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タグ3 ドアマットからのざまぁ


 ドアマットヒロイン――玄関マットのごとく、踏みつぶされ踏みつぶされ、ぎゅうぎゅうに踏みつぶされるような虐げられた環境にいるヒロインのこと。

 ざまぁ――ざまぁみろ! ということで、今までさんざん悪いことをしてきた人(々)が、最後にはやり返されて退場させられること。断罪よりもさらに痛快に、罰を与えられたり、無一文になったり。それまでのヒロインよりも劣悪な環境へ落とされること。

 



 ◇



 

「大体、専門用語? が多すぎるんだよねぇ。初見じゃ分からないの、多かった記憶」


 前世で現代日本に生きていた記憶を持つ私は、溜息を吐きながら、ほうきで木の床を掃いている。

 

 からまってクシが通らない髪は、ちゃんと手入れをすればプラチナブロンドであるのに、今は汚いので灰色に見える(とりあえずお団子状に結んで誤魔化している)。冷たい水で雑巾拭きを繰り返す手は、ささくれだっていて指先が痛い。

 ドレスなんて着るどころか見たことすらなく、メイドのお仕着せをもらって着ているから、黒いワンピースしか持っていないし、ところどころほつれている。

 

 

 こんなのでも一応、伯爵令嬢だ。


 

 そんな私はたった今、これがとあるライトノベルのストーリーであることを思いだしたばかりだ。シンデレラオマージュな展開で、亡くなった実母の次にやってきた継母が、連れ子である実の娘を可愛がる代わりに私を虐待している。

 

 この世界に生まれ変わる前の私は、偶然無料サイトでこの話を読んだことがあった。短編で『虐待されているけど実は王子様の初恋相手』というよくある設定である。好きな漫画家が『異世界恋愛アンソロジー』でコミカライズを担当していたので、原作が気になって読んでみたけれど――全然内容が分からなかった。使われている用語が特殊すぎたからだ。検索して意味がわかったものの、読むのは面倒だなと思った記憶が残っている。

 

 

 とりあえず今は、必死にコミックの内容を思い出していた。

 

 

 王子様は、社交界デビューする若い貴族のための夜会に、私が出席するのを待っていたのに、いなかったから必死で探して――幸せな結婚をするというものだったはずだ。

 もちろん、私をいじめまくっていた義母や姉は、断罪された上で、だ。

 


「ドアマットって軽く書かれてたけど、実生活となるとほんと無理」


 ろくに水浴びもできないだけでなく、暴言や暴力を日常的に受けるのは、精神的肉体的にかなり辛い。コミックスでは一ページだが、現実は何年も続いている。


「ハッピーエンドが確定していたとしても、耐えきれないな。そもそも、なんで主人公はじっと耐えていたんだろう?」


 掃除をしながら、考える。

 貴族社会は非常に閉鎖的だ。爵位や家の繋がりとお茶会や夜会での交流が全てで、女性の地位は低い。仕事という概念は、平民女性にしかない。貴族女性はあくまでも家格を元にした社交が役目で、男性貴族を彩るアクセサリーのような扱いだ。やる気があれば家の運営に口を出すようだけれど、ほとんど執事やメイド長にまかせきりというのも珍しくない。


 教育は家庭教師から受けるのが主流で、必要な知識は読み書き(手紙のため)やマナーとダンス、人の家や顔を覚えるくらい。

 ダンスは難しいが、それ以外はなんとかなりそうだ。貴族として暮らしたいという欲もない。現代日本での義務教育は終えているし、ウェイトレスとして働いていた経験もある。家を出て、食堂かどこかで住み込みで働く方が、ずいぶん現実的に思える。


「うん。やっぱり、黙って耐え続けるのって、ただのバカだな。よし……やるかぁ」

 

 私は私室という名の納戸(なんど)へ戻ると、ゴミとして捨てられていたのを拾ったインク(つぼ)と、壊れかけたペン先のペンで、仕損じた手紙の端をちぎったものに文字を書いた。


 家を出入りしている、人の良い野菜売りのおじさんにお願いして、その手紙をとある場所へと届けてもらう。

 

 まだ母が生きていたころは、よく領地を散策していた。

 それほど広い街ではないし、商店街のような栄えた場所もある。例え家を追い出されたとしても、そこまで行ければなんとかなるだろう。

 どうなろうと、ここより悪い場所は絶対ないと言い切れる。なぜなら――



「あらあら~汚い子。まだこんなところを掃いてるの? いつになったら綺麗になるのかしらねえ?」

「お母様ぁ! そんなことよりわたくし、新しい靴が欲しいのぉ~」

「んまあラピピ。この間も買ったばかりじゃない?」

「だってぇ」


 毎日変わり映えもなく、こんな会話を聞くだけだからだ。

 継母も義姉も、金髪碧眼。見目麗しいかと言えばそうでもなく、醜悪な性格が表に出たようなキツイ顔で、そっくり。


 大体ラピピってどういう名前だよ、ウサギか? とツッコミたい。そんな私の名前はルリベラ。これもまた微妙に植物か? RとLはどうなるんだ? と困惑している。貴族ものを書くなら、ぱっとスペルが思い浮かばない名前は付けるべきじゃない、と個人的には感じる。でもそうすると他とかぶりまくりなんだろうな、と無料サイトの検索結果を思い出す。


