第五話 この世に生まれてなかったかも ★
今回も前回に引き続き、番外編だ。
番外編が連続するのはどうだろう……。
と思ったけど、前回は姉の生まれる前の話を書いたから、私の生まれる時の話も書かないとスッキリしなくて。
不思議要素は控えめだけど、とりあえず書き残しておこう。
さて、前回書いた通り、大変な思いをして妊娠期間を乗り越え、両親は可愛い長女を授かった。
そして両親はそんな長女(私の姉)を溺愛して育てた。
そんな幸せなある日、再び母の妊娠が分かった。
本来なら新しい命に大喜び!
でも、母は違った……。
母も詳しくは覚えてないみたいだけど、妊娠が発覚する少し前、母は原因不明の体調不良で色んな検査や色んな薬の服用をしていたそうな。
それが胎児に影響しないかを心配したらしい。
そこで母は、地域では有名な産院(姉もここで生まれた)に相談しに行った。
すると話を聞いた産婦人科医はこんなことを言った。
「そうですねぇ……何らかの障害を持って産まれてくる可能は否定できないので、今回は諦めた方がいいと思います」
※ちなみに私が小さい頃にこの話を聞いた時は、レントゲンの影響を心配したのかなと思っていたけど……今調べるとレントゲンの被曝量は胎児にほとんど影響ないらしい。他の何かの検査がネックだったのか? それとも昔のレントゲンは違ったのか? 一体何が産婦人科医にそこまで言わせたんだろうか……。
衝撃を受ける母に、その産婦人科医はたたみかねるようにこう言った。
「堕ろすなら◯日までに決めないといけません。かかる費用は……」
まるで「早く堕ろした方がいい」と言わんばかりだ。
母もさすがに戸惑う。
「すぐには決められないので、帰って夫と相談します……」
と、逃げるように帰ってきた母。
母は迷った。
障害児が産まれてくるなんて言われて、悩まない妊婦はいないだろう。
そしてそもそもだけど、実は母はもう子どもはいらないと思っていた。
娘一人で十分だと。
なにせ前回はひどいつわりと神様の祟りで狂いかけた母だ。
神様の方はともかくとして、あの重いつわりには二度とかかりたくなかった。
その上、健康な子が産まれてこないのなら、いっそのこと堕ろした方が……。
そう悩んだ母は、父と相談しても決めることができず、今回もまた父親(私のおじいちゃん)を頼ることにした。
今回は娘(私の姉)を父に頼んで、母一人で実家に帰ったらしい。
再び妊娠して実家に帰ってきた娘。
話を聞いたおじいちゃんは、事情を聞くとさっそく拝んでくれた。
そうして、拝み終わったおじいちゃんが口にした言葉は……。
「大丈夫、元気な子だ。男の子みたいに見えるなぁ」
そして、旦那さんにも悪いから産みなさい、と。
おじいちゃんがそういうならと、出産に前向きになった母。
実家から帰ってくると、今度は最初の産院ではなく、大きな大学病院に行って相談してみることにした。
するとそこの産婦人科医は何度も計算して、例の検査や服薬はギリギリ妊娠前だと言ってくれたのだった。
そうだったのか。
てか……最初の産院の医者もちゃんと計算してー!!
かくして大学病院で出産することになった母。
心配していたつわりはあるにはあったらしいけど、まだ小さくて手がかかる娘(私の姉)がいたからそれどころじゃなく、いつの間にか収まっていたらしい。
一人目と二人目でつわりの重さが違うのもよくある話だ。
ちなみに母は姉を帝王切開で出産していたから、本来なら次の出産も帝王切開になる。
これも母が二人目はいらないと思った理由の一つだ。
詳しくは書かなかったけど、姉の出産の時は産後の手術痕にトラブルがあってひと月も病院に通ったもんで、新生児を育てながら苦労したらしい。
だが今回は大学病院。
レアケースではあるものの、母は自然分娩ができると言われ、帝王切開は回避できた。
でもレアケースなもんだから、是非とも出産時は学生たちに見学させたいと。
快く了承した(なぜ?)母だったが……。
いざ出産になって陣痛で苦しんでる中、学生たちのギャラリーに囲まれる母(さすがに学生は頭側にいたはずだけど)。
「この方のように帝王切開後でも自然分娩できるケースがあります」
命がけでいきんでる最中に、そんな風に説明されてみると、
「こっちはこんなに苦しんでんのに!」
と煩わしかったらしい……そりゃそうだわな。
出産中は専念させてほしいもんだ。
そうして大勢のギャラリーに見守られて産まれてきたのが私、百亭だ。
一応書いておくと、生物学上は女。
おじいちゃん、男言うてたやーーーーん!
まあ「男の子みたいに見える」だから、間違いじゃないかも?
私は三歳くらいの頃に自分で髪の毛をショートに切ってしまったり(ハサミ危ない)、女の子なのに小さな頃から青が好きだったり(オモチャはみんな姉が赤で私が青)、高いところに登るのが好きですごくヤンチャだったりと、男の子みたいな子だった。
骨折だけはないものの、女の子なのに今まで三回も顔に大きな怪我をしている(幸運なことに全部痕は残らなかった)。
ちなみに母は自然分娩になったから、陣痛が来るまで家で過ごしていた。
時は十二月のクリスマスイブ。
三歳になったばかりの姉と共に、両親はささやかなクリスマスパーティーを開こうとしていた……まさにその時。
なんと、陣痛がやってきてしまった!
そんなもんで母は娘を夫に託して一人病院へと向かい、ギャラリーに見守られながら陣痛と闘い……。
そうして夜が明けた頃に生まれてきた私は、クリスマス生まれだ。
覚えやすいね!
って、そんなことはともかく。
もし母がおじいちゃんに相談しようと思わなかったら……。
もしおじいちゃんの答えが、少しでも違っていたら……。
私はこの世に生まれてこなかったかもしれない。
つまりおじいちゃんは、私の命の恩人だったりする。
前回、おじいちゃんはすごく怖い人だったと書いた。
晩年は年のせいもあって穏やかになったけど、それでも怖かったらしい。
らしいというのは、私は怖くなかったから。
私のいとこは二人兄弟(姉妹や姉弟含む)が四組いるけど、おじいちゃんは何故かそれぞれ兄弟や姉妹のどちらかだけを可愛がっていた。
まあおじいちゃんの好みなんだろうけど、我が家の場合は私が可愛がられていた。
おじいちゃんとは三歳くらいの頃の記憶がある。
私はおじいちゃんの所にオモチャを持って行って「これで遊ぼ!」と、無理やり遊びに付き合わせていた。
その頃、一年だけ百亭一家はおじいちゃんの家に住んでいたから。
私には、そんな風に優しくて一緒に遊んでくれるおじいちゃんのイメージしかない。
そんなおじいちゃんは、私が中学を卒業する頃に亡くなってしまった……。
もし生きていたなら、もっと色んな話を聞きたかったなぁ。




