第四十二話
・高橋蓮視点
誰かの話声で目を覚ます。テレビをつけたまま寝てしまっていたらしい。
ひどい二日酔いだ。頭が痛い。気持ち悪い。眠気が取れてない。空き缶と吸い殻で満ちた部屋を歩く。
「寒…」
さすがにまだ朝は寒い。キッチンの換気扇を回し、煙草に火をつける。
「ふー」
今日も仕事か…。まだ木曜日…。木曜日が一番憂鬱な人が多いんじゃないだろうか。僕は一番嫌いな曜日だ。
シャワーを浴びて、体を起こす。目が覚めたところで家を出る。早く起きすぎて、まだ出勤時間まで時間がある。いつも暇なときに行くカフェがある。そこで朝食を摂る。
「ご注文はお決まりですか?」
「ええと…モーニングセットで。」
「お飲み物は?」
「コーヒーお願いします。」
「かしこまりました。」
スマホで時間を確認する。まだまだ、出勤時間には遠い。テレビがついていたので視線を向ける。
ドラマの再放送だろうか。それとも、どこかのサブスクが流れているのだろうか。その演技に見入ってしまう。
「お待たせしました。こちら、モーニングセットになります。」
音もなく近づいてきた店員に反応できなかった。
「ありがとうございます。」
一口目を食べる。お腹が空いているようで、すぐになくなってしまう。飲み物も空だ。
店員さんを呼ぶ。
「すみません。コーヒーのおかわりを。」
「かしこまりました。以上ですか?」
「やっぱり、ココアを…」
「珍しいですね。」
「そうですか?」
「いつもコーヒーなので。」
ふと顔をあげてみる。何か特別な理由があったわけじゃない。ただ、なんとなく気になった。店員さんのことが。
「あ!初めて目が合いましたね。」
初めてちゃんと会話する気がする。店員さんは、車椅子に座った黒髪の女性だった。
「そう…ですかね。」
「そうですよ。いつも、下を向いていましたから。」
「よく見ていますね。」
「覚えていませんか?」
「何を?」
「子供ころ演技の練習で会っているんですよ。」
「え?!」
「覚えていないですよね…」
「い、いやぁ…」
「良いんです。一方的に知っていただけなんですから。」
「す、すみません。なんで覚えていてくれたんですか?」
「演技が飛びぬけて上手でしたから。子供ながらに覚えていますよ。」
「そ、そうですか…。」
「今はやってらっしゃらないんですね。」
「え、ええ。自分には才能がないので。」
顔に笑顔を張り付ける。自分を隠すための武器。自分を哀れに思われない武器。自分を慰める武器。これこそが僕の欠点だ。
「もったいないですね。あんなにかっこよかったのに。」
笑顔が顔から消える。真顔と言うより、泣きそうな感覚がある。
「僕には、自分の道に進むだけの勇気がなかったんだ…。だって、僕を一番応援しているはずの自分自身が否定してくるんだから…。しょうがないだろ…。」
「そうですか?あなたを笑う人はいないと思いますけどね。」
いつか先生に言われたことを思い出す。「後悔する前に連絡してこい。」どうして今まで忘れていたんだろうか。自分で自分の時間を止めていたんだろうか。否定してくる自分よりも、進みたい自分が大きいはずなのに。
「って、私はこの足では無理なんですけどね。」
「どうしたんです?」
「中学の部活で怪我をして、もう歩くことはできないそうです。」
「すみません。変なこと聞いて。」
「いえ、それでも自分がやりたかった母の手伝いができていますから。」
そうか。ここは彼女の母の店なのか。足が動かない彼女は前に進み。足が動く自分は後ろを振り返る。
電話を取り出す。
「お疲れ様です。高橋です。今日限りで仕事を辞めさせていただきます。」
有無を聞かずに電話を切る。続いて、電話をかける。
「朝早くに失礼します。高橋蓮と申します。お久しぶりです。覚えていらっしゃいますか?それはうれしいです。近々お時間いただけませんか?ほんとですか!?その日にご自宅にお伺いいたしますね。はい、よろしくお願いいたします。失礼します。」
「え?え?」
店員の女性は理解出来ていなかった。
「コーヒー…実は苦手なんですよね。」
「そうなんですか?」
「はい。いつも大人はコーヒーを飲むものだと固定概念を内面化していたんですよ。本当は、子供が好きで飲んでいるような甘ったるいココアの方が好きなんです。好みも自分の仕事も周りに合わせるのは辞めます。」
「ココア持ってきますね。」
「お願いします。」
止まっていた時間が動き出すような、止めていた時間が動き出したようなそんな朝。今日は髪でも切りに行こう。
「お待たせいたしました。」
「ありがとうございます。今日って時間ありますか?」
「時間ですか?」
「食事でもどうですか?」
「そうですね…この体なのであまり、遠くへはちょっと…」
「近場でいいところ知ってるんですよ。」
「じゃあ、お願いします。」
「分かりました。では夕方にでも迎えに来ますね。」
「新しい門出に良いもの食べるんですか?」
「いえ、口説いてるだけです。では、後ほど。」
ココアを飲み干し、店を出る。
元々パワハラが激しかった会社だから、別に名残惜しさは一切ない。残業時間なんて数えるのも恐ろしいくらいだった。お世話になった先輩もいないし、好きな後輩もいない。そんな会社。
下を見ずに、前だけを見て歩く。ここから先のやり直しは後ろへ針が進むことのない時計のように未来だけをこの目に映すことにしよう。