 ぼーっとしていたら、バシャン! と派手な水音がした。

 どうやらラピピが、水のたっぷり入った木桶を蹴飛ばしたようだ。


「邪魔!」

「んまあなんてこと。ラピピ、足は大丈夫? ちょっとルリベラ! さっさと拭きなさい!」


 なんで今までこんなのに黙って従ってきたのだろう、と本気で訳が分からない。


「やです」

「はあ!?」

「なんですって! このわたくしに、逆らうだなんて!」


 持っていた扇で頬を叩こうとしてきたので、さっくり持っていたホウキで応戦する。

 こっちの方が長いし、硬い棒である。


「な、な、な!」


 いじめる側って、なぜか反抗されるだなんてちっとも想定してないのよね。不思議。


「いい加減にしてください」

「っ、ゴメズッ!」

「はい、奥様ぁ」


 ゴメズというのは、下男だ。常に下卑(げび)た笑いを浮かべた熊男。メイドに暴力を振るっているのを知っている。こいつのせいで、この家から若いメイドはいなくなった。下衆(げす)中の下衆、というのが私の評価だし、こう出た以上当然こいつが出てくるのも想定内だ。

 

 私はホウキを脇に抱えるようにしてばっとスカートの裾を持ち上げると、何も言わずいきなり背後の方角へと走り出した。

 

 ゴメズは腹が出すぎていて足が遅い。継母とラピピは言わずもがなだ。

 普段から掃除と洗濯で体力を使っている私とは、スタミナが全然違う。あとメイド服、余計な装飾がないから走りやすい。

 

 ダダダダダ、と走り込んだ先は、父の執務室である。バン! と扉を開けると、痩せていて真面目そうな男が目を丸く見開いて、机から顔を上げるのが分かった。


「えっ」

「お父様。お(いとま)をいただきたく参上いたしました」

「え?」


 この父親は、母を失った悲しみから、現実の全てから目を背けていた。私からも。

 

 記憶の戻る前、貴族として生きてきた私は外へ出る方法も分からず、父へ相談することも避けられてできず、耐えるしかなかった。

 私にとって一番の害悪は、ある意味こいつである。

 

 後ろからヒイヒイ、バタバタ言いながら走ってくる三人を待って、私は堂々と宣言した。


「お望み通りこの家から出て行くので。あとはご勝手にどうぞ!」

「ルリベラ……?」

「いい加減にしてください。こき使われるだけでも嫌っていうのに、めちゃくちゃ気持ち悪い。母娘そろって下男と関係を持つだなんて」

「!?」

「こんな熊みたいなのの、なにがいいんです? っていうか娘を王子に嫁がせるって……貞淑じゃなくてもいいものなの?」


 貴族女性にとって、淑女であることは重視されているはずだ。そして未婚女性の貞操は、婚姻まで守られるべきものであるはずだ。

 

「な、にを」

「もうほんと気持ち悪い」

 

 驚愕に震える父の顔が、みるみる青白くなっていく。


「お、まえ、今の本当か? ルリベラを(しつけ)ていただけだと」

「嘘よ! 嘘に決まって」

「お父様。そんなわけないでしょ? 見てよこの私を。母に似てるから見るのも辛いって間に、娘はボロボロにされてるよ」

「なんだその恰好……」

「ついでに、家の財産ももうほとんど使い込まれてる」

「! だが金庫のカギは渡していない!」

「甘いよお父様。伯爵家だもん。信用貸しならいくらでも、でしょう? 督促状、全部捨ててるみたいだけど。懇意の商会とか、態度おかしくなってきてるの気づいてる?」

「!!」


 がた、と父が立ち上がり、継母に詰め寄った。


「……ルリベラの話は、本当か?」

「んもうあなた、そんなはず」

「わが娘は、輝くプラチナブロンドの髪だった。なんだあれは」


 悲しいけれど、くすんだ灰色でぐしゃぐしゃだから、部屋の隅の綿埃(わたぼこり)みたい。

 

「あ、あ、あんなの、あの娘が勝手に」

「どこの貴族の娘が、お仕着せを着て掃除するんです?」

 

 私はしっかりと、手にホウキを持ったままだ。

 

「なんと……いうことだ……」

「お母様を亡くした悲しみに暮れるのは良いですけどね、お父様。このままわたくしも死なせたいのですか?」

「そんなわけが! ないだろう!」

「でも実際、死にかけてました」

「!!」


 そう、真冬でもろくな暖房がない場所に押し込められていたのだ。

 体が丈夫な方で良かった、と言わざるを得ない。


「母のためにも、わたくしたちふたりで、幸せにならなければ」


 父は、弱い。

 それを支えていた母を失って、もっと弱くなった。ならば私が支えればいい。


「ルリベラ……すまなかった……」

「あなた! こんな娘の言うことをっ」

「お前は離縁だ。実家へ帰れ」

「っ……そんなもの! もう、ないですわ!」

「なんだと?」


 私はそれも、原作の情報で知っていた。継母の実家である子爵家は、浪費が原因で没落しているのだ。

 ざまぁされる時にそれが浮き彫りになって、この母娘は仕方なく修道院へ行くことになる。


「路頭に迷えとでも言うのですかっ!!」

「路頭に迷っても、今までの私の生活よりだいぶマシ」

「ゴメズ!」


 カッとなった継母が、ゴメズをけしかけるのは分かり切っていたので、私はラピピを盾にした。

 普段からろくに歩きもしない、ぷよぷよのたるんだ体でここまで走って来たのだ。もう力が残っているはずもない。

 

