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メルヴィンと別れた後は、一旦寮の自室へ行き、荷ほどき――といってもほとんど荷物はないが、メルヴィンとエリスの好意で生活に必要なものを用意してもらったのでそれを片付けた。
ちょうどよい頃合いになると、リフィスは一着だけ持ってきていたラベンダー色の小さっぱりしたワンピースドレスに着替え、メルヴィンの家を訪ねた。彼の家は騎士団の本部や養成学校からかなり近い場所にあり、リフィスでも簡単に道が覚えられた。
「あら、来たわね。もう準備はできているわ」
エリスに笑顔で迎えられダイニングへ通されると、メルヴィンとその隣にロシュフォールもいたので少し驚いた。ロシュフォールもまた、リフィスの姿を見て眉を少し寄せるのが見えた。
「ちょうどいいから、ロシュも呼んだんだ。お互いを知るいい機会だと思って、楽しんでくれ」
メルヴィンの言葉にリフィスはほほ笑んだが、ロシュフォールは固い顔のまま小さくうなずいただけだ。どうやら、この会に呼ばれたのは不満であるそぶりだ。
リフィスもまた、メルヴィンの意図を正確に読み取ったかはわからないが、このような食事は今までも何度かあって――つまり、目付け役の夫婦と、もう結婚してもよい年頃の男女が介し、お見合いのように食事をする、ということ――その度にただひたすら疲れて、家に帰った記憶しかなかった。
「今度はどこの御仁と食事に?」
ヴィンセントの声が蘇る。
いつも、ヴィンセントはリフィスが誰かと食事をしたと聞きつけると、会う度にそうやって尋ねてきた。
「殿下に興味を持っていただくほど、面白い話ではありませんよ」
「それはつまり、君のお眼鏡には叶わなかったということか」
リフィスが顔を上げてヴィンセントを見ると、彼は口角を上げて嬉しそうに笑った。
「父が、会えと言うので」
「そう言ってくれるな。かわいい一人娘のためだろう」
全部、ヴィンセントのせいだと言ってやりたい気持ちを、リフィスはぐっと堪える。父は、リフィスがヴィンセントのことを好きにならないように、他の男性との出会いの場を用意するのだ。
実際のところ、リフィスは父と同じくらい、誰かを好きになりたいと思っている。一目惚れをして、一足飛びに結婚までいければ、すべての煩わしいことから逃げられるからだ。
しかし、会えば会うほど、ヴィンセントを超える男性がいないと気づかされてしまうだけだった。
ロシュフォールもまた同じ。おまけに、食事の際の会話は、メルヴィンとエリス、そして時々リフィスによって展開されて、ロシュフォールはほとんど喋らず、時々メルヴィンとエリスに質問されたことを短く答えるだけで、不愛想と言ってもいいくらいだとリフィスは思った。
結局、リフィスがこの食事で得たことは、メルヴィンとエリスが人をもてなすということにおいて、いかに優れているかということと、ロシュフォールがどれだけ活躍し、国の英雄と呼ばれていたとしても、不愛想で無口であれば、尊敬する念も薄れてしまうということの二点だった。
一方、ロシュフォールにも、思うところがあった。彼もまた、メルヴィンだけでなく、おせっかいな夫婦に招かれて、年頃の娘を紹介されることが多く、そういった食事会にはうんざりしていた。
それにリフィスは確かに美人で明るく好ましいと思う者が大半だろうが、本心は包み隠して決して表には見せない、胡散臭い人間だと思った。良家の出身で、上品やマナーという言葉によって、上辺だけで喋ることが正しいと言わんばかりの振る舞いそのものに見えた。
そういうわけで、本当にメルヴィンが二人の出会いを期待してこの場を設けたのだとすると、失敗に終わったと言わざるを得なかった。
リフィスはロシュフォールに腹を立て、ロシュフォールはげんなりしただけだった。
○
養成学校での勤務は、まずは前任からの引継ぎで始まった。
ベックマンは、養成学校に二十五年務めたベテランの魔法使いで、養成学校にいる教職員の中でもかなりの古株であった。年齢も最年長の七十三歳で、今騎士団にいる隊員たちはみな一度は怪我を見たことがあるという話だ。
「生徒たちは大体武術の訓練後にここにやって来ることが多い。切り傷、擦り傷、打撲などが一番多く、時々骨折や肉離れなどもあるかな。風邪みたいなもので来る生徒はほとんどいない。変なものを食べたと言って腹を下した者はいないこともない」
基本は医務室に勤務し、生徒が受診しに来るのを待っていればいいが、年に数回動けなくなった生徒を診に武道場へ駆けつけることもあるらしい。
「まあでも死ぬほどの怪我はここでは起こらない。起きるのはあっちの方だね。だからここは楽な職場だよ」
西側の窓を指したベックマンに対し、リフィスは「騎士団ですか?」と尋ねた。
「そうそう。あっちは魔法使いも同行して、魔獣討伐の遠征にも行ったりするからね。ここでも、生徒の鍛錬のために遠征授業はあったりするけど、まだ見習いだから大怪我をするような場所には行かないことになってる」
「遠征授業には同行するんですか?」
「時と場合によるかな。騎士団の魔法使いの数が足りていれば行かないし、足りていなければ行く。私はもう十年同行していないけど」
ベックマンは杖をついており、足腰が弱っているようだから、同行となると大変な労力かもしれない。
「備品が足りなくなったら、用務員のオリーブに言ったら用意をしてくれるよ。薬は自分で調合してもいいけど、私は外の魔法薬店でいつも購入してる。君は調合はよくする方かな?」
「いえ、私もいつも専門家に頼んでいました」
シュタンフェーゼでは魔法薬店がたくさんあったから、自分で材料を集めて調合するよりもずっと簡単に手に入ったのだ。値段も自分で作るより安いはずだが、いつもメイドに買ってきてもらっていたので、相場を知らないから実際どうだったかはわからない。
「じゃあ、一度大通りの魔法薬店に行ってみるといいよ。養成学校の名前を出せば、後で配達もしてくれるからね」
一通りの説明を終えたとみて、ベックマンは医務室の端にある机の前に杖を突きながら座った。
「今日はちょうど生徒たちが巡回訓練に行ってるからちょうど暇なんだ。毎週一回、騎士団員と一緒に街の見回りをするんだよ。その間は備品の整理とかをしてるけど、ほとんど何もすることがないから、ここでゆっくりお茶を飲んで時間を潰してる。ほんとなら、魔法の勉強とかをした方がいいんだろうけどね」
「先生方も巡回についていくんですか?」
「全員じゃなくて、持ち回りなんじゃないかな」
そのとき、医務室の扉がノックされた。
「ベックマン、いるかい? あ、お客さん?」
入口に現れたのは、ベックマンより少し若い見た目だが、白髪交じりで六十五は超えていそうな男性だ。確か、昨日職員室にメルヴィンと挨拶に行ったときに、視界の端の方にいた教員だ。
「オーカー先生、ちょうど後任に引継ぎをしてたところだよ」
「ああ、昨日挨拶に来てたっけ。どうもどうも、テッド・オーカーだ」
「リフィス・マリオットです」
オーカーはリフィスと軽く握手を交わす。
「ちょっと茶でもと思ったんだが、今日のところは忙しそうだからまた今度にするか」
「いや、もう大丈夫だ。引継ぎはもう終わって一息ついていたところだよ。私もあと数日しかいないんだから、ゆっくりしていってくれ」
「そうか、それもそうだな」
慣れたようにテーブルにあったポットを傾けるオーカーを見て、巡回訓練で生徒がいない間、二人はよくこうしてお喋りしているのだろうと察しがついた。ベックマンも棚から茶菓子を取り出してきて、オーカーに長居をさせる気満々である。
「では、私は校舎の中を探索してきますね」
「あら、そうかな?」
リフィスにっこりとうなずく。
「誰かが怪我したときに、道に迷っていたら大変ですから」
「それもそうだね。ゆっくりと見てくるといいよ。でも、北の森には近づかないようにね。一人で迷い込んだら危ないから」
「わかりました。では行ってきます」
養成学校の校舎は増築が繰り返されており、変な形に入り組んでいる。騎士団とつながる道もあり、下手するとそちらへ迷い込んで戻れなくなってしまうから注意もしなければならない。一番端にあるのは武道場で、ここまで来れば校庭へと続く扉があり、帰り道がわからなければそこから一度外に出て、大回りして戻ってくるという手もあった。
生徒が出払っているため、校舎内は静かである。そんな中、規則正しい息遣いの音が聞こえてきて、リフィスは武道場の入り口の前で足を止めた。
武道場の真ん中で、ロシュフォールが剣を振る姿がある。剣術の型でもあるのか、体が次の動作へとなめらかに動き、剣が突き出されていく。踊っているようにも見えて、しばしリフィスは目が離せなかった。
剣を前へと振りかざし、ぴたりと動きを止めたのを見て、型が終わったことに気づいた。ロシュフォールはふうっと息を吐くと、リフィスの方を振り返る。どうやら、見られていることに気づいていたらしい。
声をかけようと口を開いたとき、ロシュフォールがまた剣を持つ腕を上げたので、リフィスは口を閉じた。先ほどとは違う動きが始まり、またよどみなく技が繰り出されていく。
どうやら彼はリフィスの存在に気づいていても、お喋りをする気はないようだ。一言、素晴らしい動きだったと伝えたい気持ちもあったが、素人に言われても大して嬉しくないかもしれないと思い、リフィスは頭を下げてその場を立ち去った。