第三話 レクイエム
また、あの子がやって来た。ショートカットの髪、紺地の襟に白いセーラー服。落ち着いた動作でパスカードをかざし、駅の構内に入る。
真っ直ぐ向かうのは電車が入るホームではない。ホームに降りるエスカレーターの手前にあるスペースに設置されたピアノだ。
この市の歴代市長が力を入れている、全駅にストリートピアノ設置。うちの駅にも半年前に設置された。一般的な家庭でみる、縦型の箱のようなピアノ。
そのピアノが設置されて間もなく、あの子がやって来るようになった。
「また、来てますね」
後輩の野田が、どこか迷惑そうに言う。視線の先にいるあの子は、ピアノの前に座ったところだった。
♫♬♫ ♫♬♫
僕、笹山賢太は私鉄、三宅台駅の駅員だ。
といっても鉄道会社に採用された訳ではなく、〝レールウェイカンパニー〟という鉄道会社の子会社に採用された。契約社員だ。
大学四年生になっても、内定をもらえなかった。それで見兼ねた父親が親戚のツテを頼り、紹介してもらったのがレールウェイカンパニーだった。
親の助けを借りて就職するというのは、世間では恥ずかしいことなのだろう。でも、僕は気にしない。そう言うと「ゆとり世代だね」と言われる。
流れるような音が、耳に入ってきた。あの子の演奏が始まったのだ。新しい曲を弾く日もあれば、前に弾いた曲を弾く日もある。今日は後者だ。
僕はクラシックやピアノ曲に縁がない。だから、あの子が弾く曲の題名を知らないことが多い。けれど、今弾いている曲の題名はわかる。
ドビュッシーのアラベスク。
前に聴いた時に綺麗な曲だな、と思って調べたのだった。
♫♬♫ ♫♬♫
今日は五日。
一ヵ月の中でも一番気持ちを込めて、ピアノを弾く。
私が真璃子ちゃんに届けたい曲。この五年間で弾ける曲が増えた。それがとても嬉しい。
私は三歳からピアノを習い始めた。初めはピアノを弾くより、先生の伴奏に合わせて歌う方が好きだった。
でも、先生の伴奏を聴くうちに、自分でも弾けるようになりたいと思った。その時から私は半日以上はピアノの前に座るようになった。
全く苦痛ではなかった。そんな私を見て、両親はピアノレッスンや音楽教育に力を入れている、私立のA音楽幼稚園に入園させてくれた。
そこで出会ったのが真璃子ちゃんだった。
私の名前が真里奈だったので、大きくなったら二人で〝まりまり〟というユニットで歌手デビューしようね、と約束していた。
一緒にプリンセスごっこをしたり、絵を描いたり、真璃子ちゃんと過ごす日々は、宝物のように毎日がキラキラしていた。
幼稚園を卒園すると、別の学区の小学校になったので、毎日は会えなかったけれど、お母さん達にお願いして月一回は、どちらかの家に遊びに行ったり、出かけたりした。
私は真璃子ちゃんと、本当に〝まりまり〟を結成したいと思っていた。
♫♬♫ ♫♬♫
「すいません……出たいんですけど」
あの子がおずおずとパスカードを見せる。
「少々お待ちください」
それを受け取ったのは、野田だった。面倒くさそうに退場の手続きをする。とはいえ、簡単な操作だ。野田がぶっきらぼうにパスカードを渡すと、あの子は軽く頭を下げて改札の外に出た。
「愛想よくしろよ。面倒な作業じゃないだろ」
と言うのは、僕の心の声だ。僕より二つ下の野田は、レイルウェイカンパニーの社員ではない。鉄道会社の社員だ。
鉄道会社に就職した人は、ほとんどが駅員の仕事を経験した後、車掌や運転士へとステップアップしていく。野田もきっとそうする。
僕も正社員なら、昇進試験によって助役や駅長になることもできたかもしれない。
でも、契約社員だ。正社員になりたいとも昇進試験を受けたいとも思わない。
やりきれない気持ちになって、野田に声をかけた。
「悪いけど、先に休憩とっていい?」
勤務日は朝出勤し、翌日の朝まで働く24時間勤務。だから一日に数回、休憩時間がある。
帽子を脱ぎ、職員用の扉からコンコースへ出る。コンコースに入っているコンビニへ行った。
おにぎり、お茶、コーヒーを買いコンビニを出ようとすると、目の前を見覚えのある人影が横切った。同じようにコンビニで買い物していたのだろう、右手に紅茶のペットボトルを持っていた。
あの子だった。
「あの!」
無意識に僕は声をかけていた。彼女がこちらを向く。うさぎのような愛らしい瞳が印象的だ。僕が駅員の格好をしているからだろう。警戒するのが、わかった。
「さっきのピアノ、素敵でした……」
警戒を解くようにそう言葉を続けた。
「……ありがとうございます」
あの子は少しだけ口元を緩めた。
♫♬♫ ♫♬♫
駅を出た所にある、ベンチに座っている。私の隣には駅員がいる。笹山さんというらしい。シャツの胸ポケットに付いている、小さい長方形をした名札で分かった。
篠山さんは私のピアノのことを褒めてくれた。すごく嬉しかった。自分のピアノが真璃子ちゃんだけでなく、現実にいる人にも届いていると。
自然と真璃子ちゃんのことを話していた。
「その、真璃子ちゃんとは今でも一緒に遊ぶの?」
笹山さんが訊く。
私は黙って首を横に振った。
「真璃子ちゃん、亡くなったんです。病気で」
そう、真璃子ちゃんは五年前の二月に病気で亡くなった。進行の早い病気だった。だから、私が会いにいくのが間に合わなかった。
祭壇にあった真璃子ちゃんの遺影が、突如、頭に浮かぶ。病気になる前の元気な真璃子ちゃんだった。少し首を傾げて嬉しそうに笑っていた。まるで、笑い声が聞こえてきそうだった。
「そうなんだね……ごめん。余計なこと聞いたね」
笹山さんの言葉で我に返る。
余計なことなんかじゃなかった。「真璃子ちゃんは亡くなった」と話すことで、私の中での折り合いがつかなかった気持ちが、すとんと心にはまった気がした。
「大丈夫です。真璃子ちゃんとは、ずっと友達だから」
私がそう言うと笹山さんは目を細めた。垂れ目気味だからか、笑顔に見えた。というか笑顔だったのかもしれない。
「そんな友達がいるなんて、何ものにも変え難いよ」
笹山さんの言葉が優しく耳に届く。
私は真璃子ちゃんが弾くピアノが好きだった。ピアノが喋るように聴こえる音だった。だから、真璃子ちゃんに負けないくらい私もピアノを好きになった。
真璃子ちゃんが演奏できなかった分も、私が弾きたい。きっと天国で聴いてくれているだろうから。
♫♬♫ ♫♬♫
あの子の名前は真里奈ちゃんといった。
親友のことを話してくれた。その子は亡くなったらしいのだけれど。
五日が月命日なので、毎月、五がつく日(五日、十五日、二十五日)に駅のピアノを弾きにくるのだと教えてくれた。
そういえば、それくらいの頻度で姿を見せていたな、と頭の片隅で考える。
「私にとってピアノは真璃子ちゃんへのレクイエムなんです」
友達や親と喧嘩した時、勉強が進まない時、苦しい時は、「真璃子ちゃんならどうするかな?」と考えるのだという。
亡くなってもなお、真里奈ちゃんの心に生き続けている友達。
僕にはそこまで親密な友人はいなかった。恥ずかしながら中学生の真里奈ちゃんが羨ましかった。
「僕もピアノ楽しみにしてるよ。いつでも弾きにきてね」
そう言うと真里奈ちゃんは、向日葵のような、ぱっとした笑顔を見せた。
次はどんな曲を弾いてくれるのか、今から楽しみだ。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
第四話、第五話、最終話は来週、月、水、金に投稿させていただきます。
引き続き、よろしくお願いします。