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街角、ピアノ  作者: はやはや
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第五話 燈

この作品は能登半島地震が発生する、数ヶ月前に描きました。

テーマは〝災害と音楽〟です。

もし、この作品を読むことで、心が辛くなったり、苦しくなったりする可能性がある場合は、読むのを控えて頂けたらと思います。

 久しぶりに地元に戻ってきた。

 地下鉄の改札を出て、地上に出る階段を目指して歩く。しばらく歩くと開けた場所にきた。円を描くように置かれたベンチの真ん中に、グランドピアノが置いてある。

 何となく気になりピアノのすぐ横を通った。カフェのような看板があり、そこにはこう書かれていた。


『八幡幼稚園から移設されたピアノです』


 それを見て幼稚園の頃を思い出す。私は八幡幼稚園に通っていた。その当時、それは起きたのだ。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 真冬の寒さが厳しい時期だった。三連休明けの火曜日の早朝、この街を大きな地震が襲った。その時のことは今でも鮮明に覚えている。

 初めは微かな揺れで目を覚ました。それが地震だとわかったとたん、地面から突き上げるような縦揺れが襲った。

 咄嗟に頭から布団を被った。その布団の上に、衣装ケースの引き出しや、棚に飾ってあった人形やランプ等が次々と落ちてくるのがわかった。


 永遠に続くかと思われた揺れが収まってすぐ、階下から「すず!」と両親の声がした。恐怖に震えていた私は、「にゃー」と猫のようなか細い声で泣いたことを覚えている。


 そこからの記憶はしばらくなくて、次の記憶は八幡幼稚園の遊戯室に避難してからのことだ。自宅は半壊だった。近所で火災が起きたため、避難が必要になった。

 なぜかその時、私はお気に入りのコアラのぬいぐるみとピアノで習っていた教本を手放さなかったらしい。家族三人で指定されている避難所の八幡幼稚園へ向かった。


 幼稚園に着くと、園長先生と年長組の吉野先生、それから知らない男の人二人が迎えてくれた。今、思えば、その男性は役所から派遣されてきた人だったのだろう。園長先生は私を見るなり


「鈴ちゃん、怖かったでしょう! 無事でよかった」


 と言って抱きしめてくれた。

 そして、遊戯室に案内された。リズム遊びで、いつも使う部屋なのに、知らない部屋みたいだった。床には体育遊びで使うマットが敷き詰められていた。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 その日から遊戯室での避難生活が始まった。幸い自宅は火災を免れた。しかし、余震が続いていて、半壊した自宅で過ごすのは危険だった。うちを合わせて五組の家族が一緒に避難生活をしていた。


 老夫婦の豊田さん。小学生と中学生の子どもがいる福山さん家族。県外の大学に進学した息子がいる立山さん夫婦。お腹に赤ちゃんがいる高木さん夫婦。それから我が家。


 私は一番小さかったので、みんなから可愛がってもらった。私の存在が辛い避難生活の中での、みんなの癒しになっていると思うと、私は必要以上に子どもらしさを装い振る舞った。


 ある日、福山さんのところの姉、弟と遊戯室の舞台と舞台袖でかくれんぼをして遊んでいた時だった。私は何気なく舞台の上にあったグランドピアノの後ろに隠れた。


 ピアノの蓋は閉まっていて、誰も演奏していないのに、私の耳にはピアノの音が聞こえた。担任だった牧内まきうち先生が、リズム遊びをする時に弾いてくれた曲。題名はわからないけれど、聴いていると体がひとりでに動き出すような軽快な曲だった。


 私はかくれんぼの途中であることを忘れて、ピアノの前に回り、蓋を開けた。当時通っていたピアノ教室のピアノより鍵盤が黄ばんでいて大きく見えた。両手をついてピアノの椅子に座る。


