2-25.浮かぶ死体
一方、エイナートの船にも一体だけ襲いかかったようだ。必死に手でボートを進めるエイナートに、サハギンが飛びかかった。
エイナートも素早く腕を引っ込めたが、手のひらを掴まれてしまった。悲鳴が聞こえる。
「ヨナ! あれ、助ける意味あるかしら!?」
「わからないけど! 鍵は手に入れたい」
「よーし! あんた! 水路の鍵を渡しなさーい!」
言うこと聞いてくれるとは思えない。けどアンリはとりあえずサハギンに向けて矢を放った。
しかし外してしまった。どっちかというとエイナートの方に当たってしまい、彼の体がボートの上に倒れ込む。
死んだかどうかは、こっちからは確認できない。
「あ。やっちゃった。ざまあみろ!」
「アンリ」
「わかってるわよ! 今度こそ食らえー!」
サハギンはボートに乗り込み、エイナートを襲おうとしている。矢は今度こそサハギンの脇腹に刺さった。
直後、悲鳴を上げたサハギンの前でエイナートは起き上がり、渾身の体当たりを食らわせる。生きてたか。
ボートからサハギンを追い出せたエイナートは、こちらの方を睨んだ。しかし関わりたくないとばかりにボートを動かして逃げていく。
「あー! 待ちなさい! 助けてあげたんだから! お礼とか言いなさいよ! あと鍵を寄越しなさい!」
ぷんぷんと怒ったアンリが呼びかけるけど、エイナートは止まらない。助けたけど、矢を当てたのも事実。
恨んでるだろうな。で、地下水路の鉄格子を閉める意味もわかってない。というか鍵の存在自体を忘れているかも。
遠ざかっていくボートを追いかけようとしたけれど、こちらのボートの周りにはサハギンの死体がいくつもあって、これらを押しのけなければ進めなかった。
やがてエイナートは岸につくと、ボートを捨てて陸に上がって一目散に逃げていく。逃げ足が早いな。
取り残されたボートを覗いてみた。女の死体がふたつと、武器がいくつか。鍵の束は残されてなかった。エイナートはちゃんと持って帰ったらしい。
「これ、どうしますか?」
「放っておくしかないと思うな。……あれも」
サハギンの死体は今も水路に浮かんでいる。海に続く緩やかな流れによって流されていた。
死体の乗ったボートもサハギンたちも、海に流されるとはいえ、朝までに沖合いまで行くわけではない。というか、港にある他の船なり桟橋の出っ張りなりに引っかかるだろう。
で、朝には見つかる。ポロソバル子爵家のボートや、息子のハーレムの女の死体だと、すぐに誰かが気づく。
だったら、もう少し見つかりやすくしていいだろう。
ボートを、陸地に立っている杭に縄をかけて流れないようにする。サハギンの死体がいくつか、そのボートに引っかかってその場に留まった。
朝には子爵家が何かやらかしたと誰もが気づくだろう。
「地下水路の方も見ますか?」
「一応ね」
鉄格子は開けっ放しになっていた。開けられるのは子爵だけで、開けたまま放置は管理者としての責任が問われる。鉄格子に触れて動かしてみると、かなりスムーズに動いた。
中に魔物がいる気配もない。いるはずなんだけど、ここからはわからなかった。
あのサハギンはどこから来たのだろうか。
今日の所はそれ以上の成果は得られそうにない。おじいさんの操舵で、ボートは桟橋に戻る。
彼に丁寧にお礼を言って、僕たちは幽霊屋敷に戻っていった。
――――
夜中に息子が戻ってきた。
エイリスは、エイナートがゴブリン退治を危なげなく完了させてくると思っていた。冒険者としてそれなりに経験を積んできたのは知っているからだ。
なのになぜか、彼は大怪我をしている。片方の頬を矢が貫き、話すことさえ満足にできない。
「はものがひるなんて! ひいてない! ひはほ! かふらら! あのほんな!」
何を言ってるんだ。
頬に開いた穴の両側に綿を当てて応急処置をされたエイナートは、声にならない声でわめくだけ。
何を言っているのかわからないのを辛抱して聞けば、彼はゴブリンの存在を端から信じていなかったらしい。
なぜだ。ゴブリンを殺しに行かせたはずなのに。
それどころか、ゴブリンには会えもせずに途中で出てきたサハギンに仲間を殺された。しかも普通の個体よりも腕力が強かったらしい。
そのサハギンに、エイリスは心当たりがあった。
まずいことになったな。
エイナートは役目を果たせず、それどころか鉄格子を閉めもせず、ボートと仲間の死体を放置して、歩いてここまで帰ってきたとのことだ。
現場からこの屋敷まではそれなりに距離がある。今から家の者を行かせてボートなどを人目につかないように隠そうとしても、間に合わない。早起きの市民が先に見つけてしまうだろう。
公爵家の食客が、地下水路にゴブリンがいると言ってきた。エイナートは信じなくてもエイリスはそれを事実だと知っているから、隠蔽したかった。
あの地下水路には、他にも秘密があるから。隠さなければならないから。
話が大きくなって、公に調査するとなんてことになると、まずい。子爵家の中で処理しなければならなかった。
故にエイナートを向かわせたんだ。夜のうちに密かに片付けてしまえば、それは事実ではなくなる。声が聞こえる幽霊屋敷? 聞こえなくなれば問題あるまい。
馬鹿な噂として、人々はすぐに忘れるだろうから。
しかしエイナートは失敗した。




