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昼下がりにほろ酔い気分で

作者: 田中鈴木

 高等学校柔道連盟地区新人戦一回戦48kg級女子:遠藤 麗桜。

 対戦相手の名前を見た時には特にどうとも思っていなかった。

 実際に目にするまでは。


 顧問の先生を振り返り、相手を二度見する。


「…え?」


 もう一度、先生を見る。


「…え?」

「どうした、行ってこい」

「え、いやでも」

「でもじゃなく。失格になるぞ」

「いやいや。でもあれって」

「何をもたもたしてるんだ。早くしろ」

「いやでも」


 もう一度、相手を見る。身長は170くらい?デカくね?いやそれ以前にさ。


「男、ですよね?」

「…いいから行ってこい」

「よくないですって。なんで女子の試合に男子来てるんですか」

「女、だそうだ。本人の認識では」

「ほんにんのにんしきでは」


 何言ってんだ?

 改めて相手…遠藤麗桜を見る。新人戦に出てきてるんだから、高校一年生なんだろう。見た目に女子っぽいところはない。顔立ちも髪型も、どっからどう見ても男子の選手だ。


「どこに女子要素が?」

「本人がそう言ってるんだからそうなんだ。ごちゃごちゃ言わずに行ってこい」


 先生がめちゃくちゃ面倒臭そうに私を追い払おうとする。なんかニュースとかで性自認がどうとか見た気がするけど、これがそういうこと?いやそれにしても。


「あいつ、デカくないですか?本当に48kg級ですか?」

「…そういう認識なんだそうだ」

「はい?」

「本人が48kg級女子って言ってるんだからそうなんだろ。いいから行ってこい」

「何言ってんすか」

「うるせえ知るか。大会委員会がそれでいいって認めてるんだから何も問題ないだろうが」


 なんかキレられた。相手の遠藤麗桜はもう準備万端。主審が早くしろ、と手招きしている。麗桜って字面に騙されてたけど、「れお」って読みだと確かに男の子の名前だな。なんか嫌な感じにニヤニヤしている相手を見ていて、急激に気持ちが萎えていく。


「嫌です」

「あん?」

「嫌ですって。何なんすかアイツ。おかしいじゃないですか」

「高橋ィ!なんだお前その態度は!」


 先生の怒鳴り声が響き、一瞬会場が静かになる。同じ一年の子たちの視線が集まる中で、何故だか私は冷静になっていった。


「せめて、再度計量をお願いします。48kg級には見えません」

「お前、見た目で差別するんか。そういうのはダメってことも知らんのか」

「だから、見た目じゃなくて数字で判断します。再計量してください」

「大会委員会がいいって言ってるんだよ!一年生が屁理屈言ってるんじゃねえ!」


 怒鳴られて睨まれても、もう何も感じなかった。高校に入学して柔道部に入った時には、なんか怖い先生だなって思ってたけど。今は怒鳴るしか能が無い人なんだな、ってだけだ。

 俯いた目に、柔道着に刺繍された高校名が映る。まだ買ったばかりの、今日が初陣のそれを身に着けている自分が、なんだかバカみたいに思えてくる。

 主審がこっちに近付いてくる。このままだと棄権か、反則負け。いいやもう、どっちでも。

 皆がいる待機場所に戻って自分の荷物を取って、更衣室に向かう。先生が何か怒鳴っているけど、もうどうでもいい。好きなだけキレ散らかしてろ。


 誰もいない更衣室で着替えて市民体育館の外に出る。五月後半の、土曜日の午前中。隣の公園から、小さい子の歓声が聞こえてくる。スマホを見ると、同じ柔道部の一年の子達からメッセージがいっぱい来ていた。心配する内容が半分、今ならまだ間に合う的なのが半分。返信する気にもならずに、バス停のベンチに体を投げ出す。


 何なんだ、これ。


 めちゃくちゃ晴れた青い空が、ぽっかり空っぽに広がっている。駅までのバスはすぐにやってきた。中途半端な時間に乗り込むのは、私とおばあちゃん一人だけだった。ガラガラの車内の、いちばん後ろの席に座る。「〇〇駅南口行きです」だけ一オクターブ跳ね上がるアナウンスを何周か聞いていると、バスは体を震わせて動き出した。




 家のある駅に着いても、まだお昼そこそこの時間だった。

 今日は新人戦で帰るのは夕方、と言っていた手前、このまま家に帰るのは気まずい。こういう時に限って、電車の接続がスムーズなのは何故だろう。

 お昼代として千円貰ってるし、駅前のファミレスでドリンクバー頼んで時間潰すか。今からなら四時間くらいダラダラしてれば…わりと長いな。友達は柔道部関連多いし、今は連絡取りたくない。どうしたもんだか。

 なんか昔から間が悪いというか、貧乏くじ的なことは多かったと思う。何かと要領のいいお姉ちゃんとは正反対だ。同じことをしても、私だけ怒られる。あんまり勉強しているようには見えないのに、何故か成績は良い。大学もすんなり推薦で決めていた。

 私ばっかりなんで、って思うことが多かった。今回のこれも、そういうことの一つなんだろう。たまたま、誰かが引くハズレを私が引いた。仕方ないんだ。どうにもできない。仕方ない──。


 なんで、私が。

 他の選手は、みんな女子だった。なんで、私の対戦相手だけ男子だったんだ。

 本人が女子だって言ってる?どういうこと?ぜんぜん女子っぽくしてなかったじゃん。見た目で判断しちゃダメって、わからなくはないけどさ。でもあれは違うでしょ。そもそも体重が自己申告ってどういうこと?なんで私ら計量したの?何のために私はダイエットしたの?全部おかしくない?

