タグ2 聖女、追放
神殿の祭壇に向かって、毎朝祈りを捧げる。
この王国の結界はそうして維持され、外側に発生する様々な魔獣を排除することができる。
そう、私はいわゆる『聖女』という存在だ。
王国で信仰されている、女神様の加護を持って生まれた女児に与えられるこの称号は、前代聖女が亡くなると世代交代するものらしく、ひとりしかいない。
私の祈りが、王国民を守っている。
その自負でもって辛い修行に耐えてきたし、毎朝の習慣も忘れることなく行ってきた。
ところが――
「ロメーヌ・バレ! この、ニセモノ聖女め!」
半年に一度の、王宮主催の夜会で。
王太子であるセバス様――金髪に碧眼で見目麗しい――から、一方的に責め立てられるのは、なぜだろうか。
その脇で、うるうると目に涙を浮かべた女性――ピンクブロンドに翠の瞳で、可憐な見た目――が、セバス様の腕にしがみついている。王族の体に触れるのは、不敬である。それを許されるのは、婚約者のみ。つまり、私だけのはずだ。
「ニセ……モノ……? わたくしが、でしょうか」
「そうだ! その『聖女の印』は、あとから職人に彫らせたものというではないかっ!」
産まれた時から左手の甲には、ダリアの花のような印がある。
それが、職人に彫らせたものであると言われているのだろうが、全く覚えがないし、理解ができない。
「パトリシアこそが、本物の聖女だ!」
どよめく夜会の会場で、聖女のみ着ることが許される白のローブをまとった私は、立ち尽くすしかできない。
人間、あまりにも驚くと固まって言葉が出なくなるのだと学んだ。
誰も庇おうとはしない。むしろ非難するような目線でもって、隣にいる人間とひそひそと話しているのが目に入った。
荒唐無稽な主張を信じているということか。
なんの疑いもなく聖女として励んだ日々は、無駄だったのだろうか。あれほど優しかったセバス様が、このように弾劾するとは、思いもよらなかった。
「にせものでは……ございません」
ようやく出た声は、かすれて震えている。
「嘘をつけ! パトリシアの手の甲には、聖女の印がある! しかも、毎日祈っていたのはパトリシアだと言うではないか!」
「そちらの方を、神殿で見たことはございませんが」
「ひどいぃ! 聖女になりたいから、代わりに祈ってって言ったじゃないですかぁ~」
「おおなんと可哀そうなパトリシア! 近衛! そのニセモノを、ひっとらえよ! 我が王国から、追放せよ!」
すん、と一気に信仰心が冷めた。本当に一瞬のことだな、と笑いたくなるほどだ。
「いいえ、その必要はございません」
主催しているはずの国王は、セバス様を止めなかった。つまり彼の言い分が真実だと認められたということだ。であれば、何を言っても無駄だろう。
「わたくしが聖女でないということであれば。自分の足で、この国を出ます。ではみなさま、ごきげんよう」
丁寧に礼をして、会場を後にする。
誰も擁護しないし、追っても来ない。聖女としてこの王国を守って来た自負があったのに、たったこれだけのことで粉々に破れてしまうほどのものだったのか。
「せつない……」
会場から出て、外を歩きながら夜空を見上げれば、キラキラと輝く星がある。
泣いている暇はない。今から教会内の自室に戻って、荷物をまとめなければ。
奥歯を噛みしめて耐えつつ、王宮の馬車止めにある教会の馬車に乗り込むと――向かいの席にはなぜか、先にセバス様が座っていた。
「ひっ」
「しっ」
悲鳴を上げかけた私を、慌てて人差し指を立てたセバス様が止める。
「え? え?」
いくらなんでも、先回りにもほどがある。瞬間移動したとしか思えない。
もしくは、別人なのだろうか? であれば、先ほど会場で叫んでいたのは、誰なのだろう。
とにかく息を止める勢いで、口を両手でふさぐ。でないと、叫び出しそうだったからだ。
