っても過言ではない。だがそれは言い換えれば、ミカの居場所が乃愛によって無くなったことの証左でもあった。ミカに未練が残っている絢音にとって、それはそれで寂しいものがあった。
そんなことを経て、昨日はようやく久しぶりのライブをすることが出来た。
乃愛のベーシストとしての出来はまあまあで、ミカのようなテクニックはなかったが、激しいヘッドバンギングを交えてプレシジョンベースの重厚な音を奏でる彼女の姿は、華やかだった前任とは違った強烈なキャラクターを備えていた。
ライブが終わった後はミカの居場所が完全になくなってしまったという喪失感が絢音を襲った。
だから乃愛を傷つけたくなった。
ミカに取って代わった乃愛への歪んだ執着が絢音を突き動かした。
乃愛の左手首には無数のリスカ痕がついている。元々自分を大切にするタイプではないことを見越して口説き、犯した。乃愛は一瞬拒んだが、それもほんの一瞬だけであって、すぐに体を開いた。
しかし快楽に身を任せれば任せるほど、絢音の中では虚しさが渦巻いた。それを消そうとしてさらに乃愛を貪った。完全に悪循環。結局心が満たされることはなく、疲れと虚しさだけが残った。
こうして今朝に至るのである。
こんにちは、結愛りりすです。
今回のお話は、別名義でR18に書いていた漫画用シナリオを元に、全年齢向けにして、さらにお話を変えて再構築したものです。
百合ものです。
連載形式をとっていますが、2万字弱の中編小説です。
よろしくお願いします。




