1-18.父の仇
狼に人が殺されるのを見たことより、自分の手で祠を開けることの方が罰当たりで恐ろしいことらしい。たとえ、神様の居場所に置かれた異物を排除するためであっても。
結局、彼女はガラス玉を取り出せなかった。さっきの赤い狼に関係するものだと想像がついたから。
神様も大事だけど、これを手に取って自分のところに狼が来るのも恐ろしい。だから神に謝り、そのままにした。
お婆さんは祠を開けたことと、神よりも自分の身を優先したというふたつの罪の意識を抱えて数日過ごした。
「そりゃ辛かったよな。そこに、変な学者が祠を見せてくれ、だもんな。変な学者が中のガラス玉を見つけてそれを調べると、自分のやったこともバレるかもって思ったんだな。ゾーラは変な奴だけど賢そうだし」
「なによ。変で悪かったわね」
「でもな婆さん。あんたは悪くない。ちゃんと神様のこと考えてたじゃねえか。それで怖くなったとしても、神様はちゃんと許してくれるさ。悪いのは最初に祠を開けた男たちだ。婆さんが心配することはない」
「ああ……キア。ごめんねぇ。酷いこと言って。ごめんね……」
優しく話すキアに、お婆さんは涙を流しながら感謝した
「なるほど。これが入っていた経緯はわかったわ。なんで冒険者風の男が魔物寄せの道具を持ち込んだのか。そもそもどうして魔物が森にいたのか。そこは謎だけど。村長さんは何か知ってるかしら?」
話しを向けられた村長は、覚悟が決まったという様子で頷いた。
魔物の狼については、心当たりがあるような反応をしていたな。
「十五年前のことです。その頃は祠へお参りする村人は今よりも多く、その奥まで森に入って狩りをしたり木の実を採ることは当たり前にありました」
けど、今は違う。さっきお婆さんの話の中に、奇妙なルールが出てきた。祠よりも百歩の距離以上は、森に入り込まないこと。
「そのルールはアタシも知ってる。百歩って距離はよくわかんなかいから、なんとなく祠の方自体には行かなくなったな」
「キアは歩かないからね」
「おう。木の上を移動した方が早い」
とにかく、森に住むキアもルールは守ってた。
村長の話に戻ろう。
「狩人が襲われて死んだのです。その様子を見た仲間は、信じられないくらいに大きな狼だったと。しかも、見たことのない赤い毛を生やしていた。バケモノだったと」
「魔物として、冒険者や王都の兵士に討伐を依頼しなかったの?」
「儂ら、魔物というものが何なのかわからんかったのです」
この村の人間の殆どは、村で生まれて村で死ぬ。外の世界に出ることは滅多にない。
魔物の知識もなかったのだろう。ただ、大きく成長した狼だとしか思わなかった。
「村の狩人たちで集まって討伐へ向かいましたが、返り討ちになり……その時、キアの父も亡くなりました」
「!」
自分とは縁のない話として聞いていたキアが目を見開いた。
「結局、狼を殺すことはできず、放っておくしかなかった。幸い、奴の寝床に近づかなければこちらに手を出さない。だから、祠の向こうに行くなという決まりを作ったのです」
「あれが父さんの仇なのか……」
「すまない、キア。お父さんが亡くなった時のこと、詳しく話さなくて。みんな、恐ろしい出来事を忘れたかったんじゃ」
申し訳なさそうな村長に、キアは一瞬だけ返事をためらったけれど。
「気にするな。あんなおっかない狼、相手したいって思わないよな。アタシ、父については何も覚えてないし。悲しいとか全然ないから」
笑顔で言った。
そして、話題を変えた。
「それでゾーラ。これからどうするんだ? 狼は撤退したけど、そのガラス玉がある限りは、狼は戻ってくるんだろ?」
「でしょうね。どれくらいで戻ってくるかは、キア。あなたの方がわかるんじゃないかしら?」
「魔物が狼と似たような習性をしてるならな」
「ええ。あなたの意見を聞かせて」
「片目を無くした大怪我だ。しばらくは戻ってこない。足の付け根を切られてから五日間、奴は寝床に戻って傷を癒やすことに専念したんだろ? 今度も同じだ。より時間をかける。あんなでかい狼だけど、慎重で臆病だ」
「十五年、森で生き延びてきただけのことはあるわね」
「けど同時に、手負いでもある。下手にこちらから手を出せば、必死に抵抗するぞ」
「今は手を出す時ではない?」
「ああ。やめといた方がいい。そもそも奴の寝床もわからない。探し回って体力を消耗した上で奴と戦うなんて、アタシは絶対にやりたくない」
「なるほどね。じゃあ、狼のことは放置。あとは、この玉の来歴ね。冒険者が持ってきたということは、誰かが何かの目的で渡したことになる。そして、今回の失敗で諦めたとは思わない。いずれ、なんらかの形で村に来るでしょうね。これを放置もしないでしょうし」
魔物を呼び寄せるガラス玉は、ゾーラの手の中。
「とりあえず、これは預かるわ」
「いいの? ゾーラが魔物に襲われたりしない?」
「対策はできる」
ゾーラが鞄から一枚の布を取り出した。
「これも魔道具。魔法を遮断することができるの。これを被れば、気配を探知するって魔法を使う異能者から姿を隠せる。逆にこっちからも魔法は使えなくなるけどね」
それでガラス玉を包めば、効果が外に出なくなる。あの狼も寄ってこない。
「さあ! 皆さん村に戻りましょうか! 疲れたでしょう! そろそろ日が暮れそうですし!」
ティナの声に、みんな緊張が緩む顔を見せた。
「わたしもお腹がすきました! いろいろあったので! 食堂でもう一度食事しましょう!」
その言葉に異存はない。まだまだ謎は残ってるけれど、とりあえずの危険は無くなった。ひと休みするか。
「あー。でも食堂で待ってるのは、あの硬いパンなんですよね……嫌だなー」
「勝手にテンション上げてひとりで下げるな」
「だってー」
「あー。仕方ない。トカゲ捕まえて一緒に食うか?」
「食べません!」




