【その20:まおうソフトタッチ(5)】
ルラにせっつかれ、我が私室に戻れば、ぬこはソファの上でぐっすりすやすやと寝ていた。
我は極力物音を立てぬように、ぬこのトイレから灰を小瓶に移す。他にも灰はあるが、今後ぬこのトイレに入替が必要になった時に使う。すでに使用済みの方でよかろう。
それでもぬこの排泄物は見当たらないし、匂いもしないので便利である。これが“浄化の力”というやつであろうか。我が触ると少しピリピリするし。
「うむ。こんなもので良かろう」
適当に小瓶に詰めてルラの部屋へと戻れば、転移魔法陣の前でルラが待ち構えていた。
「それですね? 見せていただいても?」
「うむ。好きにせよ」
小瓶から僅かに灰を取り出し、手のひらに乗せて何かを確認するルラ。
「……やはりこれ、聖灰に間違いありません」
「それが一体なんだというのだ?」
「聖灰は教会からすれば特級アイテムの一つです。それこそ、然るべき人間が聖灰を混ぜ込んで武器を作れば、聖なる力が付与できるのです」
「それは我にとっては迷惑な話であるな」
「……そうかもしれませんが、ともかく、聖灰は非常に貴重なもの。大金を積んでも欲しいほどに」
「なるほど。話が読めてきたのである。それを教会に売って金を作るというのだな」
「はい。これだけの量があれば、エリナさんのお店を買い取るくらいは容易いと思います。早速私は教会本部にこれを持って行きます。マオさんはエリナさんのお店で待っていてください」
「うむ」
そう言い残し、駆け出そうとして一度ぴたりと止まったルラがこちらを振り向く。
「……もし相手が絡んできても、絶対に殺してはダメですよ? エリナさんのお店が大変なことになりますよ?」
「しつこい。分かっておる。早くゆけ」
「はい。では」
再び駆け出そうとして、また立ち止まって振り返ったルラ。今度はなんだというのか。ルラは僅かに複雑そうな表情を見せる。
「……まさかとは思いますが、この聖灰、ぬこさんの“使用済み”ではないのですよね?」
「……無論である」
やや疑いの目を向けながら、それでも言及せずに去っていったルラ。
まあ、あれだ。魔王もたまには勘違いすることもあるのだ。
◇◇◇
エリナの店に戻ってみれば、ちょうど通りの向こうから見知った顔が。
「いやがった! あいつだ!」
元勇者(仮)ご一行である。見たところ十人ほどか。
店に入る前に囲まれる我。見ればジャバナンスもいるので都合が良い。
ジャバナンス以外はしっかりと武装しており、通行人から悲鳴が上がる。騒ぎを聞きつけ、店からエリナとソーイットも飛び出してきた。
「さっきはよくもやってくれたなぁ」
我を囲んで余裕を見せる元勇者(仮)。
「やめてください!」
エリナが訴えるのを我が手で制止すると、元勇者(仮)が面白くなさそうな顔をした。
「なんだ。女にいい格好したいのか? だが、俺たちは容赦しねえぞ? 謝るなら今のうちだ。そうすれば、この勇者様の奴隷としてこき使ってやるよ」
ほほう。この魔王に向かって『奴隷にする』と宣った者は、魔族も含めて始めてだ。新鮮な響きである。
「恐怖のあまり、声も出ねえのか?」
元勇者(仮)の取り巻きが近づいて覗き込んでくる。いかにも弱そうだ。ここで我が氷の息を吐けば、即座に氷の柱が出来上がりだな。
だか凍らせたら死ぬか? 存外、人間は脆いからの。
「おい、なんとか言えっていってんだ!」
胸ぐらを掴もうとするので、軽く威圧してやると、驚いて尻餅をつく。
「おい! 何やってんだ!」
元勇者(仮)に叱責されて、慌てて立ち上がった取り巻きはいよいよ武器を構えた。怒りよりも本能的な恐怖に見える。元勇者(仮)よりも多少、生存本能が機能しているようだ。
まあちょうどいい、ここのところ研究していたアレを試すよい機会か。
でもあれ、あまりやりたくないのだがなぁ。あとで背中が痒くなるので。