か、か、と馬車が走り出したのを確かめると、ようやくセバス様は口を開けた。
「あれは、私の影武者だ。……私は、暗殺された」
「え!?」
「この通り、護衛のお陰で未遂で済んだけれどね。ノルマン公爵家の差し金だよ」
「ええっ……」
「でも残念だけど、父上――国王もそれを受け入れたから。国を見限ることにしたんだ」
ふ、と眉尻の下がる優しい目が、私を見つめる。
「私の母の実家がある、レンダリア王国は知っている?」
セバス様のお母様である王妃殿下は、数年前に亡くなっている。
病の兆候はなかったらしいので、原因不明の突然死とされていた。
「ええ、北の……雪深いと有名な……」
「うん。寒くて申し訳ないけど、一緒に行ってくれないかな」
「え」
「ロメーヌが聖女だろうとなかろうと、愛しているんだ。ああもし、私が王太子という身分でないから嫌だというなら、無理は」
「わたくしもです! その、こんな地味な見た目でも良ければ」
きらきらと輝く金髪に、透き通るような青い瞳の王子と釣り合うような見た目ではないのは、自覚していた。
「地味なんかじゃない! そのとび色の瞳は大きくて可愛いし、そばかすも可愛いし、豊かな栗色の癖っ毛はいつも跳ねてて可愛いし」
「恥ずかしいですっ」
「ははは」
母親を亡くし心細い時でも、王太子となるべく頑張って来た姿を知っている。
いろいろなことを語らいあったお茶会や、図書室で一緒にした調べごとの数々。
そのような思い出をすべて、先ほどの夜会でなかったことにされたのなら……と思っていた。
「ああよかった……だいたい影武者とはいえ、あんな夜会で叫ぶとは。仮にも王子なのにみっともない。ありえないと思わないかい? しかもこの国唯一の聖女をろくに調べもしないで追放するだなんて。お粗末すぎるよね」
ふ、と肩の力を抜いたセバス様は、なんというか、可愛い。
「ふふふ。あまりにも衝撃すぎて、言葉が出ませんでしたわ」
「うん、逆によかったよ。聡明なあなたのことだ。今すぐ結界を解いて潔白を証明しよう、なんてされたら……騎士に止めさせる手はずは整えていたんだけど」
「そんな……王国民の命をそんなことのために危険に晒すだなんて……」
すると、セバス様はいきなり中腰に立ち上がって、私の隣に座り直した。
「あの……?」
なんだろうと思って顔を見上げたら、おもむろにぎゅううううと抱きしめられる。
「っ!」
「なんて素晴らしい慈悲深き御心だろう。仮に結界の力がないとしても、あなたこそ真の聖女だと私は思う」
「セバス様っ」
それだけで、長年の修行の辛さを全て忘れられるような言葉だった。
「でももう、疲れただろう? 王国民の命を背負う必要はないよ。決めたのは、あの王国だ。聖女として生きていかなくても良い。ふたりで小さな家を作っていこう」
「ふふ。そういうことだったのですね」
「え?」
私はようやく、セバス様の策略を悟った。
「あの王国の陰謀を利用して、わたくしを聖女の重責から解放する。それこそがセバス様の真の目的だったのですね?」
「げ。もうばれた」
自分の手の中に、無数の命がある――傲慢かもしれないが、事実であった。その重さたるや、逃げ出してしまいたくなるほどのもの。
ところがこの国は、結界がなくなれば、武力でもって魔獣を制圧し続けなければならない環境にあることを、長年の平和ですっかり麻痺して忘れているに違いない。
「はい。もうこのまま、追放されちゃいますわね」
「あはは! うん、もうただのロメーヌだよ! 大好きだ」
「セバス様、わたくしもです!」
馬車の中で重なるふたりの影に、悲壮感は全くなかったと思う。
結界の境界近くの集落には、「近日中に結界がなくなる」と触れ回り、避難を促した。
それから数か月後、結界を失くした王国は、騎士団の手でもってなんとか持ちこたえていたが――数年のうちに見限られ、徐々に廃墟となっていったのだった。