第七話 子どもの頃から通っている浅草寺 ★
前回は得体の知れない存在の話だったから、今回はガラッと変えて浅草寺に関する少し不思議な体験を書こうと思う。
前回は不気味な話だったから、今回は爽やかに行きたい。
今回は子どもの頃から現在までの幅広い年代の話だ。
とりあえず最初の方は幼女を、そして途中からは美人OL(略)
浅草寺といえば番外編で書いた母の体験談だ。
母のエピソードではちょっと恐ろしい感じだったけど、実際はそんなことない。
関東では有名なパワースポットの一つだし。
我が家は初詣は浅草寺と決まっていて、毎年家族で通っている。
さて、みなさんは浅草寺のおみくじをご存知だろうか。
銀の筒状の入れ物(これが重い)を振って逆さにすると、数字が書かれた棒が出てくる。
数字は一から百まで。
目の前の棚から自分でその数字の引き出しを見つけて、中に入ってるおみくじの紙を取るというシステムだ。
お金は自分で百円玉を投入する無人販売のスタイル。
このおみくじ、本堂の中にもあるしすぐ外にもあるし、ちょっと離れた所にもあるし、とにかく何箇所もある。
私は本堂の中にあるやつが、特にご利益がありそうで好きだ(中にも複数台ある)。
そして浅草寺のおみくじといえば、凶が多いことで有名だ。
大吉とか小吉とか色々ある中で、凶の数が一番多いという鬼畜仕様だったりする。
ちなみに浅草寺では凶のおみくじだけ結び棒に結んで帰って、それ以外は持ち帰ることを推奨している。
子どもの頃から毎年初詣に行っているから、もちろん毎年おみくじを引いている私。
しかし、さすが浅草寺のおみくじ。
子どもでも容赦なく、凶が出る!
年の始まりに凶が出ると悲しいよね……。
なもんで、小学生のある年のこと、おみくじで凶が出た私は父にせがんだ。
「もう一回引く!」
大人になった今ならそんな事しないけど、子どもだからね。
父も「いいよ」と百円玉をくれた。
私はおみくじ台を変えて、新たな気持ちでクジの筒を振る。
「今度はいいのが出ますよーに!」
そして出てきた棒は……。
なんと、さっきと同じ数字。
えっ、と思いながらその番号の引き出しをあければ、やっぱり凶!
当たり前だ、同じ数字だもの。
えぇ……百分の一の確率を、二回引くかね……?
一緒に見てた家族も「おお〜……」と引き気味に驚いていた。
しかし。
私は諦めなかった。
なにせ子ども。
たまたまだと思うことにした。
なので、めげずにもう一回父に頼んで百円玉をもらうと、今度はまた別のおみくじ台に向かう。
私が親だったら止めるけどね……。
そうして三度目の正直。
念入りに振った筒から出てきたのは……。
なんと、さっきと違う数字!
やった、やっと凶以外のおみくじが引ける〜!
喜び勇んだ私は、その数字の引き出しを見つけて、引いた。
さて、今度のおみくじは何!?
ドキドキしながら紙を見る私。
そして視界に移ったのは…………凶。
結局凶なんかーーーーい!
意気消沈した私は「今年は凶ってことだよ」と母に慰められながら、おみくじ台を後にしたのだった。
まあ、これは確率的なもんだし、ただの偶然かもしれない。
その年がどんな年だったかは忘れたなぁ……凶っぽい年だったかなぁ?
ちなみにこれだけ毎年通って、年によっては年二回もおみくじを引いてるけど、大吉を出したのは三回くらいしかない。
そのうちの一回が去年で、第二子の出産の年だったから大層喜んだ百亭なのであった。
さて、次の話に移ろう。
時は一気に流れ、百亭が結婚した後の話だ。
夫は私みたいな不思議体験はほとんどなく、幽霊らしきものも見たことない。
けれどうちと同じように神棚のある家に育ったし、家の敷地内には小さなお稲荷さんの祠もあったから、神様というものはいるのかもなぁ、という感じ?
そんな旦那が仕事でツイてない事が重なって体調もしんどいというもんだから、じゃあ浅草寺でご祈祷札をもらおうと誘った。
浅草寺はかなり有名なお寺だけど、このご祈祷札の存在はあまり知られてないんじゃないかな?