がだまあ、仕方ない。
覚悟を決めて呪文を詠唱すると、我の体がほのかに輝き始めたのである。
◇◇◇
教会で聖灰をお金に替えた私は、急いでエリナさんのお店に向かっていた。
突然私が貴重アイテムを持ち込んだので、色々と追求されたけれど、『勇者時代に手に入れました』で無理やり押し切った。多分、このあと偉い方から呼び出されるだろうけれど仕方がない。
エリナさんのお店の前には人だかりができている。嫌な予感がよぎった。まさか、魔王が手を出してしまったのだろうか。
魔王が人を殺すのに躊躇がないのは当たり前だ。私のパーティも、私以外全滅したのだから。尤も、そのことに対しては少し複雑な感情があるけれど。
元々私は飛び抜けた聖なる力を持っていたことで、急遽聖女に指名され、訳もわからぬままに勇者としてパーティに放り込まれたのだ。
パーティの仲間とはそれが初対面で、しかも転移魔法で魔王城まで直行したので、仲間と苦難を乗り越えるような経験もしていない。
短い付き合いとはいえ、もちろん仲間が殺されたことに対する悔しさや、怒りはある。でも、魔王が言っていた『我を殺すために勇者を送り込んできた種族』と言葉が棘のように刺さっている。
もしも魔王の言い分が真実ならば、私たちは勝手に魔王の城へ侵入し、魔王の命を狙った暴漢なのだ。逆の立場ならば、たまったものではない。
仲間たちの死を魔王にぶつけるのではなく、助けられなかった私自身の罪として考えるべきだ。私が私に怒り、向き合うしかないのだろうと思った。
そうんなことを考えていたらいよいよ魔王たちが目前まで迫ってくる。すぐそばにエリナさんが、私に気づいて声こちらを見た。
「エリナさん!」
「ルラ様!」
「一体何が……」
エリナさんは私の質問には答えず、ただ、視線を魔王に移す。
誘われるように私もそちらへ視線を向ければ、
「これは……」
立ちすくむ魔王と、肩で息をしながら座り込む武器を持った者達。私の声に、魔王が何事もないかのように振り向く。
「お、ルラよ。戻ったか」
そう口にする魔王の身体が淡く光っていた。なにかの魔法だ。
「遅かったであるな。我はそろそろ茶番に飽きたぞ」
呑気そうな魔王に対して、言葉にならない奇声を発しながら、自称勇者が剣を振り下ろす。
でも、その刃は淡い光に弾き飛ばされ、地面勢いで地面に転がった。
力なくうなだれる様子を見た魔王は、やれやれとばかりに相手を挑発。
「おい、こんなものか? 流石にもう少しできるのではないか、勇者よ? ほれ、あと100回は打ち込んで来ぬか。運が良ければ切り傷くらいはつけられるかもしれんぞ」
言いながら魔王が自称勇者に一歩近づくと、自称勇者はそのままの姿勢で首をふり、後退りを始めた。
完全に心が折れてしまったようで、その目はひどく動揺しており、もはや泣きそうにすら見える。
自称勇者の視線は、私にとって心当たりのあるものだ。魔王を前にして、何の攻撃も効かなかったあの時の絶望感、それに近いものを感じる。
おそらく魔王は、彼らに一方的に攻撃させて、それを眺めて楽しんでいたのだ。何をしても通じず、薄ら笑いを送られては、自称勇者たちも気味が悪かったことだろう。
「ほれ、もう少し気合いをみせぬか」
完全に面白がっている魔王に、自称勇者の取り巻きが、ついに命乞いを始めた。魔王は何もしていないのにも関わらず、だ。
一人が口にすると、あとは連鎖的に弱音を吐き始める。中には泣き出した者もいる。
多少可哀想ではあるけれど、魔王を前にして殺されないだけましだ。どれだけ心に傷を負ったところで自業自得なので、私には関係ない。
優先すべき問題は他にあった。
魔王の使っている魔法のこと。
多分、あの魔法を私は知っている。
魔力ではない。教会でもよほどの使い手でないと使用できない聖なる力。
私の知る中でも最上級の防御魔法に違いなかった。