 鍵盤に指を乗せ、力を入れた。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 ソミ、ソミ、レド、レド


 私が指で押さえた鍵盤の音が鳴る。

 ピアノレッスンで習った、〝かっこう〟という曲だ。


 レ、レ、ミ、ファ、レ、ミ、ミ、ファ、ソ、ミ


 かっこうの鳴き声が聴こえてきそうで、私はこの曲が好きだった。まるで、森の中にいるような気分になる。木の枝に止まっているかっこうが、私を見下ろしている。


 ソ、ミ、ソ、ミ、ファ、ミ、レ、ド


 最後まで弾くと、後ろから「鈴ちゃん上手!」と福山さんのお姉ちゃんの明梨あかりちゃんが言ってくれた。ピアノの向こう側には弟の健人たけと君の姿も見えた。


 二人だけでなく、避難生活を一緒に送っていたみんなが「ピアノ弾けるのねぇ」「もう一回聴きたいな」と言って褒め、拍手してくれた。舞台の上から両親を見ると、「仕方ない奴だなぁ」というような笑顔だった。


 そして、私はもう一度〝かっこう〟を演奏したのだった。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 しばらく経つと、一組、また一組と避難する家族が減っていった。初めにいなくなったのは豊田さん夫婦。娘の元にしばらく身を寄せると話していた。年老いてからの災害は体に堪えただろう。奥さんの方がずっと体調を崩していた。


 次にいなくなったのは立山さん夫婦。こちらも大学生の息子が下宿しているマンションに空きが出たから、とりあえずそちらに身を移すらしかった。

 その次は高木さん夫婦。奥さんの里帰り出産の予定を早めて夫婦で実家に帰るのだと言う。旦那さんは奥さんの実家からの遠距離通勤を悩んでいたけれど、避難所にいるよりはいいと思い、一緒に行くことにしたらしい。


 そして、福山さんとうちも避難所から出る時期になっていた。福山さんのところは、仮説住宅に移れる目処がついていた。うちは元の家に戻れそうだった。父の友人が工務店を営んでいて、住める状態まで修理してくれたのだった。


 福山さんと別れる時、明梨ちゃんが私を抱っこして、くるっと一回転した。私は嬉しくて「きゃっ!」と声に出して笑った。


「鈴ちゃん。前にピアノ弾いてくれたでしょう。あれ、すごく素敵だったよ。これからもピアノ続けてね」


 明梨ちゃんはそう言って私の頭を撫でてくれた。

 その言葉は幼かった私の心に響いた。


――すごく素敵だったよ


 私はこれからもピアノを続けようと思った。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 結果として私はピアノを続けなかった。

 地震以降、ピアノの先生との連絡が疎遠になり、そのまま辞めてしまったのだ。それでも、あの日〝かっこう〟を弾いて、みんなが喜んでくれた嬉しさは、ずっと私の中にあった。お世辞だとわかっている。それでも、すごく嬉しかったのだ。


 暗くて重苦しくて辛い雰囲気の避難生活の中で、ピアノの音が鳴った時、一瞬にして空気が明るくなった。音楽って闇の中にいても光を照らすのだ。

 落ち込んでいたり、元気がない人の心に癒しを与える。たとえ一時的でも暗闇から救い出してくれる。

 そんな風にあの時、思ったことを今、思い出した。



 私はストリートピアノに近づく。〝かっこう〟を弾いたピアノだ。蓋をそっと開けるとあの日と同じ、黄ばんだ鍵盤が私を迎えた。


 ド――


 鍵盤を指で押す。少し曇った音が響いた。私はピアノの前にあった椅子を引き、腰を下ろした。両手を鍵盤に乗せる。


 ソ、ミ、ソ、ミ、レ、ド、レ、ド


 かっこうを弾く。あぁ、やっぱり音楽って心に訴えかける。これまでの日々を思い出す。

 一年浪人して大学に進学した。進学を機に家を出た。そのまま就職したので、地元にはなかなか帰らなかった。そして、今日。

 父の突然の訃報を受け、飛んで帰ってきた。本当ならピアノなんて弾いている場合じゃない。それでも、まっすぐ病院に向かうのが怖かった。

 どこかでワンクッション置きたかった。



 ♫♬♫ ♫♬♫


 ソ、ミ、ソ、ミ、ファ、ミ、レ、ド


 息を吐く。

 大丈夫だ。眠りについた父と、きっと動揺している母を見ても、私は現実をきちんと受け止めることができるだろう。


「ありがとう」


 そう言って私はピアノの蓋をゆっくり閉じた。そして父と母が待つ場所へと向かって歩き始めた。 

被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。

寒い時期です、お体を大切になさってください。

読んでいただき、ありがとうございました。

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