直々に名前入りのお札を作ってもらえるやつだ。
ホームページにも載ってるんだけどね。
本堂内の大きなお賽銭箱は、浅草寺にお参りした誰もが見た事があると思う。
そのお賽銭箱の向こう、格子になってて見えづらいけど、畳敷きのとっても広い本堂内陣というものがある。
ここ、実は一般の人も入れる。(勝手には入れないけど)
流れはこんな感じ。
お賽銭箱の向かって右側の窓口で、健康祈願とか交通安全とか心願成就とか作ってほしいお札の種類と、名前と住所(郵送を希望する場合)を紙に書く。
収めるお金によってもらえるお札が変わって、三千円から二万円までの四種類がある。
見本はホームページでも見られるから、気になる人はどうぞ。
そのお札、お坊さんが綺麗な字で名前を書いてくれ、本堂内陣で直々にお経を上げてくれる。
基本的に一日三回やってて、ちょうどいい時間に行けば自分も本堂内陣に入ってお経を聞ける(とても荘厳でオススメ)。
というわけで、夫のお札の受付を済ました私たちは、ご祈祷の時間まで時間を潰すことになった。
季節は夏、八月のど真ん中でめちゃ暑い。
暑いね〜なんて言いながらトイレ休憩をしようとして、御神木の横を通った。
それは浅草寺の本堂の外、本堂を出て左の方にある。
なんでも源頼朝公が差した枝から生えたイチョウの木なんだとか。
すごい長寿!
でも……東京大空襲で燃えてしまったそうな。
そんなご神木だが、ものすごい生命力で復活して今でも元気に葉を茂らせている。
近くに行って見れば戦火の痕も感じられてすごい。
小さな頃から浅草寺に通い続けてる私だけど、このご神木をマジマジと見たことはなかった。
だから気づかなかったけど、ご神木の前にその由来が書かれてた看板が立っている。
それを夫と二人で見て「すごいね〜」と緑の葉がたくさん茂るご神木を見上げ、そしてやっぱり暑いからそこらのお店で少し涼もうとその場を去った。
そのあとは無事、ご祈祷札をゲットして帰りの電車に乗った私たち。
電車に乗って、私は多分スマホかな? それを取り出そうと、バッグに手をかけた。
その日、持ち歩いていたのは小さな斜めかけバッグで、上部には蓋はついてないタイプ。
だからスマホもすぐ見つかり……。
「あれ? これなに?」
スマホを手に取る前に、見慣れないペラペラしたものが目についた。
手に取ってみてると……。
「葉っぱ? え、これってご神木の葉っぱじゃない?」
それはみずみずしい緑のイチョウの葉っぱだった。
今日、イチョウの木の近くに行ったのはあのご神木だけ。
だから多分、ご神木の葉っぱだと思うんだけど……季節は夏だし、そんなに葉っぱが落ちてる感じはなかった。
それに、いくら上部が空いてるタイプのバッグっていっても、ポカンと中が見えるわけじゃない。
葉っぱが縦になってちょうどよくわか降ってこない限り、入り込むことはないのに……。
まあ、たまたまかもしれないけど、さすがにご神木の葉っぱを捨てる気にはなれなかった。
それに、スピリチュアル的に何かのメッセージなのかも?
なんて思って、そのあともずっと取っておいて自室の机に飾ってた。
もちろんむき身ではなく、透明なケース的なものに入れて。
とは言っても、去年は出産して一年ほど自分の机に座ることのなかった私。
このご神木の葉っぱのこともすっかり忘れてしまった。
それを思い出したのは、ついこの間のGWだ。
子どもたちを連れて、家から少し離れた緑あふれる公園的なところに遊びに行った。
滞在したのは食事の時間も含めて四時間弱かな?
さて帰ろうと車に荷物を乗せてる時……ふと気づく。
バッグの中に、何か入ってる。
取り出してみると、それは緑のイチョウの葉っぱだ。
それで浅草寺のご神木の葉っぱのことを思い出したというわけ。
木の多い公園だから、多分どこかにイチョウの木があったんだと思うけど……どこにあったのか全然わからない。
風は吹いてたけど、季節的にそんなに葉っぱが落ちてるわけでもない。
知らぬ間に、バッグにイチョウの葉っぱが一枚だけ入ってる。
そんな経験を二回もすると、何かメッセージめいたものを感じてしまうような……私だけ?
なもんで、その葉っぱも捨てずにバッグのどこかにそっと入れといたはずなんだけど……。
そのあと忘れてしまって、思い出した頃にはどこに入れたのかさっぱり分からない。
バッグの中を探しても見つからない。
落としたのか?
それなら仕方ないと諦め、ご神木の葉っぱはどこにあったかなと机に行く。
すると机の上は上の子がいたずらして色んなものが置いてあり、葉っぱを入れてたケースもそれらに埋もれてた。
もちろん、発掘して飾り直しましたとさ。
こんな感じで偶然のようなちょっとだけ不思議な話を二つ書いたわけだが。
他にも浅草寺は、行くと帰りに頭痛に襲われる事が良くある。
最近は減ったかな?
子どもの頃は毎年だった気がする。
その理由が分かったかもしれない出来事があるんだけど、長くなったので今回はここまで。