 もうダメだった。一度転がり出した感情は、落とし所が分からずにぐるぐる暴れている。コンビニに入ったのは何故なのか、自分でもよく分からない。カゴを取って、目に付いたものを放り込んでいく。そのままの勢いでレジにカゴを置くと、気の抜けたいらっしゃいませーの声が返ってきた。

 バイトの大学生っぽい女の人の手が止まる。


「すいませんがー、未成年には販売できなくてー」


 手にはパステルブルーとピンクの缶が握られている。ほろ酔いがどうとかいう、お酒の缶。その瞬間、私の中の何かが噴き出した。


「何でですか」

「えっとー、未成年には販売できないんですー」

「何でですか。私が未成年とか何で決めつけてるんですか」

「えっとー」


 学校名が思いっきり入ってるジャージ着て何言ってるんだってセルフツッコミが入ったが、もう止まらなかった。


「何ですか。見た目で差別するんですか。おかしくないですか。そういうのって──」

「画面が変わったらタッチをお願いしますー」


 ピ、とスキャンした音が鳴って、レジの画面にメッセージが表示される。二十歳未満には販売できないけど大丈夫?はい/いいえ、みたいなやつ。

 面倒くさくなって投げやがった、こいつ。

 じーっと店員の顔を見るが、目を合わせようともしない。なんだか勢いを削がれて、画面の「はい」に触れる。


「981円になりますー」


 こんな時でもどこかで千円以内になるように計算していたんだな、私。

 ごそごそエコバッグに買ったものを詰め込んでいるうちに、全てがどうでもよくなっていった。




 どうしよう。

 行くあてもなくふらついて、目に付いた児童公園のベンチに座る。エコバッグの中には、メロンパンと生どら焼きとチョコチップクッキーと、それと例のパステルカラーの缶。いくらなんでも甘いものに偏りすぎじゃないか私。


「はぁ…」


 お腹は空いているけど、食べようという気力が湧かない。それにお酒。興味がなくはないけど、わざわざ飲みたいとも思えない。かわいらしい色彩の缶を、なんとなく手の上で転がす。


「何してんの」

「うきゃぁ!?」


 突然後ろから聞き慣れた声がして、全身が跳ねた拍子に缶が落ちた。砂の上を転がるそれを、見慣れた手が拾う。


「…やるねぇ」

「違うから」


 本当に、なんで私はこう間が悪いんだろう。

 お姉ちゃんは、缶についた砂を手で払いながら隣に座った。


「新人戦?じゃなかったんだ?」

「だったよ。ちゃんと行った」

「ふーん」


 興味の無さそうな返事。じゃあ聞くな。


「何で居るの」

「何でも何も、近所歩いてちゃいけない?」

「べつに」

「なんかお菓子買おうかなーと思ってたらさ、見たことあるようなのが歩いてるじゃん?あれー、何してんだろーって思ってたら公園でなんかたそがれてるしさ。姉としては心配になりますよー」

「…べつに」


 心配してほしくない。心配されるようなこと、してない。

 そう言葉にできずに、無言になる。何やってるんだろ、私。今日一日、何一つうまくいってない。

 やたら爽やかな風が吹き抜ける。気持ち悪いくらい晴れた初夏の日差しの下で、なんでこんな気持ちにならなきゃいけないんだろ。


「これ、貰うよ」


 返事を待たずに、お姉ちゃんは缶を開けた。ぷしゅ、という音と共に、じゅぶじゅぶ泡が溢れてくる。乾いた地面に垂れ落ちるそれを眺めていたら、少し食欲が出てきた。スポーツバッグから水筒を出して、麦茶を一口飲む。


「えー、そこは乾杯でしょ」

「いいじゃん、べつに」


 缶を掲げてきたので、一応水筒をコツンと当てる。満足そうに笑うお姉ちゃんに、チョコチップクッキーを渡す。にこにこしながら缶のお酒を飲む姿が、なんというか似合っていた。私じゃ絶対ああはならない。生どら焼きを取り出して、もそもそ口に運ぶ。


「お酒、美味しい?」

「んー?そうでもない」

「そうなんだ」

「ん。雰囲気だね、こういうのは」


 なんとなく分かったような、分からないような。

 桜の葉が、丁度良く影を作ってくれている。水飲み場があるだけで遊具の一つもない公園には、私とお姉ちゃんしかいない。今日の午前中に起きたことが、全部嘘みたいに思えてくる。

