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翌日。
昨日の静けさと打って変わり、医務室は大盛況となった。
「いってー! あいつ本気で殴りやがって!」
「お前の傷なんか舐めときゃ治るだろ!」
「また同じところ怪我したよ、最悪だなあもう」
次から次へと怪我をした生徒がやってきて、袖や裾をまくり上げて傷を見せてくる。医務室の外まで行列ができて、対応しているベックマンはぶつぶつと呪文を呟き続けていた。
リフィスはというと、まだ見学でいいと言われたため、端の方で椅子に座っていたのだが、生徒たちの汗臭さに息を止めずにはいられなかった。武道場の臭さよりはましだが、もわっとした熱気は変わらず、早くこの臭いに慣れないとこの先が大変である。
「あれ、新人さんですか?」
「あ、ほんとだ。女の子じゃん!」
リフィスの存在に気づいた男子生徒たちが、笑顔で声をかけてきたので、リフィスは頭を下げた。
「もしかして魔法使い? 結構若くないか?」
「俺たちと同じくらい?」
「うわっ、どうしよう、俺めっちゃ汗臭いよ、近づけない」
笑い声を上げる生徒たちに、どうしたものかとリフィスは考えていると、疲弊した顔のベックマンが振り返った。何も言わないが、きっと手伝ってほしいのだろうと思い、椅子から立ち上がって彼の傍まで行く。
「半分、私の方で治療しますね」
ベックマンがホッとしたようにうなずいたので、間違っていなかったらしい。
「次の方、こちらにどうぞ」
声をかけると、ためらうようにお互いを見合わせたのち、一人、また一人とリフィスの前にやってきて列を作った。先ほど騒いでいた割には、みんな黙りこくったところをみると、シャイな一面もあるようだ。
「ひじの擦り傷ですね。――はい、これで大丈夫です。他に痛むところはありますか?」
「え? あ、もう? 大丈夫です」
「では次の方、どうぞ。打撲ですか? 内出血が起きてますね。ちょっと奥まで響きますよ――はい、治りました。他に傷は?」
「だ――いじょうぶです」
「ではお大事に。次の方」
怪我の具合からして、王国専属魔法使いで鍛えたリフィスにとっては、赤子の手をひねるようなものである。呪文も唱えずに指先だけの感覚で治せるので、両手で一気に二人分治していってもいいくらいだ。
「速くない? ほんとに魔法使ってる?」
「でもちゃんと治ってるぜ。全然痛くない」
「いや速すぎるだろ」
生徒たちの声に、ベックマンも口を開けたままこちらを茫然と見ている。リフィスは軽く目配せをすると、彼はハッとしたように目の前の生徒に向き直って、また呪文を唱え始めた。
残り五人ほどとなったとき、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。その拍子に、医務室に残っていた生徒たちが慌てたように廊下へと出ていく。
「あ、まだ怪我が治っていないですよ――」
驚いてリフィスが声をかけたが、ベックマンは「大丈夫だよ」と言って大きく息を吐いた。
「あれだけ走れるなら大した怪我じゃない。いつも先着順で、治せなかった生徒たちはまた別の時間に来るんだ」
「そうなんですね。でも、かわいそうです」
「気にすることはない。それはそうと、すさまじい速さで治すんだね。どこで魔法を習ったんだい?」
リフィスは一瞬迷ったが、正直に「シュタンフェーゼです」と答えた。
「シュタンフェーゼ? ラスク魔法学校かな? どうりで速いわけだ。なんだ、初めに聞いておけばよかった」
ベックマンの曇った表情を見て、リフィスはぎこちなく笑う。
「私が治療したのはみなさん軽傷だったので。ベックマンさんが治療していた方々だと、こうはいきません。生徒のみなさんも、私が新人とみて気を遣ってくださったんですね」
本当はベックマンのところにいた生徒も、リフィスが診た生徒と同じくらい軽傷であることはわかっていた。その彼らに対し、呪文を唱えなければ治療ができず、十人も超えないうちに魔力切れで疲れてしまうのだから、リフィスとの実力差は相当にあるのだろう。しかし、あと数日でいなくなるベックマンのプライドをわざわざ傷つけるような真似はしなくてよい。
「そうか? ――いや、そうだったかもな。今日はやけに重傷の奴らが多かったかもしれない」
ベックマンの顔色が少し明るくなったので、リフィスはホッとした。そして、良かれと思っていつも通りの治療を行ったが、ベックマンがいる間は少しセーブして治そうと心に決めた。
