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若くして王国専属魔法使いになったといっても、リフィスはまだ成人になったばかりで、シュタンフェーゼ王国から国外に出たことも一度もない、世間知らずのお嬢さんであることは確かだった。道は間違えるし、途中で出会った商人に騙されて高額のブレスレットを買わされるし、飲食店でご飯を食べていたら置き引きにも遭った。
それでも、一応魔法使いではあるから、命に関わるような怪我をすることも、盗られたら盗られっぱなしということもなく、きっちりと魔法で対処をしてから隣国のエルドナ国へと渡り、目的地であった首都にも辿り着くことができた。
エルドナはシュタンフェーゼ王国よりも発展はしていないが、南の気候もあって行き交う人々も明るく、通りを歩けば音楽は聞こえるし、大道芸人のショーも行われる活気のある街並みだった。周りを物珍しそうに見ながら歩くリフィスは格好の獲物で、一歩歩くごとにお土産の売り込みをされ、店の中に引きずりこまれるのを何とか避けて通らなくてはいけなかった。
「……疲れた」
人気の少ない通りにやっと出ると、リフィスはため息をついて壁にもたれながらしゃがみ込んだ。今までこんなに人が多いところに行ったことがなかったから、人酔いをしてしまったのだろう。
予想外だったのは、地図を読むことがこんなにも難しいということだ。思い出してみれば、地形図くらいの大きなものは見てきたが、道が一本一本細かく描かれた地図を読んだことはなかった。王都では知っている場所しか行かなかったし、知らない場所には侍従が付いてきたから道を覚える必要がなかったからだ。
「ハーイ、そこのお姉さん、何かお困りごと?」
顔を上げると、二十歳そこそこの男二人が笑顔でリフィスを見下ろしている。前の生活では話しかけられることもなかった平民の軟派な者たちだ。しかし、彼らに助けを求めたいと思うくらい、今のリフィスは疲れている。
「あのここの王国騎士団に行きたいんですが、道に迷ってしまって」
立ち上がって地図を指して見せると、男たちは顔を見合わせた。
「あー王国騎士団ね、知ってる知ってる」
「本当ですか?」
リフィスが笑顔を見せると、彼らもにんまり笑った。
「俺たちが連れてってあげるよ。近道を知ってるから、ついてくるといいよ」
そう言って男たちが行こうとしたのは、路地の奥側の暗い雰囲気の方角である。怪しさが増したが、まだ逃げるべきなのかわからない。ここに来るまで何度も騙されたリフィスだが、同じくらい親切な人もいたから、悩みどころである。
「遠回りでも大丈夫ですよ。できれば、おススメのお店も教えてもらいたいです」
「それなら、こっちに美味しいお店もある。心配しなくても、変なことはしないよ」
意味深な目配せをし合う男たちを本当に信じていいのだろうか。いざとなったら魔法があるが、疲れている今はあまり使いたくない。よくわからない路地に連れていかれたら、大通りに出るのもまた一苦労である。
「さあ、行こう」
「あのやっぱり――」
そう言いかけたところで、リフィスの手首が掴まれ、男二人に肩ごと抱えこまれた。
「はいはい、大丈夫大丈夫。俺たちに任せておけばいいから」
がっちりと体を固定され、前に前にと歩かされる。抵抗したがびくともしない。これはさすがにまずいと思い、魔法の発動をしかけたそのとき、後ろから「ちょっとすみません」と声がした。
「はい?」
「あのー、王国騎士団ならすぐそこですけど」
男二人ともども後ろを見ると、深い青色の制服を着た一人の青年が立っている。小柄だががっしりとした体つきをしており、腰には剣も携えていた。
「げっ」
はっきりとそう発した男たちは、リフィスを慌てて開放して、「何もしてませんよ」と言う。
「俺たちもあんまりこの辺詳しくないんだったな」
「そうだな、お姉さん、悪かったな出しゃばって」
それじゃ、と言うと、そそくさとその場を立ち去っていった後姿に、リフィスはよくわからないが助かったと思った。
「大丈夫でしたか?」
「あ、はい。ありがとうございました」
青い制服を着た青年はにっこりと笑うと、リフィスを路地から連れ出して、人が通る道へと案内してくれた。
「さっき通りがかったときに、王国騎士団と聞こえてきたんです。遠ざかる道に連れていこうとしているので、思わず声をかけてしまいました」
「やっぱり、騙されてたんですね。まだ悪人と善人の区別がつかなくって」
リフィスの言い方がおかしかったのか、青年は小さく声を挙げて笑った。
「この制服を見てわからないということは、シスルは初めてですか?」
シスルとは、エルドナの首都の名前である。
「ええ、そうです。――もしかして、王国騎士団の方ですか?」
「正解です。正しくは、王国騎士団の見習いですけど」
何とも運がいい出会い方をしたのだろう。青年は担当の区域の見回りを終えて、ちょうど帰るところだったらしい。
「騎士団へは何の用で来られたんですか? ――あ、受付もかねて、ご案内しようと思って」
用を聞くのは失礼だと思ったのか、慌てて青年がそう付け足す。リフィスはほほ笑むと、「騎士団長のメルヴィンさんに用があって参りました」と告げた。
「団長に?」
「はい」
さらに質問をしたそうな様子をしたが、青年はそれ以上何も言ってこなかった。
騎士団がある庁舎には、あっという間に着いた。どうやらリフィスは目と鼻の先にいたらしい。それもわからないほどの方向音痴だったようだ。
「あそこの受付に言えば、団長に取り次いでもらえます」
青年が指さした先にカウンターがあるのを見て、リフィスは彼に頭を下げた。
「本当にありがとうございました。大変助かりました」
「たまたま通りがかっただけなんで、気になさらないでください。それじゃあ、俺はここで」
照れたように笑うと、青年は頭を軽く下げて廊下を歩いていった。