30.悪いこと
昨日はよく眠ることが出来なかった。
目を瞑ると蘇る告白現場。涙を浮かべる女の子と、敵意の視線を向ける取り巻きの女の子達。
彼女達の反応を見たら、俺のした行いが間違いだったことは明白。
しかし一体、昨日の俺の対応は何が間違っていたのだろう?
人生経験の乏しい俺では答えを導くことが出来なくて、悶々とした一夜となってしまった。
「んあっ」
翌朝、白石さんのモーニングコールで俺は目を覚ました。
「おはよう」
『おはようございます、槇原君! 今日もすこぶるいい天気ですねっ!』
「そうだね……」
スマホから聞こえてくる白石さんの声はとても明るい。
俺の声とは、対照的だった。
『……あの。槇原君?』
「何?」
『……いいえ、なんでもないです。昨晩は夜更かしでもしたんですか?』
「え? ああ、まあ……」
『そうですか。なんだか声がすごく眠そうだったので』
「……ごめんね」
『いいえ、夜更かしをしちゃいけないとルールを定めたことはありませんので』
……傷心の心に、恋人の優しい言葉は、とても染み渡る。
『……あ』
「ん?」
『やっぱり今の発言……なしに出来ませんか?』
「出来ないよ。だから今日の朝、夜更かしを理由に違反切符を切るのはやめてね」
『どうしてあたしが夜更かしを理由に違反切符を切ろうとしたことがわかったんですか!?』
「そりゃあ散々、君の狡猾さには振り回されているからね。嫌でもわかるさ」
『……むー』
白石さんの声は不満げだった。
『いいんですか。槇原君』
「何が?」
『君があたしに散々振り回されているからあたしの言いたいことがわかったように、あたしだって君を散々振り回しているから気付くことだってあるんです』
……一体、白石さんは何に気付いたんだ?
『槇原君、ちゃんとあたしとの約束、守っていますか?』
白石さんとの約束。
他の女の子に目移りするな、という約束……。
「……勿論さ」
『本当ですか?』
「本当だよ」
『……なら』
なら、どうして夜更かしをしたのか。
白石さんの言いたいところは、きっとそんなことだろう。
わからないのは、どうして白石さんが口をつぐんだのかだ。
白石さんなら、俺の弱みを握る口実になるこんな話題を……逃すはずがないのに。
……わかってる。
どうして彼女が口をつぐんだのか。
どうして彼女が……黙ったのか。
きっと彼女は、俺に直接、何があったのかを言ってほしいのだろう。
「昨日、後輩の女子に告白されたんだ」
『……そう、ですか』
「うん」
『……なんて返事をしたんですか?』
白石さんの声は不自然に上擦っていた。動揺していることは嫌でもわかった。
「断ったよ」
『……』
「俺には好きな人がいるから」
『……ありがとうございます』
「でも、その結果で悩んでしまったんだ」
『……断ったことを悔いているんですか?』
「そうじゃない」
断ったことは……昨日、今日……そしてこれからも、悔いることは絶対にありえない。
「振り方の問題だ」
『……振り方?』
「泣かせてしまったんだ。告白してくれた女子を。そして、怒らせてしまったんだ。取り巻きの女子達を」
『そうでしたか……』
「だから、彼女を悲しませず、穏便に振る方法はなかったのかと考えたら……中々寝付けなくてね」
目を瞑れば、昨日の告白現場のことを鮮明に思い出させる。
彼女の発言も、俺の発した言葉も、一言一句違わず思い出せる。
……だから、ずっと考えているんだ。
別の言い方があったのではないか、と。
彼女を泣かせずに済む方法があったのではないか、と。
『……槇原君』
「何?」
『あたし、怒ってます』
「ごめん……」
『違います。槇原君にじゃないです。告白した女の子にですっ!』
白石さんの声は、今日一番、熱量がこもっていた。
『好きな人に告白したい。その意思は立派です。告白した勇気も賞賛です。でも、どうしてわざわざ自分の友達を告白現場に連れて行くんですか!』
「……」
『好きな人に告白をしたいのなら、一対一で正々堂々と告白するべきです! 集団で囲って告白を断りづらい空気を作るなんて卑怯です! 最低です!』
「……白石さん」
君の言いたいことは、正直わかる。
……わかるけど、日頃から卑怯な行為に手を染める君が、正々堂々とか言うの、やめような?