○
次の休み時間になると、先ほど治療できなかった生徒たちがやってきて、無事ベックマンとリフィスの治療を受けた。そこで、リフィスは嬉しい再会を果たす。
「あなたはあのときの!」
リフィスを騎士団まで送り届けてくれた青年も、リフィスに気が付いて笑顔を浮かべる。
「どうしてここに? あ、もしかして、さっき他の奴らが騒いでた医務室の美女ってあなたのことですか?」
「それは――よくわかりませんが」
リフィスはほほ笑みながら彼に手を差し出した。
「リフィス・マリオットです。あのときは本当にありがとうございました。メルヴィン団長に無事お会いできて、ここの医務室で働くことになったんです。ベックマンさんの後任として」
ベックマンを振り返ると、彼もほほ笑んでうなずく。
「トト・ブルージョンです。ビックリしましたが、また会えてよかったです」
トトの傷は右腕の打撲で、体術後すぐの休み時間はきっと混んでいるからだろうと、先ほどはここに訪れなかったそうだ。我慢できる痛みであれば、確かにその方が落ち着いて治療もしてもらえるため、よいかもしれない。そう考えたのはトトだけではなかったらしく、先ほどは見かけなかった女子生徒も現れたのでリフィスは「あら」と声を上げた。
「女性の方もいらっしゃったんですね」
彼女はアトナ・オーキッドといい、今養成学校に所属する生徒の中で唯一の女子生徒であった。小柄だが体つきはがっちりとしており、栗色の髪の毛もショートにして、パッと見たら少年のようだが、大きな目がくりくりとしてかわいらしく、はにかんだ笑顔は小動物のようである。
「別に大したことないんですけどね、私なんか……」
そう言う彼女の腕には多数の痣ができており、鍛錬に真面目に取り組んでいるのが見て取れた。走り込みも相当しているのか、日焼けも十分にしている。
「アトナはすごいんですよ、人一倍努力するんで。俺も見習わなきゃなって思ってるんです」
トトは笑顔でそう言ったが、褒められたアトナは苦笑いだ。
「やめてよ、万年最下位なんだから」
「それを言ったら俺もそうだ。あはは」
アトナは左腕の擦り傷だけを治したいと言ったので、リフィスは「他の痣もすべて治しますよ」と返した。
「お時間がなければ、放課後でもまた来てくださったら痕が残らないように治しますよ」
「いや、いいです。どうせまた治してもできるんで」
「そうですか? でも」
女の子なんだから、と言いかけて、リフィスは思い直した。男性の中で一人鍛錬に励む彼女に対して、失礼かもしれないと思ったからだ。リフィスもまた、以前いた場所で「女性だから」という理由で――もしかしたらそれ以外の理由もあったかもしれないが――業務が制限されることに不満を持っていたはずだ。
アトナはリフィスが言いかけたことを察したように、小さく笑った。
「大丈夫です。強くなれば痣もできなくなるんで。早いところ強くなるよう頑張ります」
「痛みが酷いようでしたら、遠慮なく来てくださいね。痕が残らないよう、完璧に治しますから。それに、私、美容魔法も得意なので、お肌の調子とか日焼けの痕が気になったら相談に乗ります」
リフィスがにっこりと笑うと、アトナも「美容魔法とかあるんですか!」と嬉しそうに声を上げた。鍛錬の傷は気にならなくても、しっかりと女性らしくてリフィスはほほ笑む。
「え、俺も興味あります。ニキビとかできたら消せますか?」
「大丈夫ですよ。でも、繰り返しニキビができるなら、魔法で治すよりもしっかりと生活を見直した方がいいかもしれません」
「やったー! 絶対に来ます!」
ちょうどチャイムも鳴ったので、トトとアトナはリフィスに手を振りながら医務室を出ていった。二人とも真面目で明るい生徒で、リフィスの学生生活にもああいった友達がいたらきっと楽しかっただろうな、とふと思う。
「美容魔法、使えるんだ?」
二人きりになった医務室でベックマンが声をかけてきたので、リフィスは「気になるところ、ありますか?」とほほ笑んだ。
「シミとホクロならすぐ失くせますよ。シワはまだ研究段階なので、魔法をかけても一日で元に戻っちゃうんですが」
その言葉に、ベックマンはうなずきながら、椅子を急いでリフィスのもとに持ってきた。ベックマンの年齢を考えると、随分と綺麗な肌をしていると思っていたが、本人にとってはまだまだ改善の余地があったらしい。
思いがけない退職祝いになったようで、リフィスも嬉しくなった。