「えっ」


 されるがまま私の前に立たされたラピピの頬を、勢いに乗って止められないゴメズの手のひらが、殴る。


 バチン!


「ぎゃあああああああ!」


 継母の汚い悲鳴が、屋敷中に響き渡る。


 するとそれに合わせたかのように、部屋に騎士たちがなだれ込んできた。

 呆気に取られる全員に先んじて、我に返った私は叫ぶ。

 

「騎士様! この男が、伯爵令嬢を殴りました!」


 私がゴメズを指さすと、先頭にいた中年の騎士が頷いてゴメズを拘束に動く。


「貴族への暴力は即時極刑だ。連れて行け」

「あああああああ! いやだああああああああ!」

 

 大暴れする熊男も、両脇を屈強な騎士に押さえられては逃げられない。

 ずりずりと引きずられ、外へ連れ出されていった。

 入れ替わりに若い騎士が入って来て、ふうと息を吐く。


「間に合ったかな? ルリベラ」

「アーバイン!」


 アーバインは、昔隣に住んでいた幼馴染だ。二つ年上の男爵家子息で、赤髪に茶色い目のやんちゃな男の子だったのが、今や長身の好青年になっていた。人懐っこい笑顔が変わらないことに、密かにホッとする。

 

 彼は騎士を夢見て修行を頑張り、王都へ上り見事に叙勲。最近近くの街へ配備されたのを噂で聞き付け、助けを()う手紙を送ったのだった。原作ではモブ扱いだったけれど、私は実直で明るいアーバインのキャラが好きだった。


「信じてくれたっ」

「もちろんだよ」


 ニコニコ微笑むアーバインを、先ほど先頭で指示を出していた騎士がからかう。

 

「うんうん。『俺のお姫さまが危険だから! はやく!』て()かされた甲斐があったよなぁ」

「まあ!」

「ちょ! 隊長!!」


 真っ赤になる彼は、よく見ればすごく汗をかいている。文字通り、全力で駆けつけてくれたらしい。

 アーバインは大きく「ふーっ」と息を吐くと、気持ちを切り替えた様子で、床にへたり込んでいる継母とラピピを見下ろした。

 

「で、どうしますか? 閣下」

「え?」


 いきなり話を振られたお父様は、虚を突かれた顔をする。

 

「……平民が伯爵令嬢へ暴力を振るえば、即時極刑です。このふたりは……貴族ですか?」


 アーバインが「離縁すればこのふたりが平民になる」と言っていることに気づき、眉根を寄せた。


「ああああああ」

「慈悲を! 慈悲おぉおおおお!」


 さすがに意味の分かった二人は、号泣し始めている。

 

「はあ。私は……そこまで冷酷になれないよ。修道院へ送る。きちんと入ったことが確認されてから、離縁状を出す。それでいいかな、ルリベラ」


 私もまた、二人を上から見下ろす。


「あああああたすけ、たすけて」

「いやよぉいやあああああああ」


 涙と鼻水でぐじゃぐじゃになりながら命の懇願をされても、これっぽっちもすっきりしない。

 早く忘れてしまいたい。それしか、思えなかった。

 

「ええ。二度と我が家と関わらないって約束できますか。破ったら、即時訴え出ます」

「あああいいいい」

「やくそく! やくそくするがらああああ」


 アーバインを振り返って頷いて見せると、またニコッと微笑まれた。その裏表のない明るさに、救われる思いがする。

 

「はい。じゃ、我々騎士団の手で、確実に送り届けますので」

「頼む」

「お願いいたしますわ」

 

 

 ――こうして自ら動いたざまぁ劇は、幕を閉じたのだった。




 ◇



 

 それから十八になった私は、ごく普通の伯爵令嬢として社交界デビューの夜会に呼ばれた。

 

 原作のままだったなら、出られていない。つまり、私を初恋相手だという王子にも会えていなかったはずが――今日は会うことになる。


「あー、うー」

「緊張してるの?」

「うん、叙勲式よりよっぽど緊張する」

「まあ! 国王陛下の前で(ひざまず)くよりも?」

 

 騎士服ではなくタキシードに身を包んだアーバインが、私をエスコートしてくれている。


「当たり前じゃないか! 王子殿下に向かって、ルリベラと結婚するのは俺です! ってやるんだよ? 緊張しない方がおかしいだろ」

「大丈夫よ。初恋は、実らないものなんだから」

「えぇ~?」



 ――私たちの初恋は、実っちゃったけどね。

 

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