 どら焼きを食べ終えて、メロンパンに取り掛かる。お互い無言でいる今この時間が、なんとなく心地良い。遠慮なくぼりぼりクッキーを食べている横顔を見ていたら、少しだけ冷静になってきた。

 ジャージのポケットからスマホを取り出すと、ロック画面が賑やかになっていた。メッセージ99+の表示にげんなりする。友達はまあいいとして、先生はどうしよう。週明けが怖い。


「あんた何やらかしたの?」

「私は何もやってない」


 横から覗き込んでくる視線から画面を守りつつ、改めて今日の自分を振り返る。勝手に試合放棄して帰ったのはやらかしたと言えるかもしれないけど、それ以外は私のせいではないはずだ。


「あのさ」

「ん?」

「自分が…その、おかしなことに巻き込まれたらさ、どうしたらいい?」

「おかしなことって?」


 ぽつぽつ思い付くままに説明していく。今日の対戦相手。それを認めた大会委員会。私を怒った先生。きっと私が悪い、ということになっているだろうこと。クッキーを食べ終えたお姉ちゃんは、缶を傾けながら静かに聞いてくれていた。


「そりゃまた…面白いことになってたねぇ」

「ぜんぜん面白くない」

「まあそんなもんよ。世の中うまくいかないことばっかだよ」


 うまいことやってる人に言われたくない。そう思っているのが顔に浮かんでいたのか、お姉ちゃんの顔がふっと歪んだ。


「私はね、最初から諦めてるから。どう見えてるのか知らんけどさ」

「…初めて聞いた」

「そりゃね。わざわざ言うもんでもないし」


 仲が悪い方ではないと思う。こうして横に座って普通に話したりもする。でも、ちゃんと気持ち的なものを話し合ったことってあっただろうか。お姉ちゃんをきちんと見るのが初めてのような気がして、ざわざわする。


「あんた、頑張ってるもんね。すごいと思うよ。私にはできない」

「頑張って、なんか…」

「高校受験でも勉強頑張ってたじゃん。部活もわざわざ柔道部なんてキツいの選んでさ。女子じゃあんまりいないでしょ」

「頑張った、て、ほどじゃ」


 目を合わせていられなくなって、思わず俯く。パステルカラーの缶が横目に映った。


「頑張ってたからさ、悔しいんだよ。最初から諦めてれば、何も感じないのに」

「やだよ、そんなの」

「えらいえらい」

「やめて」


 雑に頭を撫でてくる手を払う。頭を撫でられるなんて小学生以来だろうか。なんかムカつく、けど、なんかもぞもぞする。にやにやしている顔を一睨みして、麦茶をもう一口飲む。


「あーあ、どうしよ。絶対怒られるよ」

「やめちゃえば?部活」

「そんな簡単じゃないよ」

「思ってるよりは簡単だよ。部活も、学校も。嫌ならやめちゃえばいい。代わりはいくらでもあるんだから」

「そんなの…」


 無理だよ、と言おうとしたけど、何故だか言葉にならなかった。お姉ちゃんは、いつもこんなことを考えてたんだろうか。

 手を伸ばして、お姉ちゃんの頭を撫でる。きちんと手入れされてて、サラサラの髪。柔道で痛んだ私の髪とは大違いだ。最初はきょとんとした顔をしていたお姉ちゃんは、すぐに笑顔になって頭を突き出してきた。


「お、なになに?撫でて撫でて」

「はいはい」


 頭の形を確かめるように、ゆっくり手でなぞっていく。風に揺れる桜の葉が、私達の上にゆらゆら影を落としている。パステルカラーの缶についた水滴がゆるゆる伝い落ちて、お姉ちゃんのスカートを濡らした。


「でも、あれだね」

「んー?」

「一生忘れないわ、遠藤麗桜」

「あはは、私も覚えたよエンドウレオ」


 これからどうしようか。このまま公園にいてもいいし、お姉ちゃんと一緒に家に帰ってもいい気がする。学校のことは、週明けに考えればいい。思ってるよりは簡単なのかもしれないと、なんだか素直に思えた。

性自認とスポーツについて書いてみたくて書き始めてみましたが、終わり方が家族の肖像っぽくなりました。


性自認と権利についてはいろんな立場と主張がありますが、どれに沿うにしても誰かしらは権利を侵害されます。この作品の場合は、遠藤麗桜の権利を認める代わりに私の権利は侵害されました。「女子」の括りにこだわるなら、逆の関係になります。

権利擁護と権利侵害は一心同体で、win-winは基本的にありません。最終的には万人の万人に対する殴り合いになるので、その緩和のために法の支配があります。現実世界ではどういう方向に向かうでしょうか。


お姉ちゃんの諦観についても掘り下げたかったんですが、冗長になるので省きました。中島みゆきの「幸せ」という曲を下敷きにしています。

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