1-6.キア
見上げると女がひとり、太い木の枝に腰掛けていた。
木の色に似た、褐色の肌に短い髪。人懐っこい笑みをこちらに向けている。ティナより、少し年上に見えた。
「よっと!」
「うわっ」
女は枝から降りて、僕は反射的に目を逸らしてしまった。
自分の身長の数倍ある高さだというのに、一切の躊躇いがなかった。そして無事に着地。
彼女の全身像が見える。髪を整えるという発想がないのかボサボサ。背はティナより少し上。全体的に引き締まった体つきをしている。
そう。体つきがよくわかる格好をしていた。さっき目を逸らしたのは、飛び降りる危険行為からじゃない。あまりにも露出の高い格好の痴女を見るのが恥ずかしかったからだ。
一枚の布で胸の膨らみを隠して、もう一枚の布をスカートみたいに腰に巻いていた。腰にナイフなどの道具がいくつか下げられている。
スカートの下がどうなってるかは、実はさっき飛び降りた時にめくれるのが見えた。何も履いていなかった。
別にわざと見たわけじゃないからね。
それから、足に粗末な靴を履いていた。
彼女が身につけているものは、それで全部。
「ち、痴女です! 変態です! ヨナ様見ないで! 教育に悪いです!」
「ちょっ。ティナやめて。前が見えない」
「見てはいけません!」
ティナの手のひらで目を塞がれて、視界が真っ暗になる。
「あ、あなたは何者ですか!?」
「アタシはキア。この森に住んでる」
「森に!? ではもしかして、わたしたちに森で生きるための知恵を授けるために」
「ティナ。落ち着いて。僕が話すから」
「いけません! 痴女と話すなんて!」
「痴女じゃねえよ! これが動きやすいってだけだ!」
「ふたりとも落ち着いて」
ティナの手をどけて、改めてキアと名乗った女を見る。
森で暮らすなんてこと、本気で考えてるわけじゃない。それよりも確かめたいことがあった。
「キア。君はいつから、僕たちのことを見ていた?」
偶然ここで見つけたってわけじゃあるまい。
「そうだな。やたら高そうな鎧を着た男たちが、コソコソ森の中で隠れてたところからだ。なんか面白そうだって思ってな。あいつら、お前たちが来るのを今か今かって待ち続けて、アタシがこっそり見てるのに気づかないでやがんの。あはは!」
愉快そうに笑うキアに。こっちは笑い事じゃなかったんだけど。
ティナも同じ気持ちらしくて。
「ちょっと! 見てたなら! 助けてもらえなかったでしょうか!?」
「うん? そりゃ無理だろ。あんな男たちを相手にお前らを助けろって? きついって。どっちもアタシには利害がない。だったら見物して楽しむしかないだろ?」
「でも!」
「ティナ待って。キアの言う事は正しい」
そう窘めた。
城で教師から教わった。自分の置かれている立場を客観的に見ること。個人のことでも、国にも適応される。
利害関係は複雑なもので、単に困っているからと手を差し伸べても、それで別の誰かに目をつけられたら自分も被害や面倒を被ることもある。
眼の前の状況の決着がつくまで見守るというキアの方針は正しい。
「まあまあ。そう怒んなって。お前らは、なんか面白そうだ! 仲良くしておいた方がいい気がする! だから、ほらよ!」
ティナの抗議も意に介さず、キアは布製の袋をこっちに投げ渡した。
ずっしりと重い。中は金属で満たされているのだろうな。開ければ、金貨と銀貨が大量に入っている。
城を追い出される時に渡された路銀よりも、はるかに多い。
「あの死体、かなりの金を持ってた。殺したならお前らのもんだ。ああ、川に沈んでたあいつからは盗れなかったけどな。鎧を着た死体を引きずり上げて、濡れた死体から財布を剥ぎ取るのは無理だ!」
あっけらかんと言い切るキア。
「なっ!? ではあなたは! 遺体からお金を盗んで!?」
「おう。そう言っただろ?」
「犯罪です! ヨナ様! やっぱりこいつを見てはいけません! 教育に悪いです!」
再び目を塞ごうとするティナの手を避けて、尋ねる。
「ただで渡すはずがないよね?」
「まあな! アタシの取り分もある! お前らとアタシで、ちょうど半々だと思うぜ! まあ、アタシの方がちょっと多いかもしれないけどな! そっちはふたり、こっちはひとり。ちょっとぐらいアタシが多くても気にしないよな!」
「うん、いいよ」
この人は信頼できる。すくなくとも正直者だ。こっちに手の内を明かすくらいには。
「今更自己紹介は必要かな? 僕はヨナっていうんだけど」
「おう。紹介はされてないけど名前は知ってる、ヨナ様にティナだろ?」
「うん。じゃあ、もっと踏み込もうか。僕はこの国の王子なんだ」
「王子!?」
これにはキアも驚いたらしい。そりゃそうか。王子がこんな所にいるはずがない。
「なあ。王子って、めちゃくちゃ偉いよな?」
「あんまり自覚はないけどね」
実の家族からは虐げられていた。それに同調する家臣も同じ。でも、敬ってくる人もいた。
「それに、もう王族としては扱われないだろうさ」
「ふうん。でもお前は面白そうだ」
敬わなくてもいいと考えたらしいキアは、数度頷いた。それから。
「そらっ、落とし物だ」
今度は木の枝を投げてよこした。さっき四人の貴族の命を奪った枝だけど、血はまったくついていない。それが地面に転がる。
「大事なものなんだろ? これがあれば、お前は最強だ。金も稼げる」
「ヨナ様は野盗の真似はしません! 人を殺してお金を盗むなんて!」
「そんなことは言ってねえよ。そんなことしなくても、強い奴なら稼ぐ手段はいくらでもある。冒険者とか酒場の用心棒とか」
「そんな仕事にヨナ様を! いえ、仕事をしないと生きていけないなら、やるべきですけれど」
「それに、さっきは森で暮らすって言ってただろ? 本当にやるかは別として、武器は必要じゃねえか?」
「ぐぬぬ。痴女の癖に正論なのが腹立たしいです」
「なんでこの枝で人を殺せたのか、僕もよくわかってないんだ」
キアが拾ってきた枝を手に取る。そういえば、さっき振った時は体が熱くなったな。今はそれを感じない。