『槇原君は腹が立たなかったんですか。怒りたくならなかったんですか』
「ならなかったよ」
『むー! どうして槇原君はこうっ、達観してるんですかっ! いつもいつもっ!』
……俺が達観?
そんなことしているつもりは全然ないんだけどなぁ。
……ただ、昨日の彼女を責める気にならなかった理由は明確に説明できる。
「……告白直前に不安でいっぱいになる気持ちも、臆病風に吹かれてしまう気持ちも、誰かを頼りたくなる気持ちもわかるからね、俺は」
……脳裏を過った記憶がある。
だけどこれは、特に白石さん相手には語りたくはなかった。
「それに、自分の想いを成就させるため、使えるものは全て使おうという発想は悪いことじゃないよ。それだけ、何が何でも成功させたかったってことでしょ?」
……白石さんだって、その辺の気持ちはよくわかるはずなんだ。
だって彼女はいつだって、周囲を無理やりに動かしてでも、自分の望みを叶えようとするたちの女の子だから。
「考えれば考える程、わかってしまうんだ。あの子があの時、泣いた理由も。取り巻きの子達が俺を睨んだ理由も」
『……』
「だから、それだけの想いをこめた告白だと言うことがわかっていたから、申し訳なくなったんだ」
『……槇原君』
「何?」
『穏便に済ませる必要なんて、ないんじゃないですか?』
白石さんの言葉は……考えたこともない発想だった。
「でも……彼女、悲しんでいた」
『どうして悲しませたらいけないんですか?』
「え?」
『振った相手を悲しませちゃいけない。振った相手の取り巻きの女の子達を怒らせたらいけない。要は槇原君の言っていることはこうです。でも、それは間違っています。振った相手を悲しませちゃいけない道理はない。振った相手の取り巻きの女の子達を怒らせたらいけないという道理もない。違いますか?』
……俺は言葉に困った。
『告白って……そんなに軽い行いなんですか?』
「え?」
『告白すれば、成功することもあれば失敗することもある。当然のことです。でも、それは告白する時点でわかっているはずです。失敗した時、傷つくことはわかっていたはずです。……でも、その子は槇原君に告白をした。傷つくかもしれない覚悟を決めて告白したんです』
「……」
『むしろあたしからしたら、槇原君の言う悲しませない振り方の方が誠実さに欠けていると思います。好きという告白の返事は、俺も好き、か、俺は嫌いのどちらかです。穏便に済ませる返事なんてあるはずがないじゃないですか』
いつになく、白石さんは饒舌だった。
『槇原君、ハッキリ言います』
「……何?」
『あなたの選択は正しいです!』
「……」
『あなたの選択は、彼女の告白に対して、最も誠実な返答です』
「……そうかな」
『そうです。だから気に病む必要なんてないんです。悩む必要なんてないんです!』
白石さんの発言は、百パーセント納得出来るかと言ったらそうではない。
でも、確かにそうだ、と納得出来る部分もある。
……俺の返事が正解だったのかどうなのか。
もっと良い振り方があったのかどうなのか。
結局、答えはわからない。
でも……思い出したこともあった。
……それは、球技大会の時に気付いたこと。
あの時までの俺は、周囲に自分のことをわかってもらう努力を惜しんでいたことを……思い出したのだ。
告白の返事で穏便に済ますという行為は、まさしくあの時の心情心理と一緒だったのではないだろうか。
嫌われることが怖いから。
疎まれることが怖いから。
俺はまた咄嗟に、自らの意思を相手に伝えることを恐れたのではないだろうか……?
……だとしたら、白石さんの言う通りだ。
傷つく覚悟を決めて。
嫌われる覚悟を決めて。
……あの時、キチンとあの子を振ることが出来て、少しは俺も成長出来たということなのかもしれない。
「ありがとう、白石さん」
『……少しは気持ちも晴れましたか?』
「うん。おかげでね」
俺は苦笑